第5話「最初の交易――村の外へ」
翌朝、村長の家に集まったのは十人ほどの村人だった。若者が四人、荷車を引く牛を二頭、そして子どもが三人。さらに老人たちも「見送りに行く」と言って杖をついて立っている。
目的はただひとつ――隣町までの初めての交易だ。
「乾燥させた小鬼兎の肉、計二十束。草薬を束にしたものが三十。そして粥用の麦を半分」
カイは荷を並べ、指で一つひとつ数え上げる。
「代わりに塩、陶器、布を仕入れる予定です。商人と直接やり合うのは俺がやります。皆さんは荷を守ることに集中してください」
村人たちは頷いたが、不安は隠せなかった。村の外を越えるのは久しぶりなのだ。
「……本当にうまくいくのか?」
「やるしかないさ。村の未来がかかってる」
カイは笑ってみせた。胸の奥には緊張の塊があったが、それを顔には出さない。
道中の森
午前の光の中、荷車はぎしぎしと音を立てながら森を抜けていった。
小鳥のさえずり、草を踏む音、風に揺れる枝。だが、ときおり獣の低いうなりが響き、子どもたちが怯えたようにカイの後ろに隠れる。
「大丈夫。俺たちがいる」
若者のひとりが槍を構えて歩き、カイは薬草袋を開けて中を確認した。もし襲われても、応急の処置はできる。
だが、最初に現れたのは敵ではなく――旅の吟遊詩人だった。
色褪せた外套を羽織り、リュートを背負った中年の男。
「おや、珍しいな。辺境の村から隊列とは」
「交易の最中です」
「そうかそうか。ならば、歌でも一曲贈ろう」
彼が奏でる旋律は素朴だったが、疲れた心を少し和ませた。
子どもたちは笑い、牛も落ち着いたように歩みを緩める。
「歌はいい薬だな」
「ええ、料理と同じです。心を支える」
吟遊詩人はにやりと笑い、道端の石に腰を下ろした。
「噂は王都にも届くぞ。『辺境に人を癒す食堂あり』とな」
その言葉が、カイの背筋を震わせた。噂はすでに広がり始めている――。
隣町の市場
昼過ぎ、ようやく隣町の門が見えた。
町は村の十倍は大きく、石造りの家々が並び、煙突からは白い煙が立ち上る。通りには露店が並び、香辛料や布、鉄製品が雑多に積まれている。
村人たちは目を丸くした。
「すごい……!」
「これが町……!」
だが、カイは気を引き締めた。市場は笑顔と同時に牙を隠す。油断すれば騙される。
「代表は俺一人で行きます。皆は荷車のそばで待っていてください」
「気をつけろよ、カイ」
村人たちは不安げに頷いた。
市場の奥、香辛料の匂いに満ちた露店の一つで、カイは声をかけた。
「塩と陶器を探しています。交換に、干し肉と薬草を」
店主は小太りの男で、目を細めて荷を見やった。
「ふむ……干し肉ね。だが魔物の肉じゃないか? 危険だ、安くしか買えん」
「処理済みです。昨日の兵士や行商人も食べています。試してみますか?」
カイは干し肉を火で炙り、小さな皿に盛って差し出した。
店主は渋い顔をしながらも口に入れ、数秒後に目を見開いた。
「……旨い! しかも力が湧くようだ!」
「正しく調理すれば、魔物の肉は薬になります」
その一言で、周囲の商人たちがざわめいた。
「薬になる?」「本当か?」
店主は慌てて声を上げた。
「塩二袋、陶器十枚と交換しよう!」
「待て、俺も買う!」
「いや、うちは銀貨を出す!」
一気に競り市のような喧騒になった。
初めての駆け引き
カイは冷静に言った。
「焦らないでください。取引は一度に一軒だけ。質と誠意を見せてくれる相手と組みます」
その言葉に商人たちは顔色を変え、次々と条件を叫んだ。
「塩に加えて油をつける!」
「陶器に加えて布を五反!」
「うちは次回から安定供給を保証する!」
最終的に、カイは一番誠実に応じた陶器商人と契約を結んだ。
荷車には塩と陶器、布が積まれ、村人たちの目は輝いた。
「すごい……! 本当に物が増えた!」
「これで冬を越せる!」
喜びに湧く村人たちの姿を見ながら、カイは安堵の息をついた。
だが、その背後で冷ややかな視線を感じた。
見えない影
市場の人混みの奥、白い調理服を着た影――ジルベルトが腕を組んでこちらを見ていた。
彼はにやりと笑い、口の形だけで言った。
「次は潰す」
その言葉は声にならずとも、刃のようにカイの胸を刺した。
だがカイは視線を逸らさず、小さく呟いた。
「俺は潰されない。料理は、人を救うためにある」
村へ戻る道。荷車は重く、だが足取りは軽かった。
子どもたちが塩の袋を撫で、老人たちは陶器を抱え、若者たちは布を肩に担いだ。
彼らの顔には、確かな未来への光が宿っていた。




