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辺境食堂のスキル錬成記  作者: しげみち みり


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第19話「南原水庭(なんげんすいてい)――印と歌の夜」

 夜明け、王都の南門に人の波。

 掲示板には黒々とした文字が釘打ちされていた。


《告:印のない水は違法》

明朝より、南原盆地の水は商会鑑定所の印を持つ樽のみ搬入可。

違反者の水は没収し、罰金。徴税台は南原水庭に設置。


 やっぱり来たか。カルドの“早さ”は、いつでも正しい場所を先に占領してくる。

 でも今回は――歌が先に着く。


「急ごう。広場より先に、うちの板と歌を立てる」

 俺は荷車の後ろを叩いた。板、瓶、白布、灰皿、錫の皿。夜のうちに作った水の地図・携行版がぎっしり詰まっている。

 リーナは頷き、喉役用の薄茶の壺を抱えた。若者たちは縄と杭を肩に、吟遊詩人は木の琴を背負って走る。王都の四広場にも同時に掲示が貼られるはずだ。こっちの歌が先だと、人は“こっちを基準”にしてくれる。


 南へ半日。丘の切れ間から盆地が開け、南原水庭が見えた。

 水庭――南一帯の町と畑を支える巨大な調整池。水面は朝の光を受けて金に揺れ、その縁に、商会の白幕と高い徴税台。すでに列ができている。樽をいくつも抱えた農夫、桶を積んだ女たち、肩で息をしている駄賃稼ぎの男。

