張り巡らされた氷の網
夜の『三足の鴉』。 レンが去った後の店内に、冷ややかな空気を纏ったセリーナが姿を現した。
「いらっしゃいませ。……ああ、セリーナ様。よくお越しくださいました」
「アイルーンはいる?」
「あいにく接客中でして。……アンではなく、アイルーンをご指名でしょうか?」
「落ち着いたら呼んでちょうだい。今日は別件だから、アンは大丈夫よ」
「承知いたしました。ではこちらへ。アンは今手が空いておりますので、アイルーンが来るまでお供をさせていただきます」
アンは、セリーナがお気に入りにしている情報屋だ。一見穏やかで可愛らしいアイルーンに対し、アンは見事なまでに「頭のキレる美女」といった佇まいの、隙のないタイプである。
「いらっしゃいませ。アイルーンを呼び出すなんて珍しいですね。……レン様のことですか?」
「何か聞いているの?」
「あの女と情報共有なんてしませんよ。ただ、あいつをわざわざ指名するということは、そういうことかと思っただけです」
「まあ、そうよね。アン、あなたはザヴィルの街には詳しいかしら。どういう場所か教えてほしいのだけど」
「ええ、あそこはアイルーンの影響領域ですが、弊店の管轄内ですので把握しています。海沿いの貿易街で、背後は山に面している。海路と陸路の両方から他国と取引を行う要衝です。難民や冒険者の出入りが激しく、一箇所に長く留まる者は少ないですね」
「治安は?」
「意外にも、悪くはありません。領主が有能で税収も潤沢なため、警備には相当な力を入れています。街の性質上、小競り合いは絶えませんが、マフィアが街を牛耳るような事態にはなっていません。比較的平和といえるでしょう。冒険者ギルドも、Aランク『赤き戦斧』を中心とした統制が取れています」
「なるほど、ありがとう。状況は理解したわ」
「お役に立てて光栄です。……それで、ザヴィルに私の部下を派遣しましょうか?」
「そうね、お願いするわ。費用がいくらかかるか、来週を目途に教えてちょうだい」
「かしこまりました。他に、どのような情報が必要でしょうか?」
「いったん、幅広く網を張っておいて。……まずは領主からね」
しばらく会話を続けていると、コンコンと個室のドアを叩く音がした。
「セリーナ様、お待たせして申し訳ございません」
「久しぶりね、アイルーン。座って。……アン、あなたは下がっていいわよ」
「ありがとうございます。では、失礼いたします。……いい、アイルーン。セリーナ様に失礼のないようにね」
「あなたほど非常識ではないので、ご心配なく」
「かしら。……まあ、正直に話すことね」
二人は火花が散るような視線を交わし、アンが部屋を後にした。
「相変わらずね」
「ええ。事あるごとに突っかかってくるので。一種のコンプレックスでしょうね」
「まあ、その話はいいわ。――なぜ呼ばれたか、わかっているでしょう?」
「はい。ただ、思ったよりお早いお呼び出しだったので驚いております」
「誰かがレン様に入れ知恵をしたことは、内容からすぐにわかったわ。……ザヴィルを勧めたのは貴女?」
「いえ、街については最初から決めておられたようです。お話を伺う限り深い理由はなさそうでしたので、どこかで名前を聞いて興味を持った、という程度でしょう」
「それで、貴女の息がかかった街に送り出したの?」
アイルーンの顔から余裕が消える。
「信じていただきたいのですが……私としても、それは幸運な偶然でした。実は最近、ザヴィルで少々きな臭い動きがありまして」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、セリーナの手がアイルーンの喉元を掴んでいた。
「私の目を見て。嘘は言っていないと言える? ――もし嘘だったら、貴女に明日はないわよ」
「は……はい……。真実です……」
数秒の間、凍りつくような沈黙の中で視線が交差する。やがて、セリーナは静かに手を離した。
「わかったわ。それで、その『きな臭い動き』というのは?」
「はい……。住民の入れ替わりが不自然なほど激しくなっています。名もなき冒険者や労働者の増加速度が、貿易量の伸びを明らかに上回っているのです」
「ふーん。何者かが裏で動いている、ということね。そこにたまたま、レン様が興味を持ったと」
「レン様ご自身が何かに加担している様子はありませんでした。ただ、間接的に巻き込まれる可能性は否定できません。ですので、私の監視が届く場所であることは、むしろ幸いです」
「わかったわ。情報屋にクライアントの守秘義務を捨てろとは言わない。けれど、一つだけ見逃してあげる代わりに条件を飲んで」
「見逃す……いえ、何でもございません。条件とは?」
「私の息がかかったアンの部下を、ザヴィルに配置しなさい」
アイルーンの表情が苦渋に歪む。
「……なるほど。現場で揉める可能性が極めて高いので、お断りしたいところですが」
「何とかしなさい」
「……かしこまりました。あの子にも、暴走しないようしっかり言い含めてください。私たちの勢力争いという『邪心』が混じれば、情報収集に致命的な弊害が出ますから」
「わかったわ」
セリーナは立ち上がり、ドアへと向かう。最後に、振り返らずに釘を刺した。
「最後にもう一度確認するけれど……貴女、本当に何も企んでいないわね?」
「レン様の意思決定には関与しておりません。ご相談に来られたので、支援をした。それが全ての事実です」
「……いいでしょう。もし何か企んでいるのなら、その時は覚悟しておきなさい。『情報屋を敵に回してはいけない』というルールが、私たちには通用しないことは……貴女が一番知っているはずよ」
「……肝に銘じておきます」
重苦しい空気の中、セリーナは店を後にした。




