遭遇戦
リザの案内によりユティス達はとうとう西側に入った――その瞬間、空気が一変した。
例えばそれは、陽のあたる草原から冷気が存在する洞窟に入り込んだような変化。体の芯まで冷気が襲い、また硬質な雰囲気が周囲に立ち込めている。
「魔力が、ずいぶんと拡散しているわね」
空気の変化を、リザは魔力という言葉で表現した――彼女の言葉は正しい。
魔力というのは大気中にも存在しているのだが、普段は大気と結びつき知覚できない。だが、極端に魔力が噴出するような事例ともなれば、大気が魔力を吸収しきれず、空気が変わる。これは湿気などと同じようなもので、量が多ければ人に与える影響も大きくなるということだ。
「相当敵方が暴れているわけね……」
リザは歎息しつつ語った直後、路地を抜ける。そこには――
「あらあら」
彼女の声。正面には、幾人もの男の姿。彼らはどうやら男を袋叩きにしているらしく、怒号に近い声を上げる者もいた。
「弱い者いじめは感心しないわね」
リザは迷わずそちらに向かう。ユティスは後を追いつつ人数を確認。合計、十人。
「ん?」
一人の男が気付く。そして、
「……こっちはてめえの管轄外のはずだが?」
「応援を頼まれてきたのよ。後ろの人は私の連れ」
相手はリザに見覚えがあるらしい。そうした面々に対し彼女は不敵な笑みを浮かべて答えた。すると男は鼻を鳴らす。
「はんっ……お前と一緒でずいぶんと貧弱な連れだな」
「それはどうも」
「まあいいさ……丁度よかったぜ。お前が泣きわめいている姿も見たかったところだ」
「――力を持って自意識肥大になっている所悪いけど、喧嘩売る相手は選んだ方がいいわよ?」
リザの忠告に、十人の男達は耳を貸さず一様に体を向ける。見れば全員が明らかに魔具らしき装飾品や武器を所持している。中には高級品っぽい、こんな場所で身に着けるには場違いな品も混じっている。
その中には、ロゼルスト王国で使用している一般的な魔具とかけ離れたデザインの物も混じっており――ここでユティスは、一つの推測を行う。
(もしかして、色んな国の魔具があるのか?)
ロゼルストの魔具を発見したため、それだけかと思っていたが――ともあれ、正確なことは目の前の面々を倒してから判断すればいいだけの話。
「――覚悟しろや!」
男が吠える。同時、戦闘が始まった。
目の前の敵達は、無策の突撃を仕掛ける。それに対し、ユティスを含めた全員は指示されることもなく、さっと散開する。
「逃がすかよ!」
ユティスに対し、二人の男が仕掛けてくる。そこで、
(思い出せ……)
ユティスは冷静さを維持し、思考する――蘇る記憶。これを生かせば、魔具を持っている相手でも十分勝てるはずだ。
先行して剣を握る男が迫る。彼は魔力の多寡を探れば取り立てて力が発露しているわけではない。おそらく強度や威力を向上させる力が刻まれた剣なのだろう。
注目すべきは後方のもう一人。木剣を握っているのだが、その左手首にはアクセサリとも取れる青銅の腕輪。魔力を感じ取り――感覚で、風系統の魔具ではないかと判断する。
――ユティスとしては、こうした魔力探知も以前はこれほど上手くできなかった。だが、現在はできる。『精霊式』の魔法を思い出した影響だろうか。
(いや、これは……『精霊式』とは別の話か?)
考える間に、一人目の男が剣を振り下ろす。対するユティスはその軌道をしっかりと見極め、体を僅かに逸らして避けた。
傍から見れば紙一重にも見える行動。だがユティスはその動きが、体力を余計に消費させないための行動だと、頭の中で理解できていた。
(僕は『精霊式』の魔法を習得すると同時に、戦闘訓練も行っている……)
確信を抱き、それを改めて認識するために相手の懐に潜り込んだ。ユティスが握る右手の剣はあくまで相手の切り返しに対し攻撃を弾く盾のような役割。本命は左手の――風。
相手の胸元に向け、左手をかざす。突き込んだ、とか叩きつけたという表現ではない。そっと触れるかのように、優しげに相手に左手を向ける。
そして魔法を――刹那、螺旋状に収束した魔力が風となり、相手の胸元に叩きつけられた。
「がっ――!」
呻いたと同時に、その体が宙を舞う。威力はだいぶ殺している。とはいえ多少の間はまともに動けないだろう。
ユティスは続いてもう一人を見据える。一撃でのされるとは思っていなかったのか、彼は驚いた目をしていた。そこでユティスは一気に接近するべく動く。途端男は戦闘態勢に入った――後退して他の面々と連携しても面倒。だから一騎打ちになるよう接近したというのが、ユティスの前進した理由だった。
ユティスは牽制目的で剣を振る。それを相手は木剣で防御し、左腕をかざした。ユティスの基本的な戦法と同様、剣で威嚇し左手でとどめを刺す――そういうスタイルだろう。
だが、ユティスは理解していた。相手は焦って魔具を使用した――この時点で、勝負は決まった。
風が炸裂する。刃に変じたそれは紛れもない男の渾身の一撃。彼からすればやった、などと思う所だったかもしれないが、あいにくそうはならなかった。
