騎士の決闘
アドニスが決闘という事実を聞きつけた野次馬が、対峙してものの五分でやって来るところを見ると、フレイラとしては苦笑する他なかった。
「皆さん、準備があるはずですよね?」
「休憩時間なのではありませんか?」
適当に答えるアドニス。それと共に腰の剣を抜き、
「先に言っておきますが、私はベルガのように甘くはありません」
烈気を大いに含んだ声音を伴い、構えた。
(……さすが、といったところか)
合わせてフレイラも剣を抜くが――自身の『目』で見た感想としては、ベルガとは比べ物にならない力を内包しているという事実。
技量的に、内に秘める魔力を隠すことだってできるはずだが、それをせず気配が滲み出しているというのは、相手を威圧する意味があるのだろう。
同時にフレイラは思う。『強化式』の魔法を全力で使用したとしても、勝つのは難しいかもしれない――剣の技量も相当なはずであり、はっきり言って勝てる要素が無い。
(ま……これは勝ち負けが決まる戦いじゃないしね)
フレイラは胸中思いながら、疾駆する。両足に魔力を集め跳ぶように接近すると、手始めに横薙ぎを繰り出す。
アドニスは一切移動せず、それを無表情のまま受けた。結果鍔迫り合いの様相を見せ、周囲の野次馬が僅かに沸き立つ。
ここでフレイラは悟る。超然と立ったまま応じるアドニスに対し、フレイラは勢いをつけなおかつ全力の一撃で後退させることすらできていない。この時点で結果は、火を見るより明らかだった。
ならば――フレイラは方針を変更し、即座に引き下がる。追って来るかもしれないと考えたのは一瞬で、アドニスは自然体となり立ち尽くした状態。
あくまで打ち合う気は無し――つまり、彼はこの決闘を遊びだと考えている。
(舐められたもの――)
怒りを覚えたわけではないが、その態度を見て一泡ふかしてやろうとは思った。
大地を震動させるような勢いでフレイラは踏み込む。またも真正面からの突撃だったが、アドニスの目が細くなり、剣をかざす。
フレイラの斬撃は下から上へのすくい上げ――アドニスは剣を水平に構え、受けた。
たちまち斬撃は押し留められ、効果を成さない。やはり目の前の相手に、正攻法は通用しない。
ならば――フレイラは踏み込んだ力をわざと殺し、剣を引く。
アドニスはやはり動かない。けれど目だけは絶えずフレイラを注視し、油断ない態度であるのはすぐにわかった。
(さすがは、騎士団隊長の一人というわけか)
フレイラ自身ベルガに余裕で勝てたため、ともするとアドニスとも――などと心の中で考えていたのだが、その推測は木っ端みじんに砕かれた。
とはいえ、大して衝撃を受けたわけではなかった――むしろ栄えあるロゼルスト王国騎士団の一隊長である以上、こうでなくては困る、と胸中断じた程だった。
フレイラは動く。次の一手は、今考えられる最高の一撃を見舞うつもりだった。
一歩後退すると同時に、足に魔力を込める。相手にとっては再三の突撃だと思ったことだろう。けれど、今度は違った。
フレイラは足に十分な魔力を乗せ、相手を打ち負かすために剣を放とうとする。
アドニスはやはり表情を変えぬまま剣で攻撃を防ごうと――そして、双方の斬撃が触れようとした刹那、
フレイラは、足を右に向ける。同時に魔力を噴出し、半円を描くようにして、背後に回る。
常人ならば追い切れぬ速度だった。観客はフレイラの動きを捉えたかどうかも怪しく、声を上げ驚愕するに違いなかった。
しかし――動いたはずのフレイラもまた、驚愕する。なぜか。
反転し、本来ならアドニスの背中が見えるはずだった。しかし、その姿をこつ然と消えていた。
何事かと思った瞬間、背後から気配を感じ取る。相も変わらず隠そうとしない彼に対し、フレイラは背後を取られたのだと悟る。
フレイラは即座に全身を強化し、反転を開始する。けれど完全に向き直る寸前にアドニスの剣が炸裂し、フレイラは衝撃で足が地面から離れ、宙を舞った。
斬撃を刀身で受けたのは、幸運と言う他ない――フレイラは思いながら、同時に自分の身を傷つけまいとするアドニスの配慮だと悟る。
そしてフレイラは体勢を崩しつつ倒れ込んだ。いくら土を固めているとはいえ、盛大に転べば多少の土埃は上がり、鎧に僅かながら付着する。
そうしたフレイラに対し、アドニスは真っ直ぐ見つめ、言った。
「……御身を傷つけるわけにはいきませんし、これで手打ちといきませんか?」
その声以外周囲は静寂に包まれ、歓声も怒声もない状況で緊張だけが満ちる。
フレイラとしては、先ほどの攻防に対し感服する他なかった。魔力を噴出した時点でアドニスはどういう策なのか察したのだろう。そして気配を隠そうとする素振りを見せぬまま、その剣をフレイラに当てた。
さらに言えば、先ほどの斬撃だって殺意は存在していなかった。やはり、別格の強さ。
「……悪いけど、そのつもりはない」
フレイラは断じると、立ち上がる。倒れ伏した事実に対し嘲笑の一つでも来そうなものだったが、さすがに変人とはいえ一領主の娘に対し野次を飛ばす勇気のある者はいない様子。
対するアドニスは渋い顔をする。何かしらの決着をつけなければ終わらない。けれど、これ以上やれば間違いなく傷を負わせることになる。それは彼の本意ではない。
