誘う存在
「ぐ……おお……」
ジェドがどうにか立ち上がったのは、リザ達が去っておよそ一時間も後のこと。倒れうずくまる間に嘲笑の目が向けられ――その一つ一つに対し、ジェドは憎悪を覚える。
「奴め……」
呪詛を呟くように口を開く。ジェドの頭の中には、先ほど返り討ちにあったリザのことで埋め尽くされていた。
強い、というのは紛れもない事実だろう。全力の一撃をあそこまで容易く避けるとなると、ジェドと比較しても技術的には上――しかし、そうした現状を踏まえても、ジェドの頭は冷静にならなかった。
「殺す……必ず……」
ゆっくりと歩き始める。憎悪が外に漏れ、近寄りがたい雰囲気を発する。だが言葉に反し動きはまだヨロヨロとしており、近くを通りがかった街の男が嘲笑する。
それにジェドは意味不明な言葉を発し、喚いた。途端、嘲笑した男は苦笑しながら退避する。
「くそっ……奴は――」
「探しても無駄じゃないかな」
ふいに、声がした。それがジェド自身に向けられたものだと悟り、視線を転じる。
いつのまにか――ジェドが先ほどまで倒れていた場所に、十二、三くらいの少年が立っていた。ダークブルーの瞳に、映えるような金髪。貴族服であったため、傍目からはこんな路地に立っているような人物ではない。
「お前は――」
「さっきの女性を探すつもりみたいだけど、おそらくそれは無意味じゃないかな。今のあなたがどうやっても勝てないでしょ?」
茶化すように問い掛ける。それにジェドは内に怒りが溜まる。
「黙れ小僧……!」
「そう怒らないでよ。僕はホラ、あなたに助言しにきたんだから」
少年はにこやかに告げる……無邪気さは一切ない。舞台で作り笑いをしているような顔。同時にジェドは、少年から政争を渡り歩いたような老獪な印象を受ける。
「助言、だと?」
ジェドは問い掛けると同時に、握りしめていた木剣を構える。
「お前、何者だ?」
「さっきの戦いを物陰から隠れながら見ていた野次馬だよ……ご愁傷様だったね。あんな負け方したら、それだけ怒るのも無理はない――」
傷口に塩を塗り込むような言動に、とうとうジェドは少年に踏み込んだ。
木剣で打ち据えたら、体重の軽さもあって相当吹き飛ぶだろう。下手をすると肋骨が数本砕けるかもしれない――そんな想像をしたがジェドは怒りに任せ木剣を振るった。
だが、少年に届く寸前で、剣が止まる。
「な――」
動かない。少年に届こうとしていた剣が、まるで意思を持ったかのように止まる。
「残念だけど、僕には通用しないよ」
声と共に、ジェドは一つ気付く――少年に宿る、その瞳。
「『彩眼』……だと?」
「お、よくわかったね」
笑みを浮かべる少年――目の前にいるのは、絶対的な力を有すると言われる『彩眼』所持者だというのか。
「さて、この異能の前にはあなたの力が通用しないのはわかっただろ? 僕のいう事をおとなしく――」
ジェドは攻撃をやめ後退する。先ほどまで硬直していた木剣が動き、ジェドは多大な警戒と共に剣を構え直す。
「ふむ、ちょっと気合を入れなさすぎたかな」
頭をかく少年。ジェドがあっさりと異能を脱したのが心外とでも言わんばかりの様子。
「ま、いいや。で、どうするの? 助言をしに来たんだけど……受ける気にはなれない?」
そう告げると、少年は両手を左右に広げた。
「それとも、こんな少年の戯言なんて聞く耳持たない?」
「……お前は、何者だ?」
少年、貴族服、そして『彩眼』――増える情報にジェドは訝しげな視線を向ける。
「なぜ異能者がこんな所にいる?」
「悪いけど質問に答えるつもりはないんだよね」
少年は肩をすくめる。
「僕が言いたいのは一つだけ……助言……いや、強くなりたいかどうか。僕と一緒に来てくれるなら、あなたのことを強くできるかもしれない。受け入れるか、受けないか……どうする?」
「受け入れた場合はどうなる?」
「僕と一緒に、とある所までご同行願いたいな」
「受け入れない場合は?」
「どうなるだろうね」
はぐらかす少年。とはいえロクなことにならないのだけは、なんとなく理解できる。
「なぜ俺に干渉する?」
「いや、特に理由はないよ。ただ……そうだね、言ってみれば――」
と、少年はジェドに対し意味深な笑みを浮かべた。
「単純に、力が欲しいだろうなと思ってさ」
――途端、ジェドの中で先ほどの戦いが思い起こされ、憎悪が発生する。
「お前……」
「言っておくけど、僕自身は善意で話しかけているんだよ? それにさ、闘技大会出場者となればそこそこ強いだろ? あの女性と戦うまではあなたが一方的なわけだったんだから」
少年はそこまで語ると腕を下ろした。
「ま、正直に言っちゃうと受け入れない場合はそのままこの話は忘れてくれと告げて終わるだけだよ。僕は諸事情により自衛手段としてしか異能を使わないよう言われているしね。もし逃げられたら、僕は追いようがないし」
「俺が街にいる騎士に言うとは思わないのか?」
ジェドが問う。それに少年は眉をひそめた。
「というと?」
「こんな路地で異能者が活動していること自体怪しい……悪だくみをしているんだろう?」
「まあ、そうだね」
あっさり肯定する少年。対するジェドは少しばかり苛立ちながらも、続ける。
