第一幕(3)
激動の一夜が明けて。着替えを済ませ、俺はふかふかのソファーに座っていた。服も靴も借り物。何だか、落ち着かない。
部屋にはエマと昨日の男、眼鏡をかけたもう一人の男がいる。着替える前に、医者だという彼の診察を受けた。健康に問題はないそうだ。
「まずはこちらの事情を説明しようか」
昨日の男が口を開いた。
「俺はフレッド。エマの従兄で、この屋敷の主だ」
従兄。言われてみれば、茶色い髪や瞳はエマに似ている。彼女より少し年上、二十歳は過ぎているように見える。
「こっちはクラウス。俺の友人兼主治医兼……その他もろもろだ」
僅かに頭を下げた眼鏡の男も、フレッドと同年代のようだ。
「昨日は驚いたろう? エマが『すぐに逃げないと殺される』なんて連絡するもんだから、俺達も焦ってしまった」
「嘘は書いてない! でも、ロイに詳しい話をせずに巻き込んじゃったのは認めるわ。反省してる」
隣でしょぼんとするエマに、首を振ってみせる。
「ただ、あの施設がおかしいのは間違いないんだ。孤児院の看板を掲げちゃいるが、許可も取ってなければ地図にも載っていない。つまり、あの施設は公には存在しないことになっている」
フレッドはグイ、と身を乗り出して俺を見つめる。
「すると施設にいる子供達は一体何なんだ、という話になる。だから、おまえの話を聞かせて欲しい。おまえはどうして、あの施設にいたのか」
「どう、して……っ!?」
ズキッと頭痛が走った。昨日の夜と同じだ。
「フレッド、性急過ぎます。ロイ、彼の質問に答えられなくても構いません。今の状況を教えてもらえますか?」
クラウスがフレッドをたしなめて俺に向き直る。
「頭が痛い、です。思い出そうとすると、いつも……」
「では、無理のない範囲で答えてください。昨日のできごとは覚えていますね?」
コクリ、と頷く。
「一昨日はいかがです? そうですね、一昨日の朝食のメニューは思い出せますか?」
朝食のメニュー? 毎日同じだと思っていたから、考えたこともなかった。
改めて何を食べたのか思い出そうとしても、何も浮かんで来ない。考えれば考えるほど、本当に朝食を食べたかさえ怪しくなる。
「分かりません。頭は痛くないけど、ボンヤリしてて」
素直に答えた。クラウスはふむ、と唸って、質問を変えた。
「あなた自身のことをお聞きします。生年月日や出身地は、分かりますか?」
条件反射のように頭痛が走る。
「歳は……十五、です。多分……でも、それだけしか」
「分かりました。無理をさせましたね、顔色が真っ青です。少し、休んでください」
クラウスの指示でソファーに横になる。エマが膝に俺の頭を乗せ、優しく髪を撫でた。
「おい、どうなっている?」
「施設の記憶が残らないよう、薬物を与えられていた可能性があります。彼から施設の情報を得るのは不可能でしょう。また、過去を思い出そうとすると頭痛が起こるのも、機序は分かりませんが人為的になされたのではないかと」
目を閉じた。フレッドとクラウスの声が聞こえる。
「治るのか?」
「記憶障害は薬物の摂取を止めれば治ると思います。しかし、頭痛の方はまったくお手上げですね。何しろ機序が分かりませんから」
じゃあ、治らないんだ--心の声が聞こえたのか、クラウスが続ける。
「この先どうなるか分からない、という意味です。いつかフッと思い出すかもしれないし、一生思い出せないかもしれない。頭痛に耐えて無理に思い出そうとするのだけは、危険なので絶対にやらせないでくださいね」
「分かってるよ。無理強いはしない」
「無理強いは論外です!」
二人の声が段々遠くなる。エマがくすくすと楽しそうに笑う声も--。




