物言わぬ駒のように
本編への導入を忘れないように本編にかする程度で書くのは難しいですねー。こういうものを書くのは初めてなので、導入にすらなっていない可能性も高いです。むしろなってます。
「混沌とした現実の中ではありますが、せめて夜にはいい夢を。シイナ」
半ば無理矢理に彼を部屋から追い出して、私はベッドの上に静かに横たわった。深呼吸すると、わずかに高鳴っていた心拍数がだんだんと平常まで下がってくる。
不思議な感覚の余韻に浸りながら、私の意識は眠りの世界に引き込まれていった。
最先端科学の結晶にして、至高のVRMMOと銘打たれた[FreiheitOnline]。
店頭やオンラインショップでの発売を前に大々的に宣伝されていたそのゲームに興味を抱いたのは、CMで放送されていたプロモーション・ムービーを見た時だった。
雲を突き抜ける巨大な塔。本物そっくりの疑似感覚。見れば見るほど興味を引かれる多種多様な動物。そしてプレイヤーは直接動かせるアバターという身体を持つ。
これなら私の願いも叶うかもしれない、そう思って内心はしゃいだ。
昔から私は、あらゆる物事にまったくといっていいほど興味を示さず、周囲からの感想の中にはいつも『感情が薄い』という言葉が含まれているような子供だった。
主観ではただ冷めているだけだろうと思っていたが、周りからすれば表面上『無欲』として映るらしいとわかったのは、私が一般的な小学二年生にあたる年齢の頃だった記憶が残っている。
両親と話している時に、
「何か欲しいモノはある?」
と訊かれ、
「ない」
と答える。
そんな定型文じみた遣り取りの後に母親が漏らす呟きは、字面は違えどいつも『無欲な子』が主旨のセリフだった。
当時は知らなかった言葉に
『自分は"ムヨク"な子なんだ』
と幼心に納得していたが、十四歳を前にして偶然『無欲』という言葉の意味を知り、違和感を覚えた。
私は無欲ではない。
ただその欲求の示しているベクトルが、『モノ』ではなく『コト』だっただけだ。私の場合はいくら欲しても叶いそうにない夢だったけれど。
幼い頃の私は、『何か欲しいモノはある?』訊かれたから『(欲しいモノは)ない』と答えていたに過ぎなかったのだと実感し、少し可笑しくなった。
そんな私が初めて興味を示し、物心ついてから初めて言った『欲しい』だったからこそ、母親はあんなに喜んでくれたのだ。
そして発売日当日、前日から仕事の有給をとって、慣れない徹夜までして店の前に並んで神経制御輪とパーソナル・オンライン・デバイス通称PODを買ってきてくれた母親に改めて感謝を新たにしたのも記憶に新しい。
取扱説明書にひととおり目を通した後、アカウントを作成。そして両親への感謝も込めて現実の外見そっくりに作ったアバターで[アンダーヒル]としてFOフロンティアの大地に降り立った私は――。
「ちゃんと……歩ける……」
よろけそうになりながらも、自分の足で立って広大な世界にある種の感動を覚えた。ただの夢だと思っていた、どんなに願っても叶わないと思っていた夢が叶った。自分の身体じゃなくても、それがアバターの感じている擬似的な感覚だったとしても、その地面を踏みしめる感覚に酔いしれていた。
坂下結羽という少女は生まれつき身体が弱かった。小学校に上がる頃には歩くどころか立つことさえままならなくなり、それからはずっと田舎の小さな病院でほとんど寝たきりの生活を送っていた。
かと言って自分の境遇を憐れんだり嘆いたりはしなかった。前述の通り私はどこか冷めた子供だったし、そういうことはむしろ周りが全てやり尽くしてしまったため『今さら私が――』と白けてしまったのだ。『今さら変わりようもない』と諦めてしまった面もあった。ひとつ心配があるとすれば、何も理解していない子供の頃に両親に残酷なことを言っていないか、というぐらいだった。
「仮想空間でも……疲れるんだ……」
私は、アンファングという小さな村の中央広場の端に据えられたベンチのひとつに座って休んでいた。広場の中央では新規参加者たちが次々と現れて、大騒ぎしながら方々へ散っていく。
ベンチに座っているのは私くらいで、他の人は皆あっちこっちを歩き回って、広場からどんどん出ていっている。
メニュー画面の上の方にスタミナのゲージがあるようだが、まだ半分以上も残っているところを見るとこの疲労感は現実世界での運動不足が原因だろう。アバターを操作するのは脳から出る微弱な生体電気を利用しているらしいから、運動量のギャップに脳がついていけていないということだろうか。
加えて症状を訴えるなら、私は病院とはうって変わった人混みと喧騒に思いっきり酔っていた。心がへし折れそうなぐらいには気持ち悪い。気分が悪いと言うよりは頭をぐるぐると揺さぶられているような感覚だ。
そしてその慣れない感覚でさらに酔いは進行し、悪循環に陥っていた。
(やっぱり静かな病院辺りが、私にはあっているのかもしれ――)
「大丈夫か?」
(――ない?)