「お前が何をしているのか知らないが……裏でコソコソとしている様子。騎士に知られたくはないんだろ? 俺がこの場から退散し、騎士に連絡するとは思わないのか?」
「僕は僕なりに考えがあって……あなたが話をしないだろうなと確信しているわけだ」
「何?」
「もし報告したとしたら、君が女性にボロ負けしたことも噂で広がってしまうかもよ?」
本当にイラつく言動だった。思わずジェドは足を踏み出したが、先ほどの異能を思い出し仕掛けることはしない。
「ま、それにさ。こんな路地裏で戦っているような人間が、騎士に報告するなんて想像もできないし」
「……だから俺に声を?」
「そういうこと。実際、話すつもりはこれっぽっちもないんだろ?」
それ自体は正解だった。もしこのまま宿に戻れば、面倒事を避けるために少年と話したことだって忘れるはずだ。
「最後のチャンスだ。僕についてくるかついてこないか……この場で決めてくれ」
少年が最後に言う。そこでジェドは考えた。どう考えても怪しい――だが、
ジェド自身、腕に覚えがあり闘技大会に参加した。予選は余裕で勝ち残る事ができた。この調子ならば本戦でも勝ち進み、どこかの国の目に留まっても――などと思ったが、先ほど無残にもやられたことを振りかえれば、おそらく本戦ではどうにもならない――そんな風に、ジェドは考えた。
それに対しても苛立った――俺はこの大会で名声を得に来たのだ。それを、潰えさせるわけにはいかない。
そして目の前の少年は、強くなる手法がある様子――正直こんな路地で会話をする以上、まともなものでないのは間違いない。しかし、
「……確認しておくが」
ジェドは問い掛ける。
「それは、闘技大会においても活用できる代物なのか?」
「もちろんさ。闘技大会にはきちんと出られるよ」
「強くなるとして、お前らに何かメリットがあるのか? でなければこんな話、持ちかけないだろ?」
「うん」
頷いただけ。詳細を話す気はないらしい。
まあいい――この上なく怪しいが、もし危なくなれば逃げればいいだろう。
そういう軽い考えと、心の底に存在する怒り――それが混ざり、ジェドはとうとう承諾の言葉を口にする。
「わかった。いいだろう」
「そうこなくっちゃ。では行こう」
指を鳴らし、彼は先導し始める。その時、彼は少年の笑みを再度見た――やはり、老獪さが滲み出る、嫌な笑顔だった。
* * *
ユティスとイリア。そしてアシラは家から出て、時刻が昼ということもあったので、昼食ということになった。
「本当は飯屋でも行くのがいいんだろうけど、人がごった返す場所で騒動起こされてもたまったものじゃないからね」
リザはそう説明し、気絶したアシラと遭遇した広場まで戻ってきた。昼ということもあってか、先ほどはなかった露店が存在していた。
そういった店を見ながら、リザはユティスへ告げる。
「ほら、おごってあげるわよ」
「あ、いや、僕は……」
「いいのよ。それより、報酬よろしく」
最後だけ小声。ユティスとしては困ったなどと思いつつ、露店に目を向ける。
どうやら闘士を相手にして販売を行う店らしい。近づくとサンドイッチなど割と普通なものが売られている。
「何か失礼なこと考えていない?」
リザが目ざとく問う。ユティスは「何でもない」と答えつつ、リザが四人分の弁当を買う様を眺める。
「で、あの辺で」
そして広場の隅、一本大きな木が生えている木陰を彼女は指差す。
ご丁寧にそこには休憩用のテーブルと椅子が設置されている――高級感のある物で、ずいぶんと場違いな印象を受ける。
「あのテーブルと椅子……」
「どっかの貴族が捨てて行ったのよ。使えるのにもったいないでしょ?」
イリアの呟きにリザが応じる。なるほどとユティスは思いつつ、椅子に着席した。
リザから弁当を渡され、食事が始まる。こんな悠長にしていていいのかなどと思ったが、空腹感があるのも事実だったので、ひとまず腹を満たすことにした。
座った位置はユティスの正面にアシラ。そして右隣にリザ。対角線上にイリア。奇妙な位置だと一瞬思ったが、おそらくリザが配慮したのだろうと考え直す。
弁当を見ると、メインはサンドイッチだった。一口食べてみると、中々のもの。貴族の身であるユティスは普通の人と比べれば舌が肥えているという意識はあるのだが、そうだとしてもうまいと思える。
「どう?」
「うん、美味しい」
リザの問いかけに率直な感想を呟くと、彼女は満足そうに笑顔を見せる。
それから和やかな空気の下で食事が進められる。とはいえユティスとしてはアシラに対しどう話し掛けるかで悩む。
(さっきの交渉だってリザさんが一方的に始めたことだしなぁ……)
どう切り出すか――そう思った直後、助け舟は彼女からやって来た。
「ところでアシラさん。一ついいかしら?」
リザが問う。すると彼は途端に背筋を伸ばす。
「は、はい」
「……何でそんなに緊張するの?」
「いえ、あの、その、なんというか」
しどろもどろ。これは単に人と接し慣れていないせいではないだろうかと、ユティスは胸中思う。
「ふむ、会話することに慣れていないのか」
同じようなことをリザも思ったらしく、口元に手を当て何か考え始めた。