第五戦 情愛島
ついに高校卒業しました。4月から大学生です。
……某私立大学薬学部(6年制)に入学予定なので、4月からは忙しくなりそうです。
入学式までにとっととこの小説終わらせないと……。
[Je hyeon]
その夜、『安全庁』保安官用寮では、ネヴィルのルームメイト、金在鉉が心配そうに友人を見つめていた。
隣のベッドでは、いつものようにネヴィルがうなされていた。
「大丈夫ですか?先輩」
彼の階級はニ等巡査、一方の友人は上級巡査だ。彼は年齢も階級も二個下なのだ。
「先輩。生きてますか?」
「あ、ああ……」
小さく、弱々しい呻き声が聞こえた。
ベッドへ寄って、そこに横たわる青年の顔を覗き込む。
そこには、苦しそうに荒い息をしてぐったりする、いつもの冷酷さが完全に霧散してしまっているネヴィルがいた。
「……また嫌な夢を見た……」
ネヴィルは滲んだ脂汗も拭かずによろりと身を起こした。
「……また昔の夢ですか?」
「まただ。しかしまるで慣れん」
「慣れるものではなさそうなんですがね……ああ、水でも飲まれます?」
「すまんな……」
先輩の額の汗を拭い、コップを渡してやる。
「我ながら心の弱い……」
呟いて、コップの水を飲み干す。
「そうでもないでしょう。どんなに強そうな人間でも、心の奥底には誰にも触れさせない、自分も触れようとしない闇があるというものでしょう」
「……ジェヒョンでもあるのか?」
「ええ。まあ、韓国系ということで、アメリカでは随分と虐められましたよ。もっとも、僕があまりに鈍感なもので向こうもしまいには飽きたようですが」
「そんなことがあったのか……」
第三次世界大戦により、狂気的な民族・全体主義が横行し、戦後ではそれが原因で人種差別が再び表面化していた。
特に敗戦国の人間への差別は人種問わず凄まじかったが、例え戦勝国であっても有色人種は差別の対象となった。
「お前を虐めるとはよっぽど暇だったんだろうな。……すまんがもう一杯」
「あ、はい」
ネヴィルは再び水を飲み干すと、ぐったりと横たわった。
「……今日アッシュ・クロードに警告をしてきた。あの男、見た目に寄らず中身はえげつないようだ……」
「それは先輩が高圧的に接するからではないですか?」
「……そんなに高圧的か?」
「はい」
本人は不満そうだ。
「皆俺の事を冷酷だとか残忍だとか言うんだ。どうすればいい?」
「素直になりましょうよ」
「それが出来れば苦労しない。俺はこの歳の癖して色々な事を知り過ぎたようだ……」
「…………」
寂しそうに笑うネヴィルに、ただ黙るしか出来なかった。
「とりあえず俺は寝るよ。お前も俺の事は気にせず休んでくれ」
彼はそういうと、力尽きたように目を閉じた。
夜の帳は、まだ開けそうにない。
[Ash]
「兄貴ー!!起きろー!!」
「うわっ!!何ぃ!?」
アッシュが叩き起こされてめんどくさそうに頭を上げると、そこにはマイリーの輝く笑顔があった。
「ついにあの寄生虫の正体が分かったぜ!!」
「だからって叩き起こさなくてもいいんじゃない?というか、今日も徹夜してたの?それにしては元気過ぎじゃない?」
「グダグダ言わずにさっさとこっち来いよ!!」
「いでででで!」
何か耳を引っ張られて部屋の真ん中にあるテーブルまで引きずられた。
兄の威厳無し。
テーブルの上には、ケージに入れられたマウスがいた。
「こいつにあの虫を繁殖させて入れたんだ」
可哀そうなマウス。
「で、どうなったの?」
「よーく見てみろよ。もう結果出てるぜ?」
目を凝らしている。
……あれ?何か食ってね?
