第26話「席章――薄椀と立ち粥、拍で広げる場所」
港から戻ると、王都の四広場はもう人の熱でふくらんでいた。
施食の列、倉庫帰りの荷車、井戸札をぶら下げた子ども、そして眠り目の大人たち。
風は軽いが、席は重い。座る場所、食べる場所、待つ場所。少なさで秩序を作ろうとすれば、いちばん簡単に人の喉が詰まる。
「——段取り、いくよ」
俺は荷車の覆いを外し、今朝焼き上げた薄椀をずらりと並べた。
甘い火で焼いた、軽くてよく鳴るやつだ。縁に返し(かえし)の微細な段を刻んで、歩きながらでも波が立ちにくい。
立ち粥台は拍で区切った踏み印がついた細長い卓。流れを塞がないように三拍進む・一拍止まるの黙拍を混ぜる。
回転秤。客の滞留を鈴の鳴数で読む。椀を受け取ってから最初の“ちり”までの秒を拾い、喉の雪が落ちるまでの呼吸を重さに落として計る。
眠り椅子。膝より少し高い短い腰掛けで、一息ぶんの仮眠のための角度に調整した。横になれない。起きやすく、座りすぎない椅子だ。
そして待ちの秤。行列の折れを、節釘のリズムで波に変える板。三拍進む、一拍止まる。黙拍で押し合いを潰す。
「今日やることは三つ」
指を立てる。
「一、席章の公開通行。立ち粥・薄椀・眠り椅子・回転秤の四点。
二、回転歌を場に落とす。三進一止で列を拍にする。
三、相互扶助鍋と連動する**“席の共助”。椀一杯で誰かの眠り椅子一息**を支える」
吟遊詩人が弦を鳴らし、回転歌の拍を落とした。
♪ いち・に・さんで 受けて進め
ひと拍黙って 雪を落とせ
椀は薄く 返しで守れ
席は拍で 広げよう
人垣が、わずかに呼吸を揃えた。見える言葉は、押し合いを拍に変える。
俺は柄杓を立て、薄椀に粥を注いだ。湯気は軽く、喉の雪は早く落ちる粥。立ちで飲むときは、喉を先に通すのが肝心だ。
そこへ、いつもの白い扇。
カルドは冬の顔で、今日は数の紙を持って現れた。
《席規格・告示案》
・公共の場での飲食は着席のみ可。
・椀口径は一律に重口(厚縁)とする。火傷防止のため。
・席は広場当たり定数。滞留は最低三十分。
・行列形成は管理者責任。違反は罰金。
少なさを規格にする紙だ。
立ちを禁じて、重口で飲み速度を落として、席数を固定して、滞留を増やす。
人は溢れ、怒りは溜まる。……それが狙いか。
「席は“座る”だけじゃない」
俺は即答した。
「立つ、寄る、一息眠る。——三つで席になる。だから席章を定義する。
一、立ち粥:喉優先。薄椀・返し縁・三進一止。
二、寄り席:壁寄りの拍。踏み印で一呼吸立ち止まる。
三、眠り椅子:一息・角度規定・起きやすさ。
——この三つを満たす場を席と認め、着席のみにあらずと公開で定める」
エリク(書記官長)が眠そうな目でこちらを見て、短く言う。
「席章・試運用。滞留は**“喉の雪が落ちるまで”を基準とする。三分を目安。三十分は不採用**」
監察筆が札をがんと打ち込む。
「席章:立ち粥・寄り席・眠り椅子。回転秤・回転歌を併用」
カルドは扇を閉じ、代わりに重口の椀を掲げた。
「重い縁は安全だ。薄椀は割れ、零れ、火傷を招く」
老女の陶工が一歩出た。
「薄いから鳴る。鳴るから守れる。返しを見な」
彼女は薄椀を指先でちんと鳴らし、返し縁の段を示した。
俺は落下蓋の薄革を椀にも応用した**“返し蓋”を取り出す。
「歩くときは返し蓋**。一拍黙るで湯が落ち着く。
重口は遅さを秩序にする。薄椀は段取りで守る」
試験する。
重口椀と薄椀+返し蓋で同量の粥を三拍で運び、一拍で止め、踏み印で曲がる。
零れ量は、薄椀が少ない。理由は簡単。黙拍で湯が落ち着くからだ。
回転秤は、薄椀の方が喉の雪が早く落ち、滞留が短いと示す。
