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辺境食堂のスキル錬成記  作者: しげみち みり


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第22話「陶土丘陵――甘い火と泥の契約」

 夜の底がほどける頃、王都北東の丘陵は灰色の背中を露わにした。

 土肌はむき出しで、ところどころに黒い筋。掘り返された斜面からは、雨でもないのに泥水がしみ出して、谷の小川を濁らせている。鼻の奥に、土と鉄のにおい。朝霧が低く流れ、旗の先に白い輪ができた。


 王弟の隊は静かだった。護衛が十、書記官ギルドの監察筆が二、歌読み職が一人、そして《旅する大釜隊》の面々。最後尾には、白の調理服――ジルベルト。氷の背筋だが、昨晩より気配がやわらいでいるのは、俺の錯覚じゃないはずだ。


「今日は契約を歌の前で読む」

 王弟は簡潔に言い、丘の上の掲示所を顎で示した。

「採掘の紙に、どれだけ“重さ”が仕込まれているか、公開で確かめる」


 掲示所の前には、すでに白幕。商会の檻のような小屋。扉の上に掛けられた札には、黒い文字。


《陶土丘陵採掘契約・要旨》

採掘権は商会の倉庫へ直納する者に限る。土の等級は鑑定所が判定。印のない土は搬出不可。鑑定料銀貨三枚。違反は没収。


 ……いつものやつだ。まずは入口を押さえ、次に重さで息を詰まらせる。カルドの手癖。


「——先に“場”を立てる」

 俺は荷車の幕を上げた。土の地図板、透明筒、焼成秤、火色鏡、灰試し皿、そして小ぶりの移動窯。

 リーナが白布を張り、若者たちが杭と縄を走らせる。歌読み職は琴の弦を軽く弾き、節を探る。

 板に題を書いた。


【陶土丘陵・土章どしょう

見る・測る・焼く・記す。誰でもどうぞ。


「今日の手順は四つ」

 俺は指を立てた。

「一、握り試験——土団子を握って、耳元で割れる音を聞く。雪の音に近いほど“甘い火”向き。

 二、沈降試験——透明筒に泥を溶かして層を見る。軽い粒の層が厚ければ軽器向き。

 三、火色鏡——炎の色を鏡に映して“甘い火”の帯を確認。

 四、焼成秤——乾燥前後、焼成前後の重さを読む。重さで火を守る」


 ジルベルトが横で小さく頷いた。

「“甘い火”を秤で語る。悪くない。厨房でも、火は音と重さで見る」


 丘の斜面から採った土が、木鉢に盛られて運ばれてくる。採掘人の男たちの手はひび割れて、爪に赤茶の筋が食い込んでいる。

 俺は土をひとつまみ、指先で丸め、耳元でつぶした。

 しゃり、でもない。ざり、でもない。す、と割れて、空気が逃げる音。

「……甘い火の入口だ」

 リーナが透明筒に泥を落とし、砂時計を返す。層が分かれ、上に淡い乳白、下に重い灰。

「上の層、厚い。薄器向き」

 書記が板に刻む。

 焼成秤に土団子を載せ、移動窯の口にそっと置いた。火は弱め。昨夜ジルベルトが言っていた“甘い火”。

 火色鏡に炎が映る。赤でも黄でもない、桃がかった白。

 王弟が目を細めた。

「戦では、あの色は“休め”の合図だ。急がぬ火は、足を残す」


 そこへ、白い扇。

 カルドは相変わらず、冬の光の角度で現れる。後ろに鑑定官、書写の男、役人。

「見事な“公開”だ。だが、秩序には倉庫が要る。土は脆い。倉庫が守る」

「倉庫が守るのは土か、印か」

 俺は移動窯の口を半歩閉じ、火の“息”を整えた。

「土章を作る。四者印の土印。倉庫印は並存。倉庫だけが秩序じゃない」


 カルドは扇を傾けただけで、笑わない。

「土は“混ぜられる”。ここで見た土と、倉庫に届く土は別物だ。秤のない場では、声は軽い」


「なら、秤を持ち歩く」

 俺は焼成秤の片方に、乾燥させた土団子を載せ、もう片方に標準壺ひと口ぶんの水を吊った。

「水一口ぶんの重さで、土の“息”を測る。乾燥量と焼成収縮。誰の背中でも読める重さだ」

 歌読み職が笑い、短い節を落とす。


♪ 水ひと口 土の息

