才ある兄
翌日、式典の日。城内で準備が進む中ユティスは夜まで部屋にいるつもりであった。
「あのー、ユティス様」
しかしセルナの呼び掛けにより、それができないことをはっきりと悟る。
「どうやらユティス様とフレイラ様の件が城内に知れ渡っているようなのですが」
「……ラシェン公爵やベルガと遭遇している以上、仕方ない話だと思うけどね。それがどうかした?」
「聞きつけたアドニス様が、ユティス様と話がしたいと」
「……そうきたか」
ユティスは憂鬱そうに息を吐く――アドニスとはユティスの兄であり、ファーディル家の嫡男。今は都に駐屯する十ある騎士団の隊長の一人であり、まさに武に対し類まれなる才を持った人物。
「えっと兄さんは確か、王家に関わる貴族のご息女と仲が良かったんだっけ?」
「はい、まあ」
「そうした関係を危惧して、余計なことはするなとでも言いたいのかな」
思ったことを口にした時、部屋にノックの音が。その打ち方にひどく聞き覚えがあり、
「セルナ、来たみたいだから通して」
「は、はい」
ユティスの指示に従い彼女は扉に近寄る。当のユティスも椅子から立ち上がり、迎え入れるべく扉へ近寄る。
セルナが開けると――そこには、ユティスと比べやや薄い色合いの青髪を持った、長身かつ白銀の鎧姿の男性が。
「久しぶりだな、ユティス」
「……うん」
問い掛けにユティスは小さく頷いた。
顔立ちは、ユティスがきちんと成長した姿そのものと言っても良い――兄弟として結構似ているのだが、醸し出す雰囲気が別物であるため、顔立ちが似ているにも関わらず兄弟ではなく騎士とその従士と言われたこともある。
「話は聞いたぞ。キュラウス家の次女は色々と厄介事を引き起こす人物だと聞いているし、お前が主体性を持ってここに来たとも思えない」
「それは……まあ」
頷くユティス。事実彼女の依頼に従いここまで来た。
「とはいえ、だ……私他、弟や妹としては今回ユティスが出てくることに驚き、どうするのか聞きたがっている」
(本当、疫病神だなぁ……)
心の中でボヤくユティス。ベルガが言っていた通り、式典で倒れられでもしたら――そう兄は思っているに違いない。
「……一つ、訊いていい?」
「構わない」
「僕以外の兄弟は、全員城にいるの?」
「ああ」
即答するアドニス。ユティスは「なるほど」と小さく呟き、回答を示す。
「僕としては兄上の意見を尊重したいけど……その、こればっかりは僕の一存で決められないというか」
回りくどい言い方――これには理由がある。アドニスは対外的に完璧な人間とまで言われている。ユティスから見てもそうだと思うし、他の兄弟だって同感だろう。
とはいえ――内に入れば外面を取り繕うために神経質と呼べる程の注意を行う人間でもある。外面を気にするというのは、嫡男であり家を汚したくないという心情からくるものである以上、ユティスも理解できる。そしてその指示に誰も逆らうことは許されないことであり、ユティスもこれまで逆らったことは一度もない。
(ここで拒否すると、怪しまれるだろうなぁ……)
だからこそ、ユティスは少し憚られたがフレイラに丸投げすることにした。
「相手である彼女に聞けと?」
「うん、まあ……」
「なるほど、ここに至っても主体性がないのか」
ため息をつきアドニスは言う――その言葉にユティス自身思う所もあったのだが、ぐっと堪えた。
「彼女に関する噂は聞こえているぞ。話によるとベルガと戦ったそうじゃないか」
「あ、うん、そうだね」
「そして、彼女が勝利した……噂だけでは、彼女は何かしら卑怯な手を使ったなどと言われているが、ベルガを支持する人間が言った出まかせだろう」
ユティスとしては驚いた。そうした噂が流れるのは予測の範囲内だったが、それを兄が嘘だと言い切るのが意外だった。
「真実はラシェン公爵が知っているようだから、暇があれば聞くとしよう……ユティス、仮に式典に出ることになっても、粗相のないようにしろ」
「はい……式典には、全員参加するってことでいいの?」
「ああ、そうだ」
ユティスの質問にアドニスは答え、背を向けた。
「お前の言い分はわかった。それならば相手である騎士フレイラに会うことにしよう……邪魔したな」
端的に告げると彼はあっさりと引き下がった。それにユティスは安堵し、扉を閉める。
「やれやれ……セルナ」
「はい」
「お茶を用意してくれるかな。短い会話だったけど、疲れた」
「はい、すぐに」
セルナは一瞬心配そうな顔をしたが、言及はせずお茶を用意するべく速やかに外へと出る。ユティスはそんな光景を眺めつつ、何度目かわからないため息をついた。
「今回の式典、荒れるんじゃないか……?」