毛皮があってふわふわした……。
「他のマウスだ。一緒に入れておいたらこうなっちまった」
「……マウスって普通共食いするの?」
「俺は聞いた事ねえな。他の生物なら別だが。人間も含めて」
「カニバリズム?」
「ちげえよ。そういう意味じゃねえ。……ま、こんなことが寄生虫に寄生されたマウスで起こってんだな。でも、朝になったら止む」
「明かりを点けたら治まるの?」
「いや、そうでもねえんだ。だから、光が関係あるわけではなさそうだ」
「あとは何かしてみた?」
「電波と関係のある物を使ってたら、一時的に大人しくなった」
「考察は?」
「寄生虫は電波に反応して活発化する。それが人間にどういう影響を与えるのかは検討中だが、大体の目星は付いてる」
「すごい……」
相手は妹なのに感心してしまった。
「で、どういう目星?」
「あの時、兄貴が何て口走ったか聞いてたか?」
「確か……」
『――デービス・アックスマン攻撃……了解致しました――』
『――標的確認、任務開始します――』
「つまり、何かに操られてる可能性が高いってこった」
「誰が操っているのかな?」
「――『平和省』だ」
突然割って入ってきた声にびっくりして振り向くと、そこにはデービスがいた。
「びっくりしたー」
「どういうことだ?『平和省』がこいつをばら撒いてんのか?そんならむしろ潔癖症に近い兄貴が何でこんなのに寄生されてんだ?」
「半分合ってて半分間違ってる。……アッシュ。俺が、デヴリンさんがこの島に来るの二回目だって聞いた時、思わず青ざめたの、見てたろ?」
「うん。あと、兄さんが『二回目らしい』って言ってたよね?自分の事なのに」
「あれは、この島の存在を広められないために『平和省』の内部にある『英知庁』が帰還兵の記憶を消してるからだ」
デービスはニコリと笑ったかと思えば――眉間に皺を寄せた。
「――しかし、その帰還手続きの中で、『英知庁』はもう一つの作業を行っている。それが、正にこの寄生虫の卵を体内に入れ込む作業だ」
「それで、『平和省』は何を企んでいるの?」
「この寄生虫は、電波によって活性化される。――つまり、奴らは電波さえ届くなら、好きに帰還兵を操れるというわけだ」
「それを使って何やるってんだ?」
「決まってるだろ?各国の軍隊はここにあるから、本国はガラ空きだ。洗脳された軍に攻められればひとたまりも無いし、そもそも政府だってそんな事は予測出来るだろうから、『平和省』に服従せざるを得ないだろう。……言ってる事分かるか?」
「――つまり、『平和省』は、その気になりゃ、いつでも世界支配に乗り出せるってわけか……」
「そんなことが……」
アッシュが絶句するのも無理はない。
それはつまり、島を出たとしても、『Olive Branch』の敵が溢れているということなのだから。
午後、アッシュとマイリーは、ジャクリーヌとグウェンに連れられて父、ニコラスがかつて住んでいた家を訪ねた。
厳格だった父の性格を具現化するかのような、きっちり整頓された重苦しい雰囲気の部屋だった。
無駄な物は一切無く、誰が置いたかは分からない、血痕の付いた軍服が異彩を放っているほどであった。
ベッドに棚、チェスト、彼の趣味だったピアノが置いてあるくらい。
と、アッシュが首を傾げて、部屋の奥にあった机に近寄った。
「……何これ」
彼が手にしたのは、小さなフォトスタンド。
そこには、
「……え?」
ニコラスが、アッシュやマイリー、グウェン、デヴリン、妻のシャーリーンと写っている写真があった。
まだアッシュが小さい頃のだ。
「あの親父がこんなの持ってやがったのか?」
「…………」
さらにチェストからは、子供達がまだあどけない頃、父にプレゼントした絵が大切に入れられていた。
「ちゃんとおいててくれてたんだ……」