 軽いなら 火で歌える


 ——そこで、違和感。

 土団子の一つが、指で割ったときにしょっぱい匂いをした。

 リーナが眉を寄せる。

「……塩、混ぜた?」

 透明筒に溶かした泥が、泡を細かく吐く。灰試しの泡じゃない。

 カルドは扇を閉じた。

「混ぜ物は、君たちの十八番だろう?」

「鍋は人を裁かない。でも、土は舌を持ってる」

 俺は唇に泥をひとしずく落とし、舌に乗せず、喉の手前で消した。

 砂の重さが残る。

 ジルベルトが肩で息をして言った。

「この塩は、焼成で泡を荒くする。薄器が割れる」


 監察筆が眠そうな目を細め、指で合図。護衛が採掘人の一人を連れてくる。袖口に白い粉。

「……鑑定所の人に言われた。土が“軽すぎる”と減点だって。だから、重くしろって」

 男の声は震えていた。

「重さで秩序を作ると、重さを偽る人間が出る」

 俺は土団子を焼成秤からどけ、移動窯の火をぐっと落とした。

「重さを守るのは、段取りだ。混ぜ物があれば、歌が先に見破る」


 歌読み職が、さっきより太い声で歌った。


♪ 砂は舌で 石は歯で

 塩は喉で 嘘は泡で


 群衆の空気が変わる。見える言葉は、混ぜ物を追い出す。


 王弟が前に出た。

「条項の朗読を」

 監察筆が契約書を開き、歌の前で読み上げる。

 「……“等級は鑑定所の裁量による”。“倉庫補修費は土主の負担”。“沈降槽の灰は鑑定所の所有物”」

 ——最後の一行で、ジルベルトの目がかすかに揺れた。

「“灰は鑑定所の所有物”?」

「釉薬の灰だ」

 彼は低く言った。

「甘い火には“甘い灰”が要る。灰を握るのは、釉を握ることだ」


 カルドの扇が、初めて音を立てた。

「火は君の得意だろう? なら灰も扱えるはずだ」

「鍋の灰と窯の灰は違う。君はそれを知ってる」

 俺は移動窯の脇に灰の小皿を並べた。

 リーナが薄い粥を炊いて作った火消しの糊を少量混ぜ、皿の上で灰の“甘さ”を舌で、喉で試す。

 甘い灰は喉の奥で静かに消える。苦い灰は舌の先で騒ぐ。

「灰も歌にする」

 歌読み職が頷き、節を刻む。


♪ 甘い灰 喉で消えて 火を守る

 苦い灰 舌で騒いで 器を割る


 王弟は契約書をじっと見つめ、短く告げた。

「“灰の所有”条項、一時停止。本日の“灰章はいしょう”採択までは、灰は共有とする」

 カルドの唇がわずかに歪む。

「共有は責任の不在を生む」

「だから公開で縛る」

 監察筆が札をがんと打ち込んだ。


「灰章・仮運用。甘さ試験・喉試し・焼成秤の三点で記録。四者印“灰印”を付す」


 ——午前は、**土と灰の“入口”**を押さえた。

 午後は、焼く。その場で。


 移動窯に火が入り、薄器の小皿が三十。落下蓋用の小片も数十。

 火色鏡が桃白を映す。

 焼成秤の片側がゆっくり軽くなる。水一口ぶんの錘と、針が並ぶ瞬間。

「——いま」

 窯口を半歩開き、皿を出す。

 ちん、という、薄い音。甘い火で焼いた器は、音まで軽い。

 老女の陶工が皿の縁を指で撫で、頷く。

「甘い」

 商会の標準壺土で焼いた皿は、音が低い。重くて、厚い。割れにくいが、声を運ぶ軽さがない。

 秤に載せる。軽い方が、同じ量の水を遠くへ運べる。井戸街で証明した理屈が、ここでも通る。


 王弟が槌を置いた。

「“土章・灰章”を仮採択。四者印の土印・灰印を共同運用。倉庫印は並存、鑑定料は公開場では無料。倉庫は公開秤を常設せよ」

 広場――いや、丘全体が揺れた。採掘人の男たちが目を見開き、老女の陶工は目尻に皺を寄せ、子どもが跳ねる。

 カルドは扇を閉じた。

「結構。ならば次は、倉庫規格だ。保管の重さは、秩序だ。湿りを失った土は死ぬ。印のない倉は、泥に戻す」

 すぐ出すね、次の網。

 俺は喉の奥に雪を落とし、言葉を整えた。

「倉庫は要る。だから、倉章そうしょうを作る。露天土床と風の窓、水章板の連結、焼成秤の巡回。乾きすぎもしない、湿りすぎもしない。倉庫印は倉庫の重さでなく、土の呼吸で与える」

