第30話「告章――声の距離、囁きの権利」
朝いちばんの広場は、空気がまだ“紙の高さ”で冷たい。
でも今日は口の番だ。声で温度を上げる。
「——段取り、いくよ」
荷車の覆いを跳ね上げる。並べた道具は、見慣れない形ばかりだ。
声尺:棒の途中に薄い響き輪。届いた声が輪をちりと鳴らす。輪は三つ、近・中・遠。
距離札:歌柱の黙拍窓と同じ穴が空いた札。三進一止が合った時だけ白が透ける。
囁き札:唇の前で指二本で挟む薄札。声ゼロ・拍だけを運ぶ。
輪唱帳:四人が交代で同文を言った記録帳。**四口責**の印を押せる。
声幕:反響を殺す黒布。角に空き縁の白。
声秤:声を急がないほど針が安定する秤。黙拍が入っているかどうかが一目でわかる。
吟遊詩人が軽く弦を撫でて、三進一止のテンポを落とす。
ジルベルトは薄い粥の小鍋の蓋を指でちんと鳴らし、短く言った。
「喉の雪を先に落とせ。告げは熱で嘘を焦がす」
板題を書く。
【告章・試運用】
距離税=届いた距離で値が座る/囁き権=無声の拍を保障/四口責=責任の一点化を避ける
王弟の隊が背を預け、エリク(書記官長)は眠そうな目で頷く。監察筆は札袋を肩にかけ、老女の陶工は囁き札を子ども達に配りはじめた。
そして——白い扇。
カルドは冬の角度のまま、口上許可証の束を持って現れた。
《告げ規格・第一告示案》
・口上は許可制。
・輪唱・掛け声は興行税の対象。
・拡声具(笛・輪・板)は混乱の恐れにつき制限。
・囁きであっても群衆を動かす意図があれば違反。
——声の入口を紙で塞いで、税で息を止める。いつものやつだ。
「告は商いでも芸でもない。道具の取扱説明書だよ」
俺は輪唱帳を掲げ、四人——リーナ、吟遊詩人、井戸街の婆さま、王弟の若い護衛——を並べた。
「今日の文句は一つ。“港の封は鳴らせ。封は割るな”
四口責で回す。ひとりが倒れても、言葉が倒れない」
テンポ、三進一止。
「港の封は——」
「鳴らせ」
「封は——」
「割るな」
輪唱帳に四つの口印が刻まれ、歌柱の黙拍窓が白に変わっていく。
声尺の輪は近・中がちり、遠はかすかに震えただけ。
距離税の基準が置けた。近い声=無料。中距離=鍋への寄進小。遠距離=寄進中。興行税の出番はない。
「囁き権を宣言」
俺は囁き札を唇の前に立て、声ゼロで拍を送る。列の肩がふっと緩み、立ち粥の動線が自然に回る。
静謐でも拍は伝わる。禁止の紙より、道具の方が速い。
カルドの扇が半歩だけ傾いた。
《告げ規格・第二告示案》
・輪唱は演目とみなす。興行税の対象。
・四口責は責任逃れに当たるため無効。代表を一点とする。
「じゃあ、演目と告の境目を置こう」
俺は声幕を広げ、角の空き縁に白で書く。
『空き縁がある告げ=誰でも上書き可能=告』
『空き縁がない掛け声=上書き不可=演』
「興行税が欲しいなら演目から取りな。告は空き縁で公開する。
四口責は“逃げ”じゃない。倒れないための仕組みだ」
エリクが眠そうに、でもはっきり言う。
「告章・試運用。空き縁のあるものを告と定義。興行税の対象外。四口責は採用」
監察筆ががん。人の息が明るくなる。
一幕半:告章の実証——“探し物”
その時、広場の外から泣き声。
女の声がかすれた。
「こどもが——うちの——」
告の出番だ。
俺は輪唱帳を開き、四人が交代で短文を回す。
「名はトト。赤い紐の——」
「手は小さく、目は大きい」
「最後に見たのは水章板の前」
「歩く癖は右寄り」
歌柱が白を三柱灯し、声尺の遠輪がちりと鳴った。
門前——遠距離。
距離税は鍋が肩代わり。共助の出番。
囁き札が静謐の路地に拍を渡し、声幕が反響を殺す。
五十拍で、子は戻った。
母親は礼を言い、薄椀に顔を落として泣いた。
告章は人を動かした。税じゃなく、距離で。
二幕:鳴り砂と声奪い飴