日の光に晒された両目を細めつつ、かけられた声に反応して顔を上げると、
「影魔族……!?」
いつのまにか目の前に立っていた誰かが、いきなり人の顔を指差して何事か呟いた。第一印象は『失礼な人』で確定だ。
「あ、えっと……大丈夫?」
逆光で顔まではよく見えないが、声から察するに男性だろう。
腰を屈めて、両膝に手を突っ張るような感じでこっちを覗き込んでくる。
「誰ですか?」
まるで私を子供扱いしているような振る舞いにらしくもなくカチンときて、少し刺々しい口調で言ってやった。もしかしたら強がりもあったかもしれない。
「誰ときたか……。こっちではシイナとしか名乗りようがないんだけどな」
男は困ったような顔で自分の頭上を指し示す。確かにそこには緑色の文字で[シイナ]と表示されていた。訊くまでもなかったことをわざわざ訊ねてしまったのが急に恥ずかしく思えてしまう。
「私に何の用ですか?」
「何の用か……、それも最初に言ったはずなんだけどもしかして聞いてなかったか?」
面識のない男が最初に言った言葉なんて記憶に残るわけがない、と言いたいところだが、私は残念なことに人一倍記憶力がいい。思い返してみると男が『大丈夫か?』と声をかけてきた記憶が鮮明に残っていた。
そして再び、顔から火が出そうなくらい恥ずかしくなった。気質柄感情が表面に出ることはなかなかないが、先人の作り出した表現力豊かな文言は使える機会に使っておくべきだと思う。
「具合が悪そうに見えたからな。もしかしたらVR酔いでも起こしたんじゃないかと思って声をかけたんだ」
「VR酔い?」
「詳しくはわからないんだけどな。最初だけ脳への負担が大きいらしい。それで人によっては気分が悪くなるらしいから」
それは一般的に『酔い』に分類される症状とは思えない。どちらかと言えば知恵熱の方が合っている気がする。
「たぶん私が酔っているのはこの人混みと騒がしさです」
「……そんな酔い方あんのか?」
「わかりませんが」
シイナは不可解そうに首を捻り、
「まあいいや。えっと……見たことない名前だし、ベータテスターじゃないよね?」
「ベータテスターとは何ですか?」
「バグとか操作性やシステムの不都合を見つけるためにやる試験的なサービスに参加したプレイヤーのことだよ。その試験的なサービスのことをベータテストって呼ぶ」
「バグとはなんですか?」
「え、えっと。プログラムを作った時にチェックで見つけられなかったミスって感じかなぁ……」
「そうですか。それで私がそのベータテスターでなければ何なのですか?」
「あ、ああ。俺はベータテスターでね。今日から数日間は困ってそうなプレイヤーを助けたり手伝ってやるように、ROL側から頼まれてるんだ。アルバイトみたいなものかな。何人かは声かけたんだけど遠慮してんのか断られてばっかりなんだよな」
「そうですか。それでなぜ私に声をかけたのですか?」
「なぜって、何度も言うけど具合が悪そうだったから……って、なんか俺が恩着せがましいヤツみたいになってんだけど」
そこで初めて気づいた。
人が具合が悪そうなら、心配するのは当たり前のことだったのだ。
(病院暮らしの弊害……かな)
私の病室を訪れるのは、基本的には自分より健康体の人ばかりだ。私の具合が悪いのはいつものことで、私のことを知ってる人は変に不安がらせないように心配する素振りを見せないのが普通になってきていたから、常識的な感覚というものを見失っていたのかもしれない。
「ご心配をおかけしてしまったようで申し訳ありません」
「いや、謝られても困るんだけどな」
「困らせてしまって申し訳ありません」
「お前、コミュニケーション能力皆無な」
「特別親しいわけでもない私に対して、失礼な物言いに当たるとは思いませんか?」
「相手が失礼な場合はその限りではない」
「私的意見としては、条文の補足みたいに言わないで欲しいですね」