「とっくに捨てたと思ってたぜ……」
今さらのように後悔していた。
もし本当に心の内を打ち明ける事が出来れば、もっと仲のいい家族になれていたのではないかと――。
「――グウェン、この金庫の中身何?」
「私も開けてないの」
ふと、机の横を見やる。
そこには、頑丈そうな金庫が鎮座していた。
「どっかに暗証番号書いてないかしら」
「さあ……」
皆、首を傾げる。
しかしアッシュは、既に異変を感知していた。
「この匂いって……」
彼の鼻は、自分の好きなサザンカの香りを嗅ぎつけていた。
匂いを頼りに、棚を漁る。
すると、
「あった!」
小さなメモがあった。
そこに書かれていた番号を入力すると、扉がゆっくり開いた。
中には小さな紙と、オリーブの形のバッジがあった。
「これ何?デービスも付けてたけど」
「『Olive Branch』の団員である証よ。まだもらってなかったっけ」
とりあえず、紙を広げてみる。
中身は手紙であった。
『アッシュとマイリーへ
この手紙を二人が読んでいる頃には父さんはもういないと思う。つまり、これが遺書になるのかもな。
私の読みが正しければ、二人とも島に来ているはずだ。もうこの島には慣れたか?慣れるわけがないか。
私だって、正直言って戦場には馴染めなかった。人を殺めたのだって、ただ単に家に生きて帰りたかったからだった。
だからこそ、これから戦場で生きる事になるであろうお前達には、そこに慣れていて欲しかった。
よく考えれば馬鹿な親だった。自分が苦手だった事を子に押し付けて、殴って、挙句の果てにはお前達に人殺しを教えようとしていたわけなのだから。
それに気が付いたのは、この島に来てずっと経ってから、この手紙と軍服を私の部屋に届けてくれるだろうとある女性に出会ってからだった。別に私はこの女性と浮気をしていたわけではない。むしろ、私が「Olive Branch」を作るに当たって協力してくれた同志のような者だ。
私は彼女に戦わなくて良い未来がいかに良いものか教わった。
そして、「Olive Branch」を立ち上げた。
結局それで命を縮める事になってしまったが、悔いはない。
そこでだが、お前達には頼みがある。
私に代わって、反戦運動を引き継いではくれないか。
別に無理強いする気はない。しかし、これは私の最後のわがままだ。
もし了解してくれるのなら、このバッジを身に付けて、平和を作り上げて欲しい。
ニコラス・クロード』
アッシュもマイリ―も、同時に紙をたたみ、ポケットにしまった。
そしてバッジを手に取ると、躊躇い無く胸に付けた。
金色のオリーブが、二人の胸で光を放っていた。
その後、アッシュとジャクリーヌは近くのレストランにいた。
既に夕刻をも過ぎている。
「また来ちゃったわね」
「最近こういう事多いですね」
時間も時間なので、二人とも飯をぱくついていた。
「あら。口にソース付いてるわよ」
ジャクリーヌがクスリと笑って、アッシュの口に付いたソースを拭いてやった。
すると、
「ちょっ!!いきなり何するんですか!!」
顔を真っ赤にして怒り出した。
「うふ。かわい♪」
加害者の方は御満悦のようだった。
その帰りの事であった。
「あー。楽しかったね。また行こうねー」
ジャクリーヌはにこにこ笑って帰ろうとした。
と、
「――ジャクリーヌさん」
アッシュが彼女を引き止めた。
「……何?」
彼女が振り向く。
すると、
「僕……ジャクリーヌさんの事が好きかもしれません……」
「……え?」
ジャクリーヌが固まる。
それにアッシュも固まる。
沈黙が支配する。
やがて、ジャクリーヌの方がクスリと笑った。
「冗談はダメよアッシュ君。可愛いから許すけど――」
「――いえ。冗談じゃないです。だって……」
スッと、彼の方から近づく。
二人は目と鼻の先。
