大会当日の朝
ネイレスファルト内に存在する場末の酒場の奥で、密談をする男が二人いた。ただ室内が非常に暗いため、顔立ちや格好を認識するのが難しい。
「……ひとまず、例の事件については調査が完了しました」
青年の声。二十歳前後と予想されるその声は、場末の暗い酒場に似合わないくらい、非常に明瞭で人を気持ちよくさせるものだった。
「魔具をバラまいていただけではなく、どうやら魔具を人体に埋め込んで色々と実験していた、とのことです」
「……犯人は、わかっているのか?」
青年と話す相手は、明らかにしわがれた老人の声。ただその声はどこか芯が通っており、なおかつ常に叱責されているような錯覚を抱くくらいに攻撃的に感じられる。
「ええ。名はイドラ……聞いたことのない人物ですが、人相などを確認したところによると、どうやら私達も知っている人物のようです」
「何? それは誰だ?」
老人の問いに、青年は小声でボソボソと喋る。他に酒を飲んでいる人間には一切聞こえない声量。すると、
「……ほう、そうか。奴なのか」
「はい。おそらく間違いないかと」
「奴も動いている……その目的は――」
「間違いなく、お考えの通りかと」
青年の言葉に老人は押し黙る。静寂が二人の間を包み、やがて声を発したのは青年だった。
「ひとまず、彼はネイレスファルトから姿を消しているようなので、当分は大丈夫かと」
「私達の行動を止めに入っている、というわけではないのだな?」
「あの人物の情報収集能力を考えれば、我々のような人間がネイレスファルトに入り込んで動いているのは把握していて当然……しかし任務の詳細を知っているわけではありません。精々我らは、他国に潜入する工作員といった程度の認識でしょう」
「となれば、予定通りに事を進めても良いのだな?」
「ええ」
返事をする青年。周囲からまったく見えてはいないが、今彼は笑っているに違いない。
「他の異能者と接触したという情報もありますが……詳細は不明です。その辺りは調査中とさせてください」
「異能者か……そいつらがどういった国に所属しているのかは、明確にしたいところだな」
「そうですね」
「ちなみにだが、もし異能者同士の衝突が激しくなるとすれば……どこだと思う?」
「難しい質問ですね。ただ現状可能性が高いのは、今盛んに政争を繰り広げているロゼルスト王国でしょうか」
「ロゼルスト……か」
「東の最果てに位置する大国ですが、該当の国が保有する『創生』の魔術師が、他の異能者とぶつかっているようですし……さらに、もう一人異能者を擁している。あそこには、何かがあるのかもしれません」
「なるほどな……今後はそちらに入り込んでいる人間から情報を取るべきかもしれないな」
「ええ……あと気になるのは、ラキウス王国の騎士が闘技大会に出場していることくらいでしょうか。まあ、この辺りはさして私達と関連のある部分ではありませんので、放っておいても問題はないでしょう」
「そうか。ならば闘技大会に合わせて行動を開始する……それでいいな?」
「はい。ちなみにそちらの準備は?」
「整っている。必要とあらば、特定の地区を封鎖して色々と行動を起こすこともできる」
「さすがですね。ただ使うとなれば非常事態でしょうし、準備しただけで終わることを祈りましょう」
そう告げた後、青年は改めて本題に入る。
「作戦ですが……基本こちらが行うので、そちらには作戦決行時ここに待機していてもらいたいのです。行動手順については以前説明した通りです」
「ああ、わかった。その後そっちは本国へ?」
「戻る予定ですが、状況次第で考えますよ……もし作戦が成功しなければ、もう少しネイレスファルトで活動することになります」
「国の上層部と関係を持っている以上、ある程度騎士達の動きを制御できる。とはいえ、あまりに過ぎると上の指示を無視して行動する人間も出てくるだろう。気を付けろ」
「わかっています」
椅子を引く音。青年が席を立ったらしい。
「それでは、明日決行します……よろしくお願いしますね」
「ああ、わかった」
そうして二人は別れる――両者の密談は、結局酒場の誰の耳にも入ることなかった。
* * *
アシラという剣士が加わったことで、ユティスとしては少なからず肩の荷が下りたのは事実だった――が、まだまだネイレスファルトでやることは多い。
フレイラに闘技場の方を任せることにしたユティスは、ひとまず魔導学院の方を見て回ることにした。一日目は学院内の様子を窺うという意味を込めて見て回っただけ。闘技大会前ということもあってか、他国から人を雇いに来た人もそう多くなかった。これならすぐに動き出しても他の人と競合することはなさそう――そうユティスは思ったのだが、夕方前の時点で、とうとうダウンした。