「よし。不毛な気がしてきたからこの辺で打ちきりにしておこう」
「同意します」
人見知りと言うほどではないが、初対面の人とこんなに素をさらけ出して話したのはいつ以来だっただろう。
――たったこれだけの会話が、シイナとの初対面の記憶だった。
パチッと目を開くと、部屋の中はまだ真っ暗闇に包まれていた。
「まさか忘れられているとは、ね……」
そのせいでシイナに対する印象は、第一印象から変わらず『失礼な人』のままだ。
別に何か特別な感情があるというわけではないけれど、自分だけが覚えているという状況はどこか悔しい。
『自由』を名に冠する[FreiheitOnline]だが、現在、本来のスタンスを逸脱したルールに支配されている。
一つ目はログアウト不可能のルール。
詳しい状況はわからないが、ハッキングによってシステムに侵入したのだろう。メニューウィンドウから[ログアウト]のボタンが抹消され数百万人のプレイヤーが仮想現実に閉じ込められた。
そして二つ目は自演の輪廻と呼ばれるルール。
最も簡単に説明すると、『[DeadEnd]=戦力外通告』となる。一度ライフが0になるとレベル1に強制ドロップアウト。武器・防具・アイテム・スキルに至るまで全てを剥奪されてしまう。それに加えて死亡地点での強制蘇生処置。下手に危険地帯で死のうものなら、精神崩壊するまで殺され続けかねない。
既に痛みのフィードバックシステムは現実感に則したスリルを楽しむものではない。最悪の方向に働いてしまっている。
そしてこの事態を引き起こした元凶は≪道化の王冠≫と名乗る集団。どうやら表面上ギルド扱いのようだった。判明しているメンバーは、『最強』の[儚]と『爪刻の夜烏』[クロノス]の二人。どちらもベータテスターでありながら、特に最近はいい噂だけでなく悪い噂も聞かない。
私、物陰の人影は漏れる情報を意図的に制限し、可能な限り個人を特定されないようつとめているが、この二人に関する情報の消え方は不自然だった。まるで高度な情報操作が行われているような――。
ピピピピ……ピピピピ……。
(音声通信……?)
ベッドから身体を起こし、目の前に表示された電話のアイコンをタッチして、通信ウィンドウを開く。
『[魑魅魍魎]さんからの音声通信を待機させています』
無視してもいいことはないどころか、無視すると面倒なことになる人物だった。
(平常心……平常心……)
静かに深呼吸して、通信回線を開――
「ヘイヘイ、シャドウちゃん、元気ィ?」
いつも通りの耳障りな音が聞こえてきた。この世界には受話器がなく、音声は耳元で流される。受話音量を極小に落として、再び相手の言葉を反芻すると、
「今回の騒動はやはりあなたなのですか、ドクター?」
「うんうん、そだよー。カッコいいでしょォ? 惚れ直した?」
「そもそもあなたに好意を抱いたことはありません。性的倒錯による記憶障害演出で私をそういう対象として捉える悪癖を今すぐに直して下さい」
「うォうッ、クール可ッ愛いィッ! クーデレ、クーデレ!」
黙殺。
押し黙る。
反応を返さず。
徹底的に無視する。
「ごめんなさい、お願いだから黙らないで。僕とコミュニケーションとろうよ、シャドウちゃん。じゃないと周りから痛々しい子だと思われちゃうじゃない?」
既に十分痛々しい状態まで病状が進行していることは本人に伝えても無駄なのだろう、と音声通信の向こう側に小さなため息をぶつけると、
「よしッ、シャドウちゃんの可愛い吐息の音声録れた! コレ改造して喘ぎ声にしてあげるからちょっと待ギャンッ」
向こうから剣を振るうような風切り音が数回響き、直後何かが砕け散るような音が聞こえてきた。どうやら暴走してなかなか本題に入ろうとしない魑魅魍魎にシビレを切らした誰かが制裁を加えているのだろうと適当に想像してみる。
「…………それで私に何の用ですか? ≪道化の王冠≫の皆々様」