呟き、ふと――フレイラは式典の最中どう立ち回るつもりなのか気になった。
そもそも、調査報告が中央に届いていない時点で勝負は決まっていた。フレイラによると報告の結果がいくら待てども現れてこず、式典が迫り自らが――という話のようだが、おそらく中央に届かずどこかで報告書が止まっているのだとユティスは心の隅で思っていた。
今更何事を言っても始まらないが――王を守るといってもその周囲には名うての貴族や重臣がいるはずだ。さらにそうした面々の子息や息女が周囲を彩り、そこへ食い込もうとユティスの家を含め多くの人間達が集まろうとする。その中で、フレイラはどう立ち回るのか。
一番の問題は、王をどう守るのか――敵がどのように襲撃か仕掛けるかわからない以上、王の近くにいた方がよいはずだが。
「ま……ここはフレイラに任せるしかないか」
呟いた時、セルナがお茶を持ってくる。ユティスは礼を述べ、広い部屋でお茶を飲み始めた。
* * *
その時フレイラは、式典がどのような展開になるのか探るためナデイルと共同で調べていたのだが――はっきりとした懸念を抱くこととなった。
「予想以上に辛い」
漏れた感想はそれ。式典はあくまで王を祝う宴であるため、政治的な様子は少ないものと見て、上手く立ち回れば王の近くへ移動できるかと思っていた。
けれど、王の式典であるからこそ重役が多数会場に現れる――よって王の周辺は非常に人が多くなる、というのが至った結論だった。
「やはりユティス様を利用するしかありませんね」
ナデイルが言及。その眼はユティスを思ってか少しばかり申し訳なさそうなもの。
「……フレイラ様、今回の護衛に際しユティス様に何かしらご依頼したのでしょう? 式典中は、彼と行動を供にするということでよろしいのですね?」
「……まあ、ね」
無関係だと言っているが――さすがにユティスを利用し王へ近づこうとした、という見解をナデイルはしかと確信しているらしい。
「同じ遠縁かつ、彼のご兄弟が王に近しい人物達と関係があるため採用したのでしょうが……正直、ユティス様を利用して近づくのは難しいのでは?」
「そこは考え直すことにする」
「加えユティス様ですが、襲撃された場合大丈夫でしょうか?」
「護身はそれなりにできるみたいだし、いざとなったら自分の身は守れるでしょう。むしろ、私の方が気を付けないといけないくらいだし」
一番の問題は、敵に襲撃された際果たして対抗できるのかどうか。そもそも魔法封じが行われるためフレイラの『強化式』もそれに準じ使用できなくなる――とはいえ、肉体に直接力を与えている以上、常人と比べて身体能力は向上している。
だからプランとしては、刺客に襲われた王をフレイラが守り、その間に会場内で式典に出席している騎士達が、素手ではあるが体勢を立て直すだろうから連携するというもの。ここにユティスの能力でその場に合った武器を作成することができるようになった――これは、何より大きい。
「……フレイラ様、一つよろしいですか?」
ふいにナデイルが口を開く。
「式典の詳細は私の耳に入っています。魔法封じのブレスレットがある以上、基本的に会場内で魔法を使用することはできませんし」
「わかっているわよ……もっとも、私の『強化式』は魔法封じがあっても多少ながら身体強化ができるけど……それがどうかした?」
「一番の問題は武器でしょう。フレイラ様の技量は私も認めますが、丸腰では非常に苦しいのは事実……やはり私達だけで護衛をするというのは無理があるのでは?」
「けれど現時点で襲撃のことを話せば無用な混乱を招くし、私達が牢屋に放り込まれるかもしれない」
ナデイルの表情は変わらない――対するフレイラは、肩をすくめた。
「ま、ここまで来た以上やるしかない」
そんな風にまとめ、フレイラは歩き出す――実際の所、フレイラはさして不安を覚えていなかった。
何しろユティスの存在がいる。彼の『創生』を使えば、全てとはいかなくともある程度解決できる部分がある。
「とにかく今は、王の近くへ行くことだけを考えましょう」
「……わかりました」
全面的に納得のいっていない様子のナデイルではあったが、主君の命であるためか素直に頷いた。
そこからフレイラ達は城内を進む――そしてふと、
「そういえば……ユティスの肉親に挨拶くらいはしておくべきかな」
上手く立ち回れば、王に接近できる可能性が増えるかもしれない。やっておくべきだった。
「……フレイラ様」
そこで、ナデイルが声を上げる。
「噂をすれば、ですね」
真正面の廊下に、一人女性が通り過ぎた。
「セルナ様と色々城で仕事をしていた時、あの方に会いに来られました……長女の、リシア様です」