歌が落ちる。
♪ 薄い縁 返しで守れ
黙拍ひとつ 湯が座る
重い縁 遅さで守る
段取りなら 薄でも守る
人垣の空気が温を取り戻す。
だが、影は来る。いつも同じだ。
一幕:押し合いの影、黙拍で解く
列の真ん中で、突然のどん。
誰かがわざと肩をぶつけ、薄椀の一つが床に落ちた。
割れない。返し蓋が抱えて、湯は最小。
影は二回目を狙った。
俺は回転歌の節を低く張る。
♪ いち・に・さんで 受けて進め
ひと拍黙って 手を開け
いち・に・さんで 足を置け
ひと拍黙って 肩を戻せ
黙拍に合わせて肩がほどけ、押し合いが拍になる。
衛兵が影を押さえる。袖口に黒。書写の匂い。
監察筆が札をがん。
「押し合い扇動:一名拘引。回転歌で回復、記録済み」
カルドは扇を横に払っただけで、何も言わない。動かない時は、次が速い。
二幕:席税の紙、椀で払う
正午前、カルドの紙がもう一枚。
《席税・告示案》
広場の飲食席には一席あたり銅貨一枚の税。立ち席・寄り席も席とみなす。徴税は組合が代行。
席を数に変え、銅貨を通す紙だ。
声は、こういう紙で簡単に詰まる。
「椀で払う」
俺は相互扶助鍋の板を立てた。
【席の共助】
椀一杯=眠り椅子一息
椀を誰かに譲ったとき、銅貨一枚を鍋が肩代わり。
回転秤の記録=給付の証。
税は取られる。なら、支払いの入口を椀と歌に移す。
“席税”を“席の共助”に読み替える。
監察筆が札をがん。
「席税:鍋肩代わりを認める。回転秤の記録を公的証憑とする」
王弟は短く加える。
「公設鍋からも拠出。眠り椅子は医療の入口だ」
カルドは初めて、唇だけで笑った。
「支払いを歌で包む。面白い。では、時間で来よう」
彼は新しい紙を掲げる。
《静謐令》
食の場での歌唱は夕刻以降禁止。眠り椅子周辺では拍を立ててはならない。違反は没収。
歌を止めれば、拍が消える。拍が消えれば、押し合いが戻る。
狙いはそこだ。
「声は下げる。歌は残す」
俺は拍の代替を出した。
“息札”。
指二本で挟む薄札で、三進一止の穴が開いている。声を出さずに、呼吸だけで拍を合わせられる。
薄椀の縁にも微細な刻み。親指でなぞると三進一止になる。
「——静謐でも、拍は立つ」
リーナが囁き歌で補う。音ではなく口形で伝える短い節。
子どもがまねをし、行列が静かに動き出す。
エリクが眠そうな声で結論を落とした。
「静謐令は採択せず。眠り椅子周辺の囁き歌は可。息札と縁刻みの無声拍を標準に」
札ががん。夕刻の前に、夜の入口を拍で守れた。
三幕:眠りの入口、椅子の角度
午後、倒れが出た。
痩せた男が、立ち粥の列で膝を折って額を打った。
偽装か、本物か。場の空気が固くなる。
「鍋は人を裁たない。——眠り椅子」
俺は男を椅子へ誘導し、角度札を二刻み倒した。
一息ぶんの角度。喉が自然に開く角度。
リーナが薄茶をひと口、喉に落とす。
回転秤は、彼の息が整うまでの秒を刻む。
三十と八。
三十分じゃない。三十八呼吸で整った。
席章の滞留は呼吸で測る——その根拠が、今、目の前で数字になった。
侍医長がそっと頷き、眠り目の男の額を指で撫でる。
「角度四。喉が落ち着く。薄椀の喉と同じだ」
歌が短く落ちる。
♪ 椅子は角で 喉を守る
薄で鳴らせば 息が座る
男は立ち、椀を受け取り、微笑した。偽装なんて、ここでは育たない。公開は、演目から嘘を追い出す。
四幕:椀を燃やす影、黒の上に白
日が傾き始めたころ、焼けが出た。
薄椀の箱に火。
ぼっと黒が立ち、白い灰が舞う。
だが、火消しの糊はもう塗ってある。
黒に落ちて、白で上書き。
吟遊詩人が低い節で、火を演目に吸い込む。