昼前。
広場の真ん中で、砂がしゃらと鳴った。
——鳴り砂。
踏むと高い音を出し、黙拍を壊す。
同時に、屋台の隅で配られていた飴が喉を締めた。渋い。
喉奪い飴。声を折る仕掛け。
「足を黙らせろ」
俺は息札を足首に移し、足拍を逆に回す。
逆輪唱。
鳴り砂は遅れに追いつけず、ちりが止む。
リーナが喉奪い飴を薄茶で割り、喉の雪を落とす。
ジルベルトが短く言う。
「過剰の味だ。甘に戻せ」
衛兵が袋を押さえ、袖は鑑定所。
監察筆ががん。
「鳴り砂散布/喉奪い飴配布:押収。逆輪唱の足拍運用を追記」
カルドは扇を動かさない。動かないとき、次は紙の根だ。
三幕:口上許可と太鼓令
午後、カルドが太鼓を持って現れた。
紙にはこうある。
《朝告示令》
・告げと刷りは朝刻のみ有効。
・夜の告げは太鼓(夜警)を通してのみ。
・輪唱帳は夜間無効。
・囁き札は夜間携帯禁止。
——来た。朝と夜の戦の前触れ。
夜は俺たちの時間。灯と拍で積んだものを、太鼓で囲いにくる。
「太鼓も拍だよ、カルド」
俺は太鼓の枠に黙拍穴を抜いた。
二打一黙。
夜警の太鼓は黙が取れず、反響で狂う。
黙拍穴太鼓なら、暗の間に音が座る。
王弟が短く言う。
「太鼓の運用は夜の四者で。黙拍穴を標準に」
エリクが結語を整えた。
「告章・仮採択。
——距離税=鍋寄進。興行税は演目のみに。
——囁き権の保障。静謐でも拍を運べ。
——四口責を採用。責任一点化を避ける。
——太鼓は黙拍穴で夜運用。朝告示限定は不採用」
札ががん。
広場の呼吸が夜に向けて深くなる。
四幕:小さな敗北と、大きな続き
審問が終わる前、鑑定所の朝刷りが大量に流れ込んだ。
太鼓令の草案が裏面に刷られ、夜の掲示を**“無効”と言い張る文字が躍る。
群衆の一角がざわついた。
今日の小さな敗北**だ。紙は速い。
でも、目の前の輪唱帳には、四つの口印が並ぶ。
空き縁には、子どもの絵、婆さまの一言、港の人足の背鳴数。
声幕の角は白い。上書きは続けられる。
カルドが久しぶりに、正面から扇を閉じた。
「口は取れなかった。
——だから次は朝で来る。印刷を朝に固定する。“夜刷りは没収”。
きみの夜を昼で洗う」
俺は喉に雪を落として、熱を削いだ。
「朝と夜の印刷戦だね。
——夜は黙で刷る。朝は距離で配る。
版章と告章、灯章で挟む」
ジルベルトが薄椀をちんと鳴らす。
「甘い火は夜に座る。朝には湯気で運べ」
王弟が結語を落とす。
「本日の結語。
一、告章・仮採択を宣す。距離税/囁き権/四口責。
二、太鼓運用は黙拍穴を標準。夜警は輪唱に従う。
三、明朝より**“朝と夜の印刷戦”**の公開検見。夜刷り百枚、朝配り五路」
拍手。声が拍に変わり、紙が手に戻る。
夜の仕込み:声から印刷へ
《旅する大釜隊》は広場の端で薄い粥を一鍋。
輪唱帳に今日の短文と四口責を綴じ、版台に歌版と陶版を並べる。
跳ね芯は二燃一黙。灯景板は黒に白で更新済み。
息札はポシェットに、囁き札は袖口に。
「段取り、締め」
指を上げる。
一、夜刷り百枚。
黒に白を広く残し、空き縁に“朝の拾い”用の座を刻む。
二、朝配り五路。
歌柱沿いに配り距離を測り、距離税は鍋寄進で肩代わり。
三、太鼓の黙拍穴を三種。
子ども路/老いた足/港風で穴数と黙を変える。
四、輪唱帳の“四口責”と版章の**“四手責**”を連結。倒れないを二重に。
リーナが笑って、囁き札をひらり。
「多いね」
「多すぎるくらいが、ちょうどいい」
ジルベルトは薪を一つ足し、器を傾ける。
「眠りの入口、声でも開いた」
湯気は細く、まっすぐ、黒と白のあいだへ。
次の舞台は、朝と夜の印刷戦――夜刷りと朝配り。
紙は速い。
でも夜は間を育てる。
そして鍋はいつでも、食べられる形に直してから、世界に出す。