アッシュの紅潮した頬がよく見えた。
「……貴方といるとすごく暖かくて、何だか胸がどきどきして……」
「風邪なんじゃない?」
「違います。こうすれば信じていただけますか?」
彼が背伸びをする。
彼女が思わず屈む。
すると――二人の唇が静かに重なった。
「アッシュ君……?」
「……ごめんなさい」
唇が離れる。
「貴方は冗談でもいいです。でも僕は本気ですから……」
「うん。それは今さっきもう分かったわ」
ジャクリーヌがしゃがむとアッシュもしゃがんだ。
目が合う。
「びっくりしちゃった。貴方がそんなに積極的だとは思ってなかったから」
「これでも22ですから」
「じゃあ、これからその本気を見せてもらおうかな」
「……僕については『love』ですか?『like』ですか?『hate』とかはないでしょうけど」
「今は一応『like』かな。まだおこちゃまだと思ってたから。でもこれから変わるかも。貴方が変えてくれれば」
「分かりました」
二人静かに立ち上がる。
「では、出来るだけ頑張りますので」
「ええ」
二人は優しく抱き合った。
と、その時、
「兄貴、何やってんだ?」
邪魔もといマイリーが現れた。
「こんな時に来るな!!」
「知らねえよ!ヒューゴーの奴が心配してたぜ?集会場に来ねえから」
二人は名残惜しそうに離れた。
「それじゃあね。お休み」
「ええ。良い夜を」
そして、アッシュとジャクリーヌは別れた。
その後訪れる運命など知る由も無く。
[Miley]
「よう!!来たぜみんな!」
「おう!!マイリーだったか?一日ぶりだな!」
「マイリーちゃんおひさ!」
ヒューゴーとカテリーナと挨拶代わりに拳を突き合わせると、隠れ家に入った。
すると見知らぬ先客が。
「誰こいつ」
「ああ。私の家で暮らしてるミハイル・J・レブルスキー君だよ。……ミハイル君、この子が私の部下のマイリー・クロード君だよ」
クレイソンに紹介されたのは、暗褐色の髪に琥珀色の目の少年だった。
「ど、どうも……」
頬が赤い。
「おお。俺がアッシュの妹のマイリーだ。よろしくな」
「アッシュの……妹?」
どうしたのか、少し複雑そうであった。
「ん?何だお前、ウジウジしてねえで言いたい事言えよ」
「いえ。別に……」
「別にじゃねえよ。とっとと言えよ。仕舞いに殴るぜ?」
「いや、ちょっと君のお父さんと色々あってね……。もう死んでるっていうから気にしない事にしてるけど……」
するとマイリーは、あー……、と苦笑した。
「さては親父が何かやらかしたんだな。……ったくあのクソ親父……」
と、
「そういやアッシュどうした?」
「ジャクリーヌさんもいないよ?」
「あー……確か親父ん家に行った帰り二人でダべってたな……。ちょっくら探して来るぜ」
「おう。頼むぞ」
「気をつけてねー」
[Ash]
「へえ。ミハイル君に会ったの?どうだった?」
「親父に何かやらかされたらしいな」
「あー。あの子、父さんに両親を殺されちゃったらしいね」
「マジでか!?」
「うん。で、あの子本人はどうだった?」
「んー……。悪い印象はねえな」
「そっかー」
と、その時、
「何でこんな時に……」
アッシュが、らしくもなく忌々しげに舌打ちする。
「何だ兄貴」
「……『安全庁』の奴らだ……」
「……嘘だろ?」
やがて、前方に集団の影が。
「――久し振りだな。アッシュ・クロード。妹も一緒なのか。――好都合だ」
その中心にいたのは、悪名高き『安全庁』保安官、ネヴィル・アッテンボローだった。
「どうも。お久し振りですね」
アッシュの表情が一層険しくなる。
「どうやら、連続殺人鬼にはやられなかったようですね」
「どころか逮捕出来たな。存外へっぴり腰だった」
「で、そんな貴方が今日何の用ですか?僕と話に来るのに徒党を組んだりはしないですよね」
