第27話「値章(ねしょう)――距離で座る値、黒に白の札」
翌朝の広場は、紙より先に声が立っていた。
夜のうちに打った黒板が四辺を囲み、上から白で「値章・試運用」と書き足してある。
板の脇には三種の柱——鍋柱/息柱/歌柱。
鍋柱は一釜の眠り人数を、息柱は一息の長さを、歌柱は届いた距離を、それぞれ黙拍で読む。
「——段取り、いくよ」
俺は荷車の覆いを外し、薄椀と返し蓋、回転秤の帳面、値札の束を出した。値札は黒に白で上書きできる薄札だ。
「値は三つで座らせる。
一、一釜:鍋一杯で何人が“眠りの入口”へ入れたか。
二、一息:眠り椅子一息の角度と秒。
三、一町:歌がどれだけ遠くへ届いたか。
——この三つを秤と歌で記録して、値札に落とす」
吟遊詩人が拍を探り、低い二拍で場の息を整える。
ジルベルトは鍋の蓋に手を置き、短く言った。
「値を決める歌は短く、間が長い方がいい。急ぐ歌は嘘を呼ぶ」
一幕:柱を立て、値を読む
まず鍋柱。
柱の胸に小さな共鳴皿が埋め込まれ、喉の雪が落ちたときの呼気でちりと鳴る。
薄粥を配り、眠りの入口へ入った人数を三刻ごとに刻む。
次に息柱。
眠り椅子の脇に立ち、角度札を四に合わせ、一息の長さを鈴で読む。
最後に歌柱。
広場・大通り・門前・井戸街・港へと五本。
柱の頭には黙拍窓。歌の三進一止が合えば白が透け、ズレれば黒のまま。反響では白が出ない。
歌読み職が値の歌の基礎節を置く。
♪ 一釜で 眠りは幾人
一息いくつ 角は四
一町いくつ 柱で読む
黒に白で 値を置け
記録が回るあいだ、回転秤は滞留の鳴数を刻み、鍋柱は一釜の眠り人数を増やしていく。
昼前には、最初の値札が三枚、白で上書きされて板に貼られた。
《薄椀一杯》:上限=一釜/必要薪穀×係、下限=椀一杯=眠り一息の交換歌
《眠り椅子一息》:上限=一町以内(近場)で無償、下限=共助鍋より肩代わり
《囁き歌一節》:上限=歌柱三本に届くまで無償、以降は鍋への寄進で相殺
人垣にざわめき。
紙の値ではなく、柱の値。遠くへ届くほど薄く、多くに届くほど軽い。
“高すぎる/安すぎる”は、黒に白で更新する。声は固まらない。
二幕:値札規格、紙の罠
そこへ、白い扇。
カルドは冬の角度で板の前に立ち、値札規格の紙を掲げた。
《値札規格・告示案》
・上限・下限は鑑定所の査定に限る。
・歌柱は反響誤認の恐れあり、参考にとどめる。
・値札の改定は月一回。黒に白の上書きは無効。
・“椀=眠り”の交換は施食のみに限定。
速度を抑え、間を潰し、距離を参考に格下げしてくる。
人の息が重くなり、冬が一歩近づいた。
「紙で速さを奪えば、間が死ぬ」
俺は即答した。
「値章は公開で動く。一日に幾度でも黒に白で上書きする。鑑定所の査定は並存。
反響は黙拍窓で弾く。歌柱は“輪唱”で確認する。先の柱が一拍遅れて返す印を、次の柱に刻む」
吟遊詩人が輪唱を走らせた。
♪ 広場いち・に・さん・(黙)
大通りいち・に・さん・(黙)
門前いち・に・さん・(黙)
順送りの黙拍が、反響の一斉返りを潰す。
歌柱の黙拍窓が白に変わり、距離が正直に座った。
エリク(書記官長)が眠そうに、しかしはっきり言う。
「値章・仮採択。黒に白の即時改定を許す。歌柱輪唱・黙拍窓を標準に。鑑定所は併記」
監察筆が札をがん。
「値札は“黒に白”。上限=鍋、下限=鍋。距離=歌柱。公開掲示」
カルドは扇を閉じ、別の紙を出した。
《不足料規約》
混雑時には不足料を加算。値札に赤札を貼付。歌柱は混雑の証拠にならない。
……来た、時間差の罠。
不足を口実に赤を足す。値は上へ、人は下へ。
「赤は歌で黒にする」
俺は回転秤と呼吸板を結び、混雑を**“拍の崩れ”で定義した。
「三進一止が崩れた回数=不足**。息札で崩れを減らせたら、赤は消える。
——不足は人のせいではなく、段取りのせい」