 歌読み職が楽しそうに弦を鳴らす。


♪ 風の窓 土の息

 乾きすぎず 湿りすぎず

 秤読んで 歌で守る


 ジルベルトが口の端をわずかに上げた。

「“風の窓”は厨房でも使う。湯気を逃がして、温度を残す。倉庫に入れても、鍋だ」


 そこへ、丘の向こうから地鳴り。

 ——嫌な音。

 採掘が深すぎる斜面が、雨もないのに崩れた。泥の舌が道へ伸び、作業小屋を飲み込もうとしている。

 人々の声がいっせいに鋭くなり、走る足音が絡まる。


「——土嚢どのうの歌だ!」

 俺は叫び、井戸街で使った浮き樽橋の縄をほどいて投げ、薄器の落下蓋を袋の口に流用する。

 リーナが灰と糊で目止めを作り、若者たちが節釘のリズムで袋を結ぶ。


♪ いち・に・さん 袋を開けて 土を入れ

 し・ご・ろく 口を甘く 灰で止め

 なな・はち・きゅう 節で結んで 水を切る


 王弟の護衛が列を作り、土嚢を歩く橋に載せて渡す。舟じゃない。歌で歩く。

 崩れは完全には止まらないが、流れが鈍る。小屋の前に灰色の壁が積み上がり、泥の舌がそこへ息を吐いて止まった。


 泥に膝を取られた作業員の腕を引き上げ、リーナが薄茶で喉を潤す。

 男は咳をして、土の味を吐き、うわずった声で笑った。

「……生きてる」

「声が戻ったら、秤で呼吸を整える」

 俺は焼成秤を彼の掌に載せ、重さで“今”を測らせた。重さを感じた瞬間、人は自分の体に戻ってくる。


 泥流が収まり、丘の空気が一つ、大きく吐かれた。

 カルドは、扇を閉じたまま沈黙していた。

 やがて、淡く言う。

「君は、やりすぎる。百返し、橋、歌、土。——だが、過剰は美徳でもあるらしい」

 それは敗北宣言じゃない。次の計算の予告。

「倉庫は逃げない。夜に動く。紙は、火より静かで速い」

 扇がくるりと回り、白は冬の雑木林にまぎれた。


 日が傾き、丘の影が長くなる。

 《土章》《灰章》の板が並び、喉の雪が午後の冷えをやわらげる。

 老女の陶工は新しい薄器に水を注ぎ、ちんと鳴らして笑った。

「甘い火は、遅い。遅い火は、続く」

「続くものが、秩序になる」

 王弟は短く言い、護衛に合図を出した。

「本日の結語。

 一、土章・灰章の仮運用を王命で定める。

 二、倉章の草案を七日でまとめ、公開審問に付す。

 三、鑑定所費用は当面、歌と秤で支払う。歌読み職と秤番に王家から手当を付ける」

 拍手。土の上で、手のひらの音は柔らかい。


 ジルベルトが俺の隣に来た。

「カルドは、次に**倉庫の“夜”**を使う。夜目札を用意しろ。火の色が見えなくても、重さで夜を読む札」

「作る。夜秤よるばかり。砂時計の代わりに、音で刻む」

 歌読み職が弦を爪弾いた。


♪ 夜は音 火は息

 秤は指で 節を刻め


 リーナが肩で息をしながら笑った。

「今日だけで、“章”が三つ増えたよ。土章・灰章・倉章」

「多すぎるくらいがちょうどいい。公開は“過剰”の中で安定する」

 監察筆が大あくびをひとつ。

「掲示、追加。

 ——“土は歌で焼け。

 ——灰は喉で読め。

 ——倉は風で守れ。

 ——夜は音で刻め。”

 ……長いが、まあ字数は足りる」

 札はがんと打ち込まれ、丘の風に揺れた。


 黄昏。

 移動窯の火を落とす前に、俺たちは薄い粥を一鍋だけ炊いた。

 土の匂いのする丘で食べる粥は、喉の奥にまっすぐ落ちる。

 作業員の頬に色が戻り、子どもが湯気をつかもうとして笑う。

 ジルベルトは小さな器を傾け、目を閉じ、ひと言。

「眠りの入口、今日も開いた」

 氷の人間が、火の言葉を口にする。温度は、伝わった。


 夜。丘の向こうで、倉庫の扉が静かに閉じる音。

 カルドの“夜”が始まる。紙と鍵の時間。

 でも――こっちにも“夜”の段取りはある。夜秤、夜目札、火消しの糊。

 そして、歌。夜は音がよく通る。声は軽い。だから速い。


「明日の段取り、確認」

 俺は星明かりの下で指を立てた。

「一、夜秤を三台作って、倉庫街に回す。

 二、倉章の条文を“設計歌”に落とす。風の窓/露天土床/湿り札/鍵の公開手順。

 三、灰章の喉試しを“数”に結び、眠りの入口との関係を記録。

 四、土印を押す窯を三箇所増やす。図と秤と歌を持って」

 リーナが大きく頷く。

「“公開百返し”、まだ続けるんだね」

「続けるほど、火は甘くなる」


 喉の奥で雪がひとつ鳴って、静かに溶けた。

 遠く、王都の北門広場の板の森が風に鳴っている気がした。

 火は小さく、でも続く。

 明日の舞台は、倉庫街の夜。

 鍋は叫ばない。だから俺たちは、椀で答える。

 声は温度になり、重さは秩序になる。

 その二つを食べられる形にするまで、歩く。

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