ユティスは交戦する前から事前に結界を膜状にして体を覆っていた。もちろん力が戻る前からこうした技法を用い、自身の防御能力を高めてはいた。だが、第二領域以上の魔物や強力な魔具を装備する賊の頭目などでは、その効力も薄い。
『精霊式』の魔法が使えるようになったことで、その強度も上がったが――ユティスは理解できていた。自身の結界は、相手の攻撃を真正面から防御するだけのものではない。
風の刃がユティスの体を通過する――いや、正確に言えば結界で風の刃を受け流したと言えばいいだろうか。
魔法にはどんなものにも一定の流れが存在する。結界はそれを押し留め、防ぐ役割を持っているのだが、結界自体がその魔法の動きに干渉することで、相手の刃を自身の剣で弾き、受け流すように――魔法そのものを、正面からではなく弾くようにして防御することができる。
訓練を受けた騎士などは、これを通常結界と自身の動きと組み合わせて行い魔法を受け流し回避する。だがユティスは違った。極限まで体力の消費を抑えるため、結界だけで魔法を受け流すやり方を構築していた。
魔力の感触から、広範囲や高威力の魔法であっても応用次第でどうにかなるだろう――そう認識した直後、風はあっさりとユティスの横を通過した。
「なっ!?」
動揺を示す男。そこへ間髪入れずにユティスが風を叩き込んだ。結果、彼もまた倒れ伏し、仕掛けてきた二人の撃退に成功。そして迫られても冷静に対処し、また体が動いたことから、やはり戦闘訓練を受けていたのだと確信する。
(以前の自分なら……倒せなくはないけど、もうちょっとまごついていただろうな)
そんな風に思いつつも――ユティスは一つ違和感を覚える。体が失っていた記憶を基にして徐々に動き始めている。だが、感触が少し違う。具体的に言えば、想定していた以上に出力が出ていない。
(力が以前と比べ減っている……?)
今まで記憶を失っていた以上、完全に思い出せば戻る可能性も否定できないが――いや、とユティスは首を左右に振る。この違和感はそれとは大きく違う気がした。元々あった力が奪い取られて――という方が、ユティス自身しっくりとくる。
(その辺りが、記憶を封印した理由なのか?)
とはいえ、誰が何のためにというのはわからない。ただ、このタイミングで思い出し始めたという点を考慮した場合、魔法院と関わりがあるのではないかという推測はできる。
もしそうなら、記憶に関することも魔法院が――いや、ここはロイの独断ということだろうか。だがもしそうだとしても、ロイ自身に記憶を封じることのできる手段があるのかどうか――
(わからないことだらけだけど……今は棚上げするしかないな)
ユティスは心の中でそう断じると、視線を転じる。
他の面々も、大方勝負が終わっていた。近くにいたアシラは魔具をものともせず、剣を抜かないまま体術で相手を倒していた。リザも拳により撃破――ちなみにこちらは五人いたのだが、全員一蹴されていた。
そしてティアナに迫った一人もあっけなく――彼女の見た目から敵は一人で十分だと思ったのかもしれないが、その一人はご愁傷様としか言いようがない。
「大丈夫?」
全員気絶しているのを確認した後、袋叩きにされていた人物にリザが近寄る。相手である男性は「ああ」と短い声を上げ、
「助けに……来てくれたのか?」
「そういうこと。普段はいがみあっているけど、さすがにこんな状況じゃあね」
「助かる……あの道を真っ直ぐ進めば、オルムさんのいる場所だ」
「オルム?」
「さっき説明した西側の商人」
ユティスが聞き返すとリザは律儀に返答。
「わかったわ。ひとまずオルムの所に行くとする。そっちは?」
「俺はなんとかするさ……頼む」
「ええ」
リザは答えるとユティス達に目配せ。それと共に四人は路地へと入る。
「ユティスさんも、きっちり動けるみたいね」
歩きながら先頭のリザがコメントする。
「目覚めた力によって、ということでいいの?」
「そうなるね……何でこんな風になっているのかは僕もよくわかっていないから、説明できないな」
「ま、いいわ。戦力になるのだから文句は言わない……で、アシラさん」
「はい」
「剣を抜くつもりはなかったようだけど?」
「さすがに、ああした相手だと……」
言葉を濁す。下手すると殺してしまう、とでも言いたいのだろうか。
「あ、そう。それならそれでもいいわ。しっかり働いて」
「はい」
アシラは承諾し、一行はなおも路地を進む――やがて、それまでと異なった開けた場所に出た。
そこは、闘技場の目の前にある広場。
「拠点って感じね」
リザが評する。その言葉通り、現在闘技場前にはかなりの人数がたむろしていた。
全員が闘士らしく、等しく木剣を握っている。とはいえ今回の相手は魔具である以上、不利な戦いであるのは間違いない。人数はかなりのものだが怪我をしている者も多く、野戦病院のような、治療を施している場所も存在していた。