歌読み職が節を落とす。
♪ 赤を黒へ 黙拍ひとつ
崩れ数 歌で減らせ
王弟が頷き、侍医長が短く足す。
「不足料は治療の外で徴すな。眠り椅子周辺は免除」
三幕:歌柱の影、反響箱
昼、門前の歌柱が変な白さを見せた。
届き過ぎている。風も味方しない角度で、白が揺れ続ける。
柱の根を覗くと、木箱。
中に反響板と油紙。一拍遅れの偽白を出す細工だ。
「黙拍で切る」
俺は箱を外へ引きずり出し、黙拍窓の穴を一つ増やした。
三進一止に加えて、“逆黙”——黙・いち・に・さん。
輪唱は逆にも回る。
反響箱は逆黙に追いつけず、窓は黒に戻った。
衛兵が箱を押さえ、袖の印を剥ぐ。鑑定所。
監察筆の札。
「反響箱押収。黙拍窓を二系統化。輪唱・逆輪唱の交互運用」
カルドの扇は、なおも動かない。
動かない時、次が深い。
四幕:値の審問、黒に白
夕刻前、公開審問に入った。
鍋柱は一釜で百十二人の眠りを記し、息柱は三十八呼吸と二十四呼吸の分布を並べ、歌柱は広場→港へ四柱届いたことを示す。
俺は値札の上限・下限を黒に白で示した。
《薄椀一杯》
上限=(薪+穀+塩+器章の薄器補修)÷一釜の眠り人数 ×拍整率
下限=椀一杯=眠り一息(共助鍋が不足分を肩代わり)
《眠り椅子一息》
上限=近距離(歌柱二本)まで無償/遠距離は共助鍋から
《囁き歌一節》
上限=歌柱三本まで無償/四本以上は距離値に応じ鍋へ寄進
ジルベルトが補う。
「甘い火の値は時間でも測る。“鍋が静まるまで”を一と置く。急かせば値は上がる」
吟遊詩人が節。
♪ 鍋が静まる それが値
急がぬ火なら 薄で足りる
エリクが結語を落とした。
「値章・仮採択。
——黒に白の即時改定、輪唱・逆輪唱、不足=拍崩れの定義、共助鍋連結。
赤札は黙拍で黒に戻せ。月一は不採用」
拍手。値が距離に座り、距離が歌に座った。
その拍手を、白い扇が横切った。
カルドは静かに笑い、ゆっくり扇を閉じた。
「値を距離に乗せ、歌で運んだ。——見事だ。
では次は、灯だ。夜は歌が強い。灯の規格で夜を切る。
灯台・燭台・竈——炎の数と影の長さ。影税も付けよう」
灯。
火の数で声を狭めるつもりだ。影を税に? 夜を紙で切り取る気か。
「灯章、やろう」
俺は喉の奥に雪を落とし、呼吸を整えた。
「灯は数じゃない。間で座る。黙拍の暗を許す灯り——跳ね芯と影札。
歌は光でも走る。灯を語る歌を、薄椀の返し縁に刻む」
ジルベルトがにやりと笑う。
「明るすぎる厨房は味が死ぬ。灯の黙拍、わかってるよ」
夜の仕込み:値から灯へ
日が落ち、板は黒に、上書きは白に、風は低い二拍で街を撫でる。
《旅する大釜隊》は薄い粥を一鍋。
鍋柱がちりと鳴り、息柱がすうと伸び、歌柱が白を小さく灯す。
「段取り、締め」
俺は指を上げた。
「一、灯章のひな形。跳ね芯——二拍燃えて一拍静まる芯を作る。影札——影の長さで灯の過剰を読む札。
二、値章の帳面化。黒に白を時刻で束ね、月一ではなく一刻一に。
三、輪唱・逆輪唱を港・倉庫街にも展開。反響箱の先回り。
四、共助鍋の“椀=眠り=一息”歌を二節増やし、子どもと老いた手の返し縁を別ける」
リーナが笑って、薄椀をちんと鳴らす。
「多いけど、いつも通り」
「多すぎるくらいが、ちょうどいい」
ジルベルトは薪を一つ足し、目を細める。
「灯は甘い火の親戚だ。眠りの入口、今夜も開ける」
遠くで、王都の灯台が最初の灯を点した。
影が伸び、黙拍が街に落ちる。
紙は速い。
でも、距離は歌のものだ。
夜は灯のものだ。
——そして鍋はそのどちらも、食べられる形にする。
「鍋は叫ばない。だから、値を黒に白で、灯を黙拍で。」
湯気は細く、まっすぐ、灯の下へ昇った。
次の舞台は、灯章——暗をゆるす灯、影を読む札。
声は温度になり、値は距離に座り、灯は間になる。
まだ歩ける。まだ、歌える。




