治癒魔法
負傷したカノワに、怪我の治療を行っていた人物達が急いで近寄り応急処置を始める。しかし相当な深手なのか、魔法を使っても出血が完全に止まらない。
「まずい……!」
一人が叫ぶ――その人物の魔法が通用しないのだと確信できた。
治癒系の魔法はいくつか種類があるのだが、その中で主要なのは治癒能力活性型か、魔力収束型のどちらか。前者は怪我をした本人の持っている治癒能力を向上させ、後者は怪我をした人物の魔力を患部に集中させ、治療するというもの。魔法の使用者の魔力を用い治療する手法もあるのだが、これは非常に使用者が少ない。
なぜかというと、自身の魔力を使う場合、まず相手にとって無害なものに変換しなければならない。治癒魔法と言えど魔力を相手に与える以上、制御に失敗すると傷がさらに開くなど悪化させる危険性がある。そうした事を避けるために変換処理が必要なのだが、この技術を習得するには相当な技術や時間を要する。
この問題を避ける方法としては、大気中に含まれる魔力を変換する方法がある。とはいえそちらはそちらで高難度の魔法であるため、使用者が少ない。
つまり、治癒魔法というのは基本怪我人の身体的な能力に依存する魔法なのだが――負傷したカノワは高齢であるため所持している自然治癒力も少なく、病により体が弱っているならば保有する魔力だってそう多くないだろう。となると――
周囲の人間が騒ぎ始める。ここにきてオルムも駆けつけ、さらにアシラも師匠の名を連呼し始める。
危険な状態――ユティスは人に囲まれるカノワを見ながら、打開策があるか検討する。
「……今以上の治癒魔法を使える人間は?」
ユティスはまずオルムに問う。だが彼は首を左右に振った。
「この地域で一番の使い手が治療している……それでも出血が止まらないということは――」
ユティスが見た所、その人物が使っているのも活性型の治癒系魔法。カノワを救うためには、どうしても外部から魔力を供給する必要がある。
だが、闘士の街で怪我が多いとしてもそういう使い手は――医者を当たれば見つかるのかもしれないが、その時間的余裕は無い。
(でも……そうなるともう……)
叫ぶアシラを見据えながらユティスは考える――そこでふと、
(自分は、どうだ……?)
自問した。これまでのユティスは治癒魔法といってもほんの少し治癒速度を上げるくらいで、ほとんど使いものにならなかった。いくら『精霊式』の魔法を所持していたとわかっても、そんな魔法を使えるとは――
だが次の瞬間、ユティスは一つ思い浮かんだ。それは、過去の情景――ユティスにとって今まで思い出すことができなかった情景。
けれど、頭に浮かんだ直後ひどく懐かしいと思えた光景。
(言っただろ? 絶対に見返してやるって。なら、やれることはやらないと)
そう誰かに語った――場所は自室であるため、喋った相手は間違いなくセルナだ。
(こうやって『精霊式』の魔法を手に入れたわけだし、僕自身もっとやれることがあるはずなんだ……治癒系魔法だって、もっと向上できる)
なぜそうまで貪欲なのか――理由は一切思い出せない。それは兄弟の誰かに対しての発言なのか――だがユティスは違和感を覚える。違うと頭の中で思う。
なら誰に対しての――どれだけ考えても答えは出せないが、一つだけ言えることがあった。
『精霊式』の魔法は外部の魔力を取り込み、自分のものとする術式。その魔力はただ取り込むだけでなく、自分の体に「これは自分の魔力である」と認識させ、魔力回復なども行わせる。しかし外部から取り込んだ魔力である以上、生来持っていた魔力とは質が異なり、完全に同一となるわけではない。
質の違いから、魔力の転換が容易であるのは利点だった。だからこそ治癒系魔法に対してもある程度融通が効くようになっている。実際、魔法史を振り返ると優れた治癒系魔術師の中には『精霊式』の魔法を使う人間もいた。
もしや、自分もまた――ユティスはカノワへと歩み寄る。
アシラが叫ぶ。それに対し、ユティスはカノワを見て――記憶が、蘇る。
「ユティス様?」
ティアナが問う。だがそれに構わず、ユティスは詠唱を始めた。
その呟きに、幾人かが反応を示す。それに気付きつつユティスは両手に魔力を集め始める。
(成功するかどうかはわからないけど……)
正直、ぶっつけ本番に近い状況でいきなり魔法を使うというのも気が退けたのは事実。しかしこのまま時間が経てばカノワは――そう思うと、体が勝手に動いた。
「癒せ――天使の光」
言葉と共に魔力が解放される。それを患部に押し当てると、魔力が傷口を取り巻き始めた。
「これは……!」
リザが驚愕の声を上げる中、次第に傷がふさがっていく。周囲からは歓声も上がり、やがて魔法を発動し終えたユティスは小さく息をついた。
「……傷口は塞いだけど、血は戻せない。早く処置を――」
「薬はここにある」
オルムだった。その手には丸薬が一つ。
「造血剤だ。こいつを飲ませろ」
指示を受け、他の人間が薬を受け取りカノワに飲ませる。これで安全というわけにはいかないだろうが、危機は脱したと考えて良いかもしれない。
再度息をつくユティス。それにオルムが声を掛ける。
「すまない、助かった」
「いえ、当然のことをしたまでですから」
ユティスは応じた直後、ヒュゴ達が立っていた場所に目を向ける。そこにはもう人影もないのだが、その道がまるで奈落へと突き進む恐ろしい道のように思える。
