転生前の記憶
前世の記憶として彼が一番最初に思い出せるのは、転生する直前に遭遇し死に至った原因である交通事故だ。
数多くある思い出の中で最後の出来事を克明に思い出せるのはそれで死んでしまったからというだけでなく、何か他に理由があるのかもしれないと転生後の世界で彼は思うことがある。
その日、いつもの時間に起床し朝食をとり、家を出発し電車に乗り、学校最寄りの駅に到着し他の生徒に混じって登校した。
いつものように歩道を、会話をしながら通学する男女を抜かしながら進む。彼はその日、奇妙なことに自身の人生を振り返っていた。なぜそんなことをしたのか転生した彼自身もよくわからなかったが、その日何かあると体が予感していたのかもしれない。
その時人生を振り返って――彼は、可もなく不可もなくという結論に行き着いた。小中高と特段不満も無く進学し、転生する前は退屈な日常だと何度も思った。
クラスの中心的な存在になるようなことは一度も無かったが、かといってイジメのようなことに遭遇したことも無かった。友人も少ないながらそれなりにいて、休みの日にはゲームでもやって過ごしていた。親に叱られるようなこともあまりなく、不満もそれほどなかった。ちなみに初恋をして告白し見事フラれたという経験なんかも持っている。
これはきっと幸せなことなのだろうと彼はなんとなく思ったが、今送っている人生しか知らない以上、本当にそれが幸せなのか不幸なのかはわからないとも考えた。
ただ一つ言えるのは、その時あまり不満も無く学校生活を続けていた。幸せの基準が相対的なものではなく主観的なものだとすれば、多少なりとも幸せなのかもしれないと彼は傍観者的に思った。
そして次に将来のことを考えた。テストの点数はそれなりで、それなりの進学校に今は通っている。将来はきっとそれなりの大学に入学してそれなりの会社に就職して、その内結婚でもして家庭を持つのだろう――とか、彼はその時勝手に想像した。
そうした未来へ進むための、今日は単なる通過点――結論付け、時折早足で進む学校の友人に声を掛けられつつ、ゆっくりと一人で歩んでいた。
変化が起きたのは、学校の敷地が見え正門が近づいた時。どこからかクラクションの音が鳴り響き始めた。
「……ん?」
いつもの日常とは少し異なった変化に、彼は眉をひそめ周囲を見回す。同時に近くにいた生徒数人も、似たような表情を示しているのにその時気付く。
音は進行方向から近づいており、彼はなんだか嫌な予感がした。
次に喚声が上がる。そこでようやく彼にも状況が理解できた。乗用車が一台、相当なスピードで爆走していた。
何が――彼はなぜそうなっているのかと疑問に思いつつ、身構えた。歩道には縁石があるため突っ込んでくるようなことにはならないと思ったが、凄まじいスピードで突き進む車を見て、嫌な汗が出てきた。
近くの女生徒が悲鳴を上げる。さらに校門から出てきた教師らしき人間が何事か叫ぶ。学校前が混沌とし始めた時、車が対向車線に飛び出た。そして、反対車線にいた車と衝突し、ガラスの破砕する音と鉄がひしゃげる鈍い音が周囲にこだました。
彼は顔をしかめ、早く嵐が過ぎ去ることを祈った――直後、暴走する車が対向車と衝突したことにより、浮いた。
「――っ!!」
彼が驚愕すると同時に、車が速度を維持しながら――縁石を越え、
彼の目の前に、突っ込んできた。
次の瞬間、彼の中で景色がスローモーションになる。その中で理解できるのは、運転席――若い男性が、顔を真っ赤にしてハンドルを握る姿。もしかして飲酒運転――そういう推測がよぎると共に、彼は死ぬと直感した。
走馬灯でも起こらないかと思ったのだが、それよりも死ぬという厳然とした事実が差し迫ったことで、何も考えられなくなった。
車が迫り、彼はそれを凝視するしかなくなる――そして、前方が車で埋め尽くされ車体が体に触れた瞬間、
意識が、暗転した――正確に言えば、そこで記憶が途切れていると言った方が良いかもしれない。
次に意識が蘇った時、彼は赤ん坊だった。とはいえこの時点では転生したなどという事実を理解したわけでもなく、ただ母親の胸に抱かれるだけだった。
前世の記憶は、年齢を重ねるごとに少しずつ思い出していった。三歳の時、前世の三歳の記憶が蘇り、十歳の時小学生高学年の記憶が蘇る――という風だった。そのため彼が全ての記憶を思い出したのは、前世と同じ年齢に達した時だ。
そして――可もなく不可もなくという結論に至った転生前の人生を思い返した時、彼は深く嘆くこととなった。