 その横で、俺たちは共同鑑定台を展開した。白布。透明瓶。歌読みの台。地図板。杭を打ち、縄を張り、ものの十分で“場”が立ち上がる。


「吟遊詩人、音合わせ。書記、板題を」

「へいへい!」


【南原水庭・水章】

本日の水:青/黄/赤

誰でも見て、測って、刻めます。


 歌が立つ。


♪ 青は空 喉で消える 影を残さず

 黄は石 舌で触れて 喉で薄れる

 赤は鉱 鼻に残って 重さを置く


 人が集まる。徴税台の列にいた者まで、こちらを振り返った。先に見えるものは、疑いをほどく。

 俺は透明瓶を三本並べ、南原水庭の上流・取水門・堰の陰から汲んだ水をなみなみと注いだ。白布が昼光を跳ね返し、僅かな濁りの差までも浮かび上がる。


「まずは見る」

 人々が覗き込む。子どもが指を伸ばして叱られ、老人が目を細め、職人が顎に手をやる。

「次に測る」

 煮沸の小鍋に水を量り、焚き口に小さな薪をくべる。砂時計が落ち切るまで、吟遊詩人が**“水歌”の短い節を繰り返す。

「最後に記す**」

 書記が板に今日の日付を刻み、色札をかけ替える。青:上流。黄:取水門。赤:堰の陰。


 そのときだ。徴税台から白扇。カルドが涼しい笑みで歩いてきた。

「相変わらずの“公開”。見事だ。だが、印がなければ水は出ない。秩序ゆえに」

「秩序の前に、喉がある」

 俺は瓶の前に立ち、喉役の二人にうなずいた。リーナが青を、若者が黄を、少量ずつ“喉で”試す。

「……青、空の音。黄、わずかに石。赤は――鉱」

 リーナの眉が寄る。赤い瓶は堰の陰。つまり、水庭の内側が濁っている。


 カルドが扇を一度だけ打ち、徴税台の役人に合図した。

「“赤は鑑定不可”。搬入は青のみ。鑑定料銀貨二枚」

 あ、即決。値切る暇もくれないやつだ。

 列の後ろから悲鳴にも似たざわめきが起きる。二枚は収穫半月分だ。払えない。払ったら干上がる。


「“鑑定所”をここに作る」

 俺は割って入った。

「いいか、共同鑑定台は誰でも“合格証”を得られる。喉役/灰試し/煮沸残量の三試験だ。今日は南原百人を即日認定する」

「面白い。だが認定は君が出す。私的認定だ」

「違う。王家・ギルド・自治・大釜隊の四者印。刻んで押す。合議で剥奪も可能」

 カルドの目が細った。扇の内側で計算が走る。

「で、鑑定料は?」

「無料。歌と板で支払う」

 ざわり。人の息が大きく吸われ、小さく吐かれた。無料は強い。歌はもっと強い。偽造に使われた武器を、公開で取り返す。


「合格試験、始めます!」

 リーナの声が水庭に響く。

 灰皿。砂時計。薄茶。錫の皿。

 南原の若者が列を作り、老人が並び、女たちが子を抱いて輪に入る。

 灰試しは泡の“強さ”と“匂い”。

 煮沸残量は目盛と“雪音”。

 喉役は一滴だけ。舌の先で騒ぐ塩と、喉の奥で消える塩の違いを聞き分ける。

 合格した者には水読み札。今朝、谷で作ったばかりの薄い木札。表に“水章”、裏に短い歌。


♪ 喉で読む 空の音

 雪の音 砂の音


 商会の徴税台の列からも、人が流れてきた。秩序の窓がもう一つできれば、人は自然にそちらも覗く。

 カルドは扇を揺らしながら、徴税台に一言だけ命じた。

「……徴税を棚上げ。まずは鑑定を。我々の印も“青に限り”無償とする」

 盤面を一気にひっくり返さず、半歩引いて形を変える。嫌なほど上手い。

 でも、半歩引いたら歌が入る。

 吟遊詩人が子どもたちに節を教え、子どもたちは母親の背の上で歌って笑う。偽造は、子どもの歌に勝てない。


 ――日が傾く。南の風が少し温くなり、池面が桃色を帯びてくる。

 合格者は九十七。もう少しで百だ。

 そのとき、鑑定台の端で瓶が割れた。

 カランという小さな音。けれど、場は即座に冷えた。

 赤い瓶――堰の陰の水。

 割ったのは、痩せて目が泳いだ男。袖口にインク汚れ。書写の匂い。


「すみません、手がすべって……」

 嘘だ。匂いが“すべって”ない。

 彼の足元に、別の瓶。口に布。中身は濁り。

 入れ替えるつもりだった。青を赤に、赤を青に。歌の信頼ごと。


 周囲の視線が鋭くなる。

 俺は手のひらを上げて、止めた。

「鍋は人を裁かない。——まず、飲め」

 男の顔色が変わる。

「これを……?」

「自分の声で、喉にどう落ちるか言ってくれ」

 彼はしばらく震え、そして瓶を受け取って、喉へ落とした。

「……砂。鼻の奥で重い。胸が、冷たくなる」

 人々の息が揃って、ふうと抜けた。

 偽造の手口より、本人の声の方が、人を動かす。


「誰に頼まれた」

 問う声は固くない。火を大きくしないための声。

 男は涙をこぼして言った。

「筆の仕事を、取り上げられた。商会の人に、一度だけでいいからって、銀貨を……」

 沈黙。

 俺は頷いた。

「鍋は人を裁かない。歌に書く。偽の手口も、同じ場に残す」

 吟遊詩人が短い節で歌い上げ、書記が板に**“偽装未遂”**の欄を刻む。隠すより、晒す。公開の火は、闇を乾かす。


 合格者がちょうど百になった頃、白幕の向こうから銀の蓋の音。

 ふっと笑う。――やっぱり来た。

 ジルベルトが、商会の台所から大鍋を抱えて現れた。

「規格スープ、配る。無料で」

 ざわつき。規格を掲げる彼が“無料”を口にした。

「規格の狭さは、胃を狭くする。今日は広げる」

 短い言葉。氷の人間が、火の場に立つ。

 彼のスープは淡く、軽く、体の上で静かに消える。

 俺の粥は喉で雪になり、眠りの入口を作る。

 違うけれど、敵ではない。

 カルドの扇が、初めて完全に止まった。


 日没。

 水庭の縁にあかり舟が並ぶ。

 薄い木舟に油を垂らし、芯を立て、小さな火を載せる。

 “水の地図”の完成祝い――という名目の、夜の公開だ。

 舟の列は青→黄→赤→黄→青の順で水庭を一周し、色の変化を目で見せる。

 歌が重なり、子どもが走り、老人が頷く。

 夜の“記録”は、文字より灯の方が速い。


 そこへ、駆け足の影。書記官ギルドの若い書記が、息を切らして紙を掲げた。

「本部より速達! “水章”の常設化、承認! 共同印、南原を含む五水域で試運用開始!」

 歓声。指が鳴る。舟が揺れ、火が踊る。

 カルドは笑わない。扇の内側で、次の計算をしている顔。

 でも今夜は、その計算に火の粉が飛ぶ。公開は、そういう種類の風だ。


 ――夜半。

 人の群れが落ち着き、灯り舟が岸へ寄せられ、最後の薄茶が分けられた頃。

 ジルベルトが静かに近づいた。

「カルドが南東の井戸街を押さえる。水を“王都通行”扱いにして、街道税に繋げる。明朝には役人が動く」

「井戸街は、井戸の数だけ喉がある。税は“井戸の口”で詰まる」

 俺は荷車の縄を引いた。

「井戸札を作る。“水読み札”の簡易版。井戸ごとに“今日の水”を刻んで、口にぶら下げる。井戸が自分で声を持つように」

「歌は?」

「短く。三拍子で。子どもが跳ねながら歌えるやつ」

 吟遊詩人が嬉嬉として弦を鳴らした。


♪ 井戸の口 青ならひと口 赤なら待て

 黄なら鍋へ 雪でならせ


 リーナが笑う。

「跳ね歌だ。覚えやすい」

「覚えやすいものは、取られにくい」

 俺は柄杓を握り直した。

「今夜のうちに十井戸。明日は三十。明後日には、井戸街全部に歌をぶら下げる」

 ジルベルトが目を細めた。

「……やっぱり、君の単純は複雑だ」

「難しいから単純にする。段取りの基本だ」

 互いにわずかに笑い、背中を向ける。氷と火が、同じ夜に息を吐く。


 その背を、白扇の影が遠くから見ていた。

 カルドは扇を開き、夜の火を一度だけ映した。

「声は軽い。だから速い。だが、重さも与えられる」

 彼は南の闇に消えた。

 次は、“重さ”。きっと陶器か、舟だ。供給規格の網は、素材でも編める。

 でも、喉はどこにでもある。鍋も。


 暁。

 俺たちは水庭を後にし、井戸街へ走った。

 板、札、歌、錫皿、灰、砂時計。

 どこへ行っても、やることは同じだ。

 見る・測る・記す。

 そして、食べさせる。


 ラノベ的に言えば――夜襲は成功。次は市街戦だ。

 段取りは整った。火も起きた。

 あとは、明日の椀まで運ぶだけ。


 王都の南空が薄く染まる。

 湯気はまだ見えない。けれど、喉の奥で雪が鳴っている。

 声は鍋で温度になり、水は歌で地図になる。

 その二つで、供給規格の心臓を、食べられる形にしてやる。

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