「……一度、態勢を立て直しましょう」
次に、リザがオルムへと告げた。
「敵はどうやら厄介な人物も味方に引き入れた様子……状況を確認し、どう動くか考えた方がいいわ」
「わかった。カノワも倒れた以上、どうなっているか調べる必要はある。リザ達は待っていてくれ。休む場所は用意する」
「ユティスさんも、それでいい?」
「うん」
「それと、アシラさん」
呼び掛けると、アシラはカノワから視線を外す。
「気になるのはわかるけれど、もう少し働いてもらうわよ」
「……わかっています」
承諾すると彼は立ち上がった。
「しかし、今のも失った記憶から引き出したの?」
リザが問う。ユティスはそれにどう答えていいかわからず、頬をかく。
「咄嗟に出たんだけど……これは学んでいないと出てこない魔法だと思うから、失った記憶の中に眠っていたんだと思う」
「なんだか変な言い回しね」
「……僕自身、困惑している」
答えてから、ユティスはふとティアナに視線を送った。彼女は何も知らないはずであり、だからこそユティスの魔法に驚いている。
「……一体、何が――」
彼女が問い掛けようとした矢先、呻くような声が。カノワだ。
「――カノワさん!」
アシラがすぐさま近づく。見ると、僅かながら目を開け周囲を見回す彼が。
「……まったく、こんな所に何の用だ?」
「噂を聞きつけてきたんじゃないですか!」
「そう大声を上げるな……まったく」
呟くと、首だけユティスに動かす。
「あんた、さっき魔法を使ってくれた人物か?」
「はい」
「ありがとう。いつ死ぬかわからん身だが……礼を言うよ」
「いえ、当然のことをしただけなので」
首を振った時、路地から人がやって来るのを目に留める。確認すると、周囲の人物と話を始めていた。味方らしい。
「……直に、日が暮れる」
やがてリザが喋り出した。
「戦いはまだ終わっていない様子だし、ここはひとまず休憩しましょう。オルムがどう行動するかを決断した後で動いても大丈夫なはずよ」
「そうだな……ティアナもそれでいいか?」
「はい」
「……アシラさんは」
「こき使ってやってくれ」
カノワの発言。するとアシラは我に返ったかのような表情をした後、ユティスに向き直る。
「あの……ありがとうございました」
「いえ……」
感謝され、ユティスはどこか戸惑う。その後リザが「移動しよう」と声を上げ、ユティス達はこの場を離れることにした。
オルムはユティス達を広場近くの家に案内した。ここで休憩ということらしいが――
「とりあえず、現状把握くらいならオルムもできるでしょうし、優秀な闘士もいるからそれほど時間は掛からないはずよ。ま、地元の人間に任せておきましょう」
リザは言うと、適当な椅子に着席する。
「さて、アシラさん……大丈夫? 戦える?」
「師匠がああ言った以上、付き合います」
「そう……なら、話をさせてもらうわ」
リザは足を組むと、ユティス達に話し出す。
「相手がどう動くかによって、対応が変わってくる。なおも攻撃するというのなら迎え撃つまでだし、逃げるのであればオルムと追うかどうか協議する必要はあるわね」
「このまま逃がす、という手は?」
ティアナが口を開いた。
「状況はこちらが不利でしょう。このまま敵が攻めてこなければ、静観するのも一つだと思いますが」
「確かに、ね。ただ騎士側がユティスさんの手紙によって動き出している可能性もあるから、それと連携してというのも一つのやり方ではある……けど」
ティアナに視線を送り、リザは問う。
「追わないとなると、あなた達の目的は達成されないわよ?」
「人命の方が優先です。私が思っていた以上にこの場は混乱している様子……情報を手に入れられないのは悔しいですが、それにより犠牲者が増えるなら、避けるべきです」
「さすが元聖騎士さん」
「聖騎士、候補です」
捕捉を入れたティアナは、次にユティスに目を向ける。
「ユティス様……それでよろしいでしょうか?」
「そうだね……僕も同意だ。こちらは騒動というより最早戦争になっている……ここまで大規模なことをしでかす以上、敵も相当厄介な相手かもしれない。無理に仕掛けるよりは、やり過ごす方が得策かもしれない。けど」
「けど?」
「騎士側とて、被害の実情を知れば黙ってはいないと思う……僕らが仕掛けないにしても、騎士達が交戦する可能性は高いんじゃないかな」
「確かにそうね」
リザが同意する。
「ここは派遣される騎士によって左右されるだろうから、一概には言えないわね……ま、私達はオルムや騎士達の動きに従うようすれば間違いないわ。私達だけで動くのは避けましょう」
「そういえばリザさん。先ほど敵を見て驚いた様子を見せていたけど……厄介な相手が?」
「チラッと見えただけだから、確定とは言えないんだけど……もし私が見た人物だとしたら、このネイレスファルトの中で五指に入る実力と言われる人物が敵に回ったことになる」
「五指……」
彼女の発言に、ユティスは険しい顔となった。
「南東部にいるはずの人物だったんだけれど、口車に乗せられて敵に回ったという感じかしら」
「もし戦うとしたら……?」
「相当強いから、できれば付き合いたくないわね」
リザさえもそう語るとなれば、避けるべきだろうとユティスは思った。