♪ 黒の上に 白で書け
今日の席 明日の拍
衛兵が影を押さえる。袖に組合の印。
監察筆が札をがん。
「薄椀焼却未遂:一件。返し縁は無事。公開百返し継続」
カルドは遠くで扇を一度だけ回し、消えた。
動かない。——次が必ず来る。
五幕:公開審問・席章
夕刻。
回転秤の板には鳴数と滞留秒が並び、眠り椅子の角度札には喉が整った呼吸が刻まれた。
薄椀はちんと鳴り、返し蓋は湯を抱え、息札は穴で拍を伝える。
王弟が結語を述べる。
「本日の結語。
一、席章の仮採択。立ち粥・寄り席・眠り椅子を席とみなす。
二、回転歌と息札を標準とし、三進一止の黙拍で列を守る。
三、薄椀は返し縁・返し蓋・落下黙拍の三点で安全規格に合致。
四、席税は鍋肩代わりを認め、回転秤の記録を公的証憑とする」
拍手。押し合いは拍に、滞留は呼吸に、税は椀に変わった。
その拍手の中で、白い扇が戻ってきた。
カルドは、今日は珍しく正面から笑った。
「数で締めたら、拍で広げられた。
——では、値で来よう。値札規格だ。
椀一杯の値、眠り椅子一息の値、歌一節の値。上限と下限。
自由は、値の枠で形を与えられる」
値。
椀の値、喉の値、拍の値。
それを紙で囲えば、過剰は罰になる。
俺は、喉の奥に雪をひとかけ落として、熱を落とした。
「値章を作る。
一、上限は鍋の“一釜で何人眠れるか”の実測で。
二、下限は相互扶助鍋の共助率で。“椀一杯=眠り一息”の交換歌を基準に。
三、歌の値は距離で。“届いた距離”を歌柱に刻む。遠くへ届くほど薄く、多くへ届くほど軽く」
吟遊詩人が弦を弾き、値の歌を走らせる。
♪ 一釜で 眠りは幾人
椀は何歩 歌は何町
届いた距離で 値は座る
エリクは眠そうな目で、しかしはっきり頷いた。
「値章、明朝から審議。上限は鍋、下限は鍋。歌は距離。値札は黒に白で上書きできるものとする」
監察筆が札をがん。
「掲示:
“席は拍で、椀は薄く。
税は鍋で、眠りは角で。
歌は息で、夜は黙拍で。
値は距離で、紙は黒に白。”」
広場の呼吸が、夜に向けて長くなる。
薄椀はちんと鳴り、眠り椅子は角で人を返す。
相互扶助鍋の帳面には、背秤の鳴数と眠り一息が並び始めた。
小さな火で、俺たちは薄い粥をもう一鍋。
喉の雪を一口ずつ落としていく。
リーナが笑う。
「席、広がったね」
「場所は、歌で広がる。
でも、値は——紙が速い」
ジルベルトが器を傾け、目を細めた。
「値は厨房でも戦場だ。高すぎても安すぎても、火が死ぬ。甘い火の値を秤で言葉にするんだ」
老女の陶工が薄椀をちんと鳴らし、胸を張る。
「薄は軽い。軽さの値を決めるときが来たね」
王弟は短く手を上げ、明日の許しを残して去った。
夜風が、優しい拍で広場を撫でた。
いち・に・さん・(黙)。
鍋は叫ばない。だから俺たちは、席を増やし、値を拍に落とす。
声は温度になり、席は拍になる。
値さえ、距離で読める。秤と歌があれば。
「段取り、締め」
指を上げる。
「一、値章のひな形——一釜・一息・一町の換算を黒に白で板に。
二、回転秤の記録と共助鍋の帳面を結び、“椀=眠り”の交換歌を三節に分ける。
三、薄椀の返し縁を二型増やす。子ども用と老いた手用。
四、息札を井戸街にも配る。拍は静謐でも残る」
リーナが「多い」と笑い、すぐに「いつも通り」と肩をすくめた。
「多すぎるくらいが、ちょうどいい」
ジルベルトが薪を一つ足し、器を鳴らす。
「眠りの入口、今夜も開いた」
湯気は細く、まっすぐ、星の底へ。
次の舞台は、値章――距離で読む値。
紙は速い。
だが、歌は遠くへ行く。
そして、鍋はいつでも食べられる形に直してから、世界に出す。