「当たり前だ」
スッと、ネヴィルが右手を挙げる。
すると、後方の保安官達がざっと彼を取り巻き――兄妹に銃口を向けた。
「アッシュ・クロード、並びにマイリー・クロード。貴様らは過激反政府主義者としてA級ブラックリストに登録されている。よって、貴様らを逮捕する」
「そう言っておめおめ捕まるわけがないでしょう。何せ捕まり次第死刑なんですから」
「やはりな。なら、こっちも黙ってはいられないようだな」
パチン
ネヴィルが指を鳴らすと、集団の奥から人影が。
「……兄さん?」
それは、あの夜の騒動以来どうなったのか分からなかったデヴリンだった。
しかも、あの時のようにブツブツと何やら囁いている。
「――A級ブラックリスト被登録者確保――了解しました」
そして、何の躊躇いも無く自分の弟と妹に銃口を向けた。
二人も固唾を呑んで身構える。
すると、
「――かかれ」
保安官らが、一斉に兄妹に襲い掛かった。
「仕方無いなあ……」
アッシュは面倒くさそうに腰から銃を取り出して、一気にぶっ放した。
保安官6人の頭が弾ける。
「兄貴何まどろっこしい事してんだよ。これで十分だろ?」
マイリーが保安官の頭に回し蹴りを食らわせると、その保安官の頭が取れてしまった。
……とんでもねえ兄妹。
「そんな事僕出来ないよお!!」
とか何とか言いながらも、アッシュは次々と雑魚を蹴散らしてネヴィルに迫りつつあった。
「大将の首ゲット――」
が、
「ゲホッ!!」
「遅い」
ネヴィルに脇腹を一発強かに蹴られ、バランスを崩して倒れてしまった。
さらに、
「いたっ!!」
背中に鋭い激痛。
どうやら背後から撃たれたらしい。
「うーん……。いつもは硝煙の臭いで弾が来るって分かるんだけどなあ……」
振り返ると、そこには冷たい眼差しで硝煙漂う銃口を向けるデヴリンがいた。
「やばいかも」
アッシュは少し冷や汗を流すと、弾かれるように立ち上がりネヴィルの喉元にハイキックを食らわせた。
「ぐっ!!ゲホッ!ゴホッ!!」
喉を押さえて苦しげに咳き込むネヴィルを尻目に、デヴリンと対峙する。
先手を打ったのは、意外にもアッシュの方だった。
「いくら兄さんでも、僕を殺すつもりなら許さないから」
冷たく言い放ち、拳銃の引き金を引く。
だが、弾丸は全て当然のようにかわされてしまった。
今度はデヴリンの攻撃。
「ちぇっ!」
少し背中が痛むが、構わず飛びずさる。
脇目に、ガチで殴り合っているマイリーとネヴィルが見えた。
どちらもナイフすら使ってないのに血だらけだ。
(……というか、マイリーの鉄拳食らって昏倒しない人、初めて見た……)
「おっとっと」
余計な事を考えてたら兄貴の弾丸を食らわされそうになった。
慌てて避け、敵に銃口を向ける。
その時――見てしまった。
デヴリンが、きょとんとした目で自分に銃口を向ける弟を見つめるのを。
思わず呆気にとられる。
と、
「兄貴!!後ろ!!」
マイリーの声に我に帰る。
――だが、時は既に遅し。
「ガッ!!」
鋭いナイフが、アッシュの胸を貫いていた。
背中の傷とは比べ物にならない激痛が走り、アッシュは力無く崩れ落ちた。
「兄貴!!大丈夫か!?」
マイリーの悲痛な声が小さく聞こえた。
顔を上げ、出来るだけの笑顔を声の方向に向けた。
「大丈夫……だから……マイリーだけでも……逃げて……」
マイリーは、しばらく躊躇していたが、やがて口を引き結ぶと風のような速さで走り去った。
「――っ!!待て!!」
ネヴィルが慌てて人間離れした速さで彼女を追ったが、しばらくして、舌打ちしつつ戻ってきた。
「まあ、こいつだけでも確保したんだ。良しとしよう」
意識は朦朧としていたが、後ろ手に手錠を掛けられたのが肌でわかった。
「立て」
乱暴に立たされ、歩かされる。