フレイラやティアナに心配されつつその日は城に戻るとそのまま就寝。翌日の朝には体調も戻った――以前のユティスなら一日以上寝込むことはザラだったのだが、回復が少し早くなっていた。
もしかすると『精霊式』の魔法が使えるようになって、体の方にも多少ながら良い影響が出始めたのかもしれない。とはいえ結局倒れてしまうので、無理はしないよう今後は気を付けようとユティスは思った。
ただその日は念の為に休み、翌日。闘技大会開催日――体調がきっちりと戻った早朝、ユティスは身支度を整えて部屋を出た。格好はいつもの黒いローブに、新調した長剣を腰に差している。
歩いていると、遠くから金属音が聞こえてきた。音に興味を抱いたユティスは、そちらへと足を向ける。思った以上に距離があり、そこは城から離れた場所に位置する訓練場だった。
「ん……?」
そこにいたのはヴィレムと、もう一人――ティアナだった。
ヴィレムが薄手の黒い騎士服なのは相変わらずだったのだが、合わせるように彼女もまた騎士服を身にまとっていた。さすが元聖騎士候補と言うべきか、その衣服もずいぶんと似合っている。
両者は幾度となく剣を交わし――とはいえ、激しい動きというわけではないので、体が鈍らないよう剣を振っているという感じだろう。
それから少しして、両者の動きが止まる。直後、
「……ユティス様?」
ティアナが気付き声を上げた。それに対しユティスは首肯し、
「二人とも、ずいぶんと早いんだな」
「ユティス様こそ……お体の方は?」
「平気だよ。『精霊式』の魔法を使えるようになった影響か、回復も早くなっているみたいだ」
ユティスは答えつつ、ヴィレムに視線を移した。
「ティアナを誘ったんですか?」
「依頼をしたわけではありませんよ。私が剣を振っていた時、お越しになられたんです」
「時折、無性に剣を振りたくなる時があるんですよ」
苦笑しつつティアナが言う。
「それに、訓練をしておいた方がいいとも思いましたし」
「そっか……」
「あら、結構人がいるのね」
そこに、今度はリザの声。視線を転じると、リザとさらに――
「え? イリア?」
「おはようございます……」
「それはいいけど、何でリザと?」
「単に早起きした者同士で城内を散策しただけよ。深い意味はないわ」
リザは答えると廊下に壁にもたれかかり、腕を組んだ。
「さて、今度は誰と誰が手合せするの? ヴィレムは今日から大会だけど」
「さすがに、俺はこの辺りにするさ」
ヴィレムはリザに返答すると、剣を鞘にしまう。
「……一つ訊きたいんだけど、私に対しては敬語じゃないのね?」
「なんだ、敬語にして欲しいのか?」
「いや、勘弁して頂戴」
手を振るリザ。それにヴィレムは笑みを見せた後、ユティスに向き直る。
「ユティス様」
「は、はい」
「先の事件、再度礼を申し上げておきます。あの騒動はあなた方の尽力があってこそ、ああして被害も少なくすんだ」
「いえ……それに、僕達に関わっていた部分もありましたから」
「それでも、礼を述べさせていただきます」
「そういった態度だけじゃなくて、もっと具体的な行動で示してみたらどう?」
リザが横槍。するとヴィレムは首を傾げた。
「……行動?」
「ユティスさんがここに来たのは人を雇うため……もし礼をしたいというのなら、その辺りのことを手伝ってみたら?」
リザから話を向けられたヴィレムは、途端苦笑する。
「ふむ、騎士団所属という観点から、戦力を目減りさせてしまうのはどうかと思ってしまうな」
「何よ、ケチくさいわね」
「そう権限があるわけでもないから、仕方がない」
「なら、そうねぇ……ヴィレム、あなたは?」
「何?」
「あなた自身、身の振り方考えないといけないんじゃない?」
その問い掛けに――ヴィレムの眉が僅かに跳ねた。
「ヴィレム、そっちだって結構窮地に立たされているんじゃないの?」
「……どういう意味だ?」
「わかっているくせに」
憎たらしい笑みを浮かべるリザ。ユティスは彼女が語る意味がわからず、他の面々も首を傾げていたのだが――
「だって、おかしいじゃない? 今回の闘技大会ヴィレムが参加するけど……そもそもヴィレムは闘技大会に優勝したから騎士として重用されたのよ? なぜ今になってまた参加するのよ?」
「それは――」
「ま、そこでピンと来たわけ。もしかするとヴィレム自身は、当て馬なんじゃないかって」
そこまで言うと、リザは懐から紙を取り出した。
「ここに対戦表があるのだけれど……順当に行けば、異能者であるレオさんとは準決勝で当たることになる……彼が決勝で当たる相手は、闘士の中でもかなり強い人物……テオドリウスなんかが出場しない以上、まあ決勝の組み合わせも鉄板でしょう。となれば、レオさんの当て馬にされたってことなんじゃない?」
「……さすが、だな」
ヴィレムはリザの推測を聞いて歎息する。声や表情からすると図星のようだった。