魑魅魍魎の軽口を信じるならば、回線の向こう側から聞こえてくる複数の呼吸音の持ち主は、件のテロ集団≪道化の王冠≫のメンバーたちだ。
(判別できるだけで少なくとも五人はいそうですね……)
「用ってほどでもないの。ただの勧誘よ。シャドウちゃん、あなた私たちの仲間になってくれないかしら。私とお友達になりましょう?」
「あなたは儚ですね。……なぜ私を?」
「私たちですら正体が掴めないミステリアスさも魅力的だけど理由としては二番目ね。一番大きな理由は泳がせておくと私たちに危害が及ぶ可能性が最も高いモブプレイヤーだからよ」
「とても合理的な意見だとは思いますが、辞退させていただきます」
「どうして?」
「ドクターがいるからです」
「ちょ、ちょっと、シャドウちゃん!? この人たちの前で僕を引き合いに出すのはやめてくれないかなァ!? このままだと僕、ボコボコにされかねなギャアアアァッ!」
聞こえてくるのは巨鎚と金属拳の打撃音。その音を興味本位で一分弱録音してから、
「ドクターに何をしようが構いませんが、私はどの組織にも所属するつもりはありませんので。それでは失礼します」
ブツッ。
通信回線を切断すると、再び身体をベッドに沈み込ませる。
≪道化の王冠≫にとって私が邪魔になる理由は、やはり『情報家』という在り方にあるのだろう。
[アンダーヒル]は『情報家』物陰の人影。
『情報屋』ではなく『情報家』。
『情報屋』は情報を商品にしているが、『情報家』はただ情報を集めるだけ。情報の売買なんて興味はなかった。その情報を使ってどうこうしようとは考えず、ただ趣味として生き方として指標として根幹として理念として、周りの情報を傍観して集めた。
そのスタンスは病室での暇潰しに由来している。母が言わずとも持ってきてくれた折り紙に、私はひとつの意味を持たせたのだった。
病室にあるもの、来た人、窓から見える町の景色、天気、出来事――私はいつもそれを折り紙の裏に書き付けて、それを折って鶴を作っていた。一日に三~四羽ずつ鶴は増えていき、千羽鶴ができた辺りから数えるのは諦めた。鶴は千羽一組で病室の壁の高いところに、医者や両親がかけてくれた。私がその裏にあらゆる情報をメモしていたことはとうとう最後まで誰にもバレることはなかったけれど。
それとも今ごろは誰かが見つけているのだろうか。その瞬間に立ち会えなかったのは残念だけど、それはそれで気恥ずかしさを感じない分よかったかもしれない。
今の私は病弱で歩くことができない坂下結羽ではない。この世界のありとあらゆる情報を集めることに余念を欠かない『情報家』物陰の人影。
私の感情次第で情報はどのような形にでもなりうる。
それこそ武器にも盾にも。
「でもだからこそ――私は感情的になってはいけない」
声に出して、その重みを再認識する。
感情的に自分をさらけ出す生き方はしない、できない。私が積み上げてきた人格が、物陰の人影が崩壊してしまう。
「偽らず隠す、偽らず隠す、偽らず隠す」
私は通信で嘘をついた。
どの組織にも属さないと言っておきながら、その実≪アルカナクラウン≫に所属している。欺き偽ることは許されない情報家が、知り得た確たる情報を偽った。
「偽らず……隠す」
ただそれだけのことなのに時々うまくいかない理由はなんだろう。
(やめよう……らしくない)
私は傍観する情報家。
私に物は語れない。
あくまでも私は、世界に無数に存在する情報のひとつでしかない。
作ってはいけない。
考えてはいけない。
求めてはいけない。
願ってはいけない。
物言わぬ駒のようにあればいい。
静かにそこにあるだけでいい。
(頭ではわかっているのに――)
「――心がそれを受けつけないのかな」
機微に乏しい表情の裏で、私は何を考えているんだろう。
「私は……私が……よく……わからな……い……」
すぅっと静かに息を吐いて、私は再び眠りについた。
明日は、早朝から情報を集めよう。まずは次の塔攻略の下調べから――。