そして、黒塗りの『安全庁』の車両に無造作に投げ込まれた。
アッシュは力尽きて重い瞼を閉じ、気を失った。
目を覚ました時、アッシュは殺風景の極みのような部屋のベッドに寝かされていた。
「……これは『安全庁』の監獄、でいいのかな?」
いつもの軍服ではなく、白い囚人服を着せられている。
所々にベルトが付いており、拘束服としても機能すると推測される。ハイネックは口封じになりそうな感じ。フードにはジッパーがついており、きっと目隠しに使うのだろう。
そうやって色々観察していると、
「入りますよ」
鉄扉が開き、鉄格子の向こうに優しそうな東アジア系の保安官が見えた。
平凡な顔立ちだが、どこか人を引き付ける魅力があった。
「僕は『安全庁』二等巡査の金在鉉です。よろしくお願いします」
「は、はあ……」
ネヴィルみたいな奴しかいないと思っていたので、妙な肩すかしを食らった。
「えっと、早速なんですが、この腕のリボン的な物は何ですか?」
「上から刑種・罪状・収監棟です。貴方の場合は、未決・政治犯・B棟となっております。ちなみに、左腕の番号ですが、胸の烙印にも記されているんで、脱獄してもすぐに胸見たら分かっちゃうんですよね」
「……烙印?」
胸を広げてみる。
そこには、保安官の制服の胸を飾る鷲の紋章と1941-1208という番号の痛々しい烙印が包帯に隠れて見えた。
「貴方は気絶している時にされたんでまだ幸運ですよ。皆さん大抵麻酔もなしでされるんですから」
「……ひどい」
「ですが逆らったら死あるのみ、ですから……」
「…………」
予想以上に凄まじい仕事現場だった。
「――あ、そういえばネヴィルさんどうしました?」
「全身血だらけで帰ってきて、今は医務室で治療を受けてますよ」
あの冷たく妖艶な美貌が絆創膏に覆われているところを想像したら、自分の立場も忘れて吹き出してしまった。
しかし、何日か経てば、笑ってもいられなくなった。
『Olive Branch』の基地の所在地を吐かせるという名目で、尋問・拷問を受けた。
特にネヴィルには、毎日のように殴られたり蹴られたり水に顔突っ込まされたり火押し当てられたりXXXXされたり(えっちい意味ではない)、色々されたりした。
だが、アッシュはいくらボロボロになろうとも、小情報一つすら吐かなかった。
ジェヒョンには何回かこう忠告された。
「『安全庁』内では、もしこのまま貴方が何も言わなければ射殺してしまおうという動きも見られています。上層部は貴方を殺す気は今の所ないみたいですけど、いつまでも下を抑えられるわけではないのは明らかです」
しかし彼は、
「兵士っていうのは元々死ぬために存在しているんですよ」
そう言って、一切口を割ろうとはしなかった。
「……ちっ。しぶとい男だ……」
顔を予想以上に絆創膏やらガーゼで占領されたネヴィルが苦々しげに呟くのはいつしか定番になりつつあった。
そんなある日の夜であった。
独房に、見慣れない保安官二人が現れた。
いつもはネヴィルかジェヒョンなのになーとか思いつつも顔を向ける。
「少し来てもらえるか?」
腕を拘束された上目隠しもされて護送される。
しかし、いくら歩いても着く気配が無い。
「……あのぉ……」
「どうした」
「いつ着くんですか?」
「いいから歩け」
「はあ……」
保安官の足が止まった時にはアッシュでもバテていた。
あるいは度重なる尋問やら拷問やらのせいかもしれないが。
目隠しが外される。
そこは、人気の無い倉庫のような場所であった。
「何ここ」
きょとんとして辺りを見渡す。
「いや、秘密の用があってな」
保安官の一人(両者に特徴は無いので、こちらをとりあえずAとする)が呟くように言った。
「どんな用ですか?」
「ま、端的に言えばこんな用だな――」