「挨拶をしておこう」
フレイラは言うと、少し早足で女性が進んだ方向へ足を向ける。ナデイルはそれに無言で従い、廊下を曲がり――
「おや」
と、女性と向かい合って話をする騎士鎧を着た人物が声を上げた。
「フレイラ様ではないですか」
「……あなたは?」
初対面だったはずなので疑問を呈す。すると相手はにこやかに笑みを浮かべ、
「アドニスと申します」
(……長男か)
フレイラはすぐさま姿勢を正し礼を示そうとしたが、アドニスがそれを止める。
「お待ちください……まずはこちらから挨拶を。リシア」
「はい」
と、次に応じたのはリシア。やや波打った腰まで届く金髪と、くっきりとした二重に大きな瞳。化粧っ気がほとんどないにも関わらず、相当な気品を振りまいている。
「初めまして、フレイラ様。ユティスの姉である、リシアと申します」
「……フレイラと申します」
彼女に合わせ名を口にする。すると、
「私はアドニス……お噂は、聞いております」
「私がベルガを打ち倒したことも?」
皮肉気に問うと、アドニスは苦笑した。
「その辺りのことも、もちろん聞いています……彼の話していることと、立ち合いを行ったラシェン公爵の説明にずいぶんと齟齬があるようですが」
「……どのような内容であっても、ユティスを邪険に扱っているというわけではないですよね? ならどう言われようが構いませんよ」
フレイラはそんな風に返答したのだが――途端、アドニスの顔が曇る。
「……今回の式典について、少しお話が」
「彼が出席することをやめてくれ、ですか?」
フレイラは先読んで尋ねると――リシアが驚き、アドニスは苦笑した。
「……こう聡明だと、やりにくいですね」
「体が弱く、あんな場所に出して倒れてしまえばとんだ大恥をかく、というわけですね」
ズバズバ大剣で叩き斬るような物言いに、さらにアドニスは苦笑を続ける。一方のリシアは完全に悟られたためか、口をつぐむ他ない様子。
「その返答は、ノーと言っておきましょう。私とて重要な舞台ですし」
「……交渉の余地はないと」
――その時、フレイラの頭の中で一つ閃いた。この状況下で、上手く王に接近できるきっかけを。
やり方は、今以上に強引なもの。けれど、そのくらいしなければ王の近くへは潜り込めないと断じ、口を開く。
「……殿方であり騎士であるなら、私を無理矢理押さえつけてもいいのではないですか?」
提案した直後――フレイラの背後にいるナデイルの気配が変わった。けれど、フレイラは無視。
「そう強硬手段に出るつもりは……とはいえ」
と、アドニスはフレイラと視線を交わし――その好戦的な瞳の色に気付いた様子。
「……あなたはユティスとの婚約に箔をつけるべく、なりふり構わず必至というわけですね」
フレイラは無言の笑みで応じる。対するアドニスはため息をついた。
「つまり、あれですか……もし自分が勝ったなら、その武勇に陛下も興味を抱き、お目通りが叶う可能性が高まると」
「ええ」
臆面もなく答えると、リシアが驚き手で口元を抑えた。
「ここまで強硬な手段をとるとは、思いませんでしたよ」
「私も自分で驚きです。こうしてあなたと遭遇し、こういう機会を与えられたのですから」
「……ふむ」
と、そこでアドニスが何やら考え始めた――フレイラはすぐに悟る。彼の中にも、少なからず打算があるはずだ。
もし決闘を受け、自分が勝てばアドニスとしてはユティスが式典に参加しなくなり、自分の思い通りの結果となる。反面、万が一自分が負けるようなことがあれば――騒動となり、フレイラに対し王が色々と興味を抱くのは間違いない。
それと共にユティスを引き合わせることになるだろう。フレイラには王がファーディル家の事情を知っているのかなんてわからなかったが、ここで負けてしまうとかなり面倒事になるのではと考えている。
とはいえ、フレイラの無謀さはこの短い会話で認識しているはず――もし式典に不参加となれば、何をしでかすかわからない。
「……いいでしょう」
そして導き出した結論は、承諾。フレイラはそれに笑みで応じ、
「場所はどこにしますか?」
「訓練場に行きましょう。今日は式典準備のため教練もない」
言って背を向けるアドニス。リシアも追随するようで、共に歩き出す。
それを見ながら、フレイラもまた足を動かず。ナデイルは何一つ応じることなく――いや、最早あきらめたのかもしれない。
(ひとまず、アドニスも理解しているでしょうね……この戦いの結末を)
フレイラは内心思いつつ彼に追随し続けた。
* * *
一方、ユティスは――アドニスとフレイラが決闘するという事実を偶然耳にして、部屋の中で頭を抱えることとなった。