フレイラは一度深呼吸をした後、次の一手を考える。頭の中にある公算としては、最早事は成したと言っても良かった。けれど、どうにか一太刀浴びせることはできないだろうか――そういう騎士としての闘争心が、完全にフレイラを支配する。
「……やれやれ」
嘆息するアドニス。態度からどう考えたのか悟ったらしい。
フレイラは再度突撃を敢行するべく足に魔力を加える。とはいえ打つ手はほとんど残されてはいない。剣術、力、速度全てにおいて上の相手。アドバンテージは何一つなく、勝てる要素は万に一つもない。
真剣勝負でなければ、ナデイルが全力で止めていたところだろう。しかし、フレイラの凶行を止める真似はせず、ただ事の推移を見守る構えを見せ、
「――行くよ」
宣言し、前傾姿勢となったその時、
「昨日に引き続きとは、正直驚いたよ」
ラシェンだった。フレイラが視線を転じると横に彼の姿。微笑を見せるその姿により、ようやく周囲の空気が溶け出す。
「そして、まさか騎士アドニスと打ち合いができるとは……なるほど、ベルガ殿では相手にならんわけだ」
――フレイラの能力を看破した彼なら一方的な戦いなのだと判断できるはずだが、ラシェンはまるでアドニスとフレイラ双方の目論見を理解しているように言葉を紡ぐ。
「しかしフレイラ君……この辺りにしておいた方がいい」
「……申し訳ありません。ですが」
「言いたいことは理解している。ユティス君の件だな?」
問い掛けるとフレイラは即座に頷く。
「彼が懸念していることは納得できます。しかし――」
「わかっているさ。騎士アドニス、今回の件は私に任せてもらえないだろうか? もし何かあれば、私が上手くフォローしよう」
その言葉で、アドニスの表情が驚きに変わる。フレイラも表情こそ出さなかったが、少なからず衝撃を受けた。
「なぜ……?」
そして思わず質問を行う。なぜユティスと自身に肩入れするのか。
「フレイラ君に礼がしたいからだ」
語ると同時に、彼は豪快に笑う。
「何せ、興味深い勝負を二度も見せてもらったのだから」
「……相変わらずですね、ラシェン公爵」
嘆息と共にアドニスは告げると、剣を鞘に収めた。
「……騎士フレイラ、勝負はひとまずお預けといきましょう。この戦いは引き分けということでお願いしますよ」
「……ええ」
頷いたと同時にアドニスは近くにいるリシアに声を掛け、訓練場を去っていく。同時に野次馬の面々も移動を開始したが、激戦のように見えたためか、中には興奮し雑談しつつ歩く者もいた。
そうして人々が立ち去っていく中で、一人例外が――ラシェンだ。
「お疲れ様、だな」
全てを露見するような目でラシェンは言う。それを見て、フレイラは目論見が看破されているのだと確信する。
「……私は、匂わせていたわけではないと思うのですが」
「フレイラ君が騎士アドニスと戦うという時点で、既に理解していたよ」
「どういうことですか?」
そこへ割り込むナデイル。彼にとっては、アドニスと出会って以後のフレイラの行動が理解不能だったに違いない。
「なあに、簡単な話だよ」
フレイラが答える前に、ラシェンが口を開く。
「先ほどの戦いは勝ちも負けもない……引き分けという形が、双方の落とし所だったというわけだ」
「引き分け、ですか?」
「そうだよ」
フレイラは言うと剣をしまいながらナデイルへ説明する。
「アドニスの心理はこう――まず何より、負けるのは許されない。騎士の尊厳にもかかわることだし、状況によっては本気で叩き潰す気でいた。けれど、私の技量を見てそれはないと悟った」
「健闘していたと思うが?」
茶化すようにラシェンが言う。それにフレイラは苦笑する他なかった。
「世辞はいりませんよ……そして、勝つのもまずい。私は城に入ってまだ一日も経っていないわけだけど、ベルガと戦い、ユティスと婚約すると表明し、さらには式典に参加しようとしている。ここまでくれば、私を打ち負かせばどんな行動をとるかわからない。だから大変リスクがある」
「ああ、確かに」
ナデイルは同意――釈然としないフレイラだったが、話を続ける。
「だからこそ、この勝負はまた今度という引き分けという形に持ち込むしか選択はなかった。私もそのつもりで立ち回っていたけれど……まあ、どうにか一撃当てられないかと考えていた。けど、無理だったみたい」
「あれだけ健闘したのだ。陛下も興味を抱く事だろう」
そうラシェンは言う――フレイラは再度苦笑。どうやら彼は「ユティスとの婚約を利用し、王に近づく」という魂胆をきっちり見破っているようだった。
「……ラシェン公爵、ありがとうございます」
そしてフレイラは礼を述べる。
「あなたがいなければ、あのまま私は地に伏していたことでしょう」
「それまでに戦うのを中断していればああはならなかったはずだが……騎士としての血が騒いだといったところか」
ラシェンは言いつつ、フレイラに一つ約束をする。
「陛下には、私から伝えておこう」
「本当に、よろしいのですか?」
「ああ。だからフレイラ君はユティス君の部屋に行き、すぐフォローしてくれ」
「え? フォロー?」
フレイラが首を傾げると、ラシェンは大きく頷き、
「騒ぎが大きくなっているだろう? さすがにこれでは、ユティス君に心労が溜まるのではないか?」