そう言ってもう一人の保安官(Bとする)が取り出したのは、拳銃であった。
「まさか、ジェヒョンさんが言ってた、僕を殺そうとしている人っていうのは貴方ですか!?」
アッシュの表情に珍しくも焦りが見え始める。
いつもの彼なら、こんな男2人倒すのなどわけもないだろう。
しかし、今は抵抗すら出来ないのだ。
「ふーん。じゃあジェヒョンも殺るか?うぜえネヴィルと一緒に」
「そうすっか。どうせバレると思うけどよ」
アッシュの眉間に銃口が。
「まあ。そんなわけで、死ぬのは一人じゃないみたいだ。よかったな」
非情にも、引き金に力が入れられる。
覚悟して、目を閉じた。
銃声。
「――危ない!!」
「!!?」
謎の声に驚き、目を開ける。
そこでは、
「兄さん!?」
夜には電波に操られているはずのデヴリンが左胸から鮮血を流して倒れていた。
「アッシュ……大丈夫か?」
そう言って苦しげに微笑む兄の口から喀血が。
もう長くない事は火を見るより明らかだった。
「兄さん!!どうして……」
腕を拘束されたまま、倒れるように兄の傍で膝をつく。
「……やっと、兄貴らしい、事が、出来た、な……」
「何言ってるの!?兄さんはずっと兄さんだったじゃない!!」
アッシュの双眸から大粒の涙が溢れ出した。
「本当か……それは、良かった、な……」
デヴリンはスッと微笑むと、事切れた。
と、そこに、
「どうした。銃声が聞こえたんだが」
「で、デヴリンさん死んでませんか!?」
部屋の扉が開き、ネヴィルとジェヒョンが姿を現した。
どうしたのか、この時ばかりは彼らが神のように見えた。
「な、何が起こったんですかこれは!!」
「大体の推測は付く。おそらく、奴らが我慢できずに1941-1208を殺そうとした所に奴がやって来て身代りになったというところだろう」
慌てるジェヒョンと違い、ネヴィルはあくまで冷静に保安官らと対峙する。
「残念ながら貴様らの『処分』は既に決定している。観念するんだな」
保安官らの舌打ちが聞こえてきた。
「そう言われて、はいそうですかって言うような馬鹿な人間じゃねえってのは分かってんだろ?えぇ!?」
「そう言ってられるのも今の内だ」
激昂する保安官らに、ネヴィルは突然発砲した。
「ガッ!!」
一人、眉間に風穴を開けて倒れ伏す。
残った一人が刺客を睨みつける。
「ふざけんなテメエ!!」
「『安全庁』に逆らったのは貴様だろう」
そして、残った保安官の命は、あっさりと終わりを告げられた。
「『安全庁』に逆らったものには死あるのみ、だ」
とりあえず、目の前の敵は消えた。
しかし、だからと言って兄は生き返らない。
アッシュは涙を浮かべて兄の安らかな顔を見つめた。
と、
「あ、アッシュ!!貴様、そこをどけ!!」
ネヴィルが、あの冷酷で冷静なネヴィルが、美貌を青ざめさせてアッシュをデヴリンの傍からどかした。
「何するんですか!!」
「何って、あれを見ろ!!」
激昂する彼は、指し示された場所を見やり、青ざめた。
デヴリンの耳から、銃創から、目から、鼻から、口から、体のあらゆる穴という穴から、あの銀色の寄生虫が湧き出していた。
宿主の死を察して、這い出してきたのだろうか。
やがて、安らかな死を迎えるはずだった遺体は、銀色の蠢きに包まれてしまった。
生者は、ただその光景に呆然とするよりなかった。
えげつないラストになっちゃいました。
んで、次が最終回です。
次も次で、最悪な終わり方になる予定です。
最近、このシリーズが4部作になるらしいというのに気がつきました。ギャフン。
本人も気が休まらないです。
ちなみにこのブツは、一回R-15にしてみたんですが、案外大した事なさそうなので、もう一回全年齢に戻そうかと思ってます。
でも二作目からは……わかりません。特に三作目とかは、すごいえぐくなる予定なんで……。