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辺境食堂のスキル錬成記  作者: しげみち みり


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第18話「水の地図――供給規格の心臓」

 北門を出た風は、刃物みたいに薄かった。

 吐いた息が白くちぎれて、王都の塔の影をかすめて消える。

 《旅する大釜隊》は夜明けの街道を北へ。荷車には小さめの釜と、陶器の壺がずらり。壺の蓋には昨日決まった“共同印”の試作——王家・ギルド・大釜隊・自治の四つの刻印が、まだ乾ききらない蝋で光っている。


「今日の目的は三つ」

 俺は歩きながら指を立てた。

「一つ、水の地図を作る。二つ、供給規格の“心臓”に穴を開ける。三つ、明日から誰でも運べる“公開の水路”を作る」

「三つ目、字面だけで難しそう」

 リーナが苦笑する。

「難しいから、単純に割る。見る・測る・記す。いつもの三段だ」


 ラノベ的に言えば、ここは“フィールド攻略編”。ボスは数字じゃない。透明で、誰のものでもない“水”。


 北へ半日。丘を越えると、谷がぱっくりと口を開けた。

 雪解けの川が音を立て、谷の底で白い泡を噛んでいる。木造の堰、石の井筒、取水小屋。門前には**水守みずもり**と呼ばれる氏族の番人が槍を持って立っていた。袖口には商会の小さな布印。


「ここから先は契約地だ。立ち入りは禁ずる」

 番人の声は乾いている。

「王命で来た。《供給規格》のための調査だ。立会いの下で“見る・測る・記す”だけ。水は奪わない」

 護衛兵が通行証を掲げる。水守は書付を見て、眉をひそめた。

「……“共同印”の試作か。印は増えるほど、責任の所在が曖昧になる」

「曖昧にしないために、公開するんだ」


 結局、俺たちは井筒の縁まで入ることを許された。

 谷風が冷たい。手の皮が張って、指が木みたいになる。

荷車から木の台を降ろし、透明瓶をずらり並べる。瓶の背後に白布。濁りが一目で分かるように。

 書記官ギルドから来た若い書記が、嬉々として筆を走らせた。こういうの、彼らは大好きだ。


「測る道具、準備」

 俺は手を叩く。若者たちが走る。

 ——煮沸減量。水を小鍋で一定量煮詰め、残った結晶を量る。

 ——灰試し。乾いた灰に水を一滴落として、泡立ちと匂いを記録する。※灰に含まれるカリで雑味を拾う原始手法。

——魚の鏡。磨いた錫皿に水を張り、昼の陽で光を返して、表面の動きを見る。油と砂は嘘をつかない。

——喉の試飲。少量を舌ではなく喉へ。三名の“喉役”が交代で判定。「空の味」がするか、「鉱滓の重さ」が残るか。


「料理なのに、理科準備室みたい」

「鍋はいつも、理屈を煮てる」


 最初の一瓶。川の上流直取水。

 透明。匂い、なし。煮詰めた皿に白い粉が指先ひと摘まみ。雪の音。

 喉役のリーナが目を細める。

「空の音。喉の奥で、すうって消える」

 記録:良。印候補:青。


 二本目。井筒の底から汲み上げた水。

 見た目は同じ。でも煮詰めると、皿の上にざらり。指先で擦ると、雪じゃない音がする。

 リーナの眉間に皺。

「……喉の川が、途中で石に当たる」

 記録:注意。印候補:黄。


 三本目。取水小屋の樋から流れてくる水。

 透明瓶の外からでも分かる。糸みたいな揺れがある。

 煮詰めた皿は灰色に曇り、灰試しで泡が強い。鼻の奥に鈍い重さ。

 喉役の若者が咳き込んだ。

「これ、混ぜてる……」

 記録:警告。印候補:赤。


 水守の番人が槍の柄を握り直した。

「濡れ衣だ。ここは古くからの井筒で、何も変えていない。樋は……いや、樋は最近、商会が修理したが」

 カルドの顔がちらつく。供給規格、心臓はやはり水。

 俺は深く息を吸った。鍋の前でやることは同じ。段取りだ。


「公開する。目を増やせ」

 俺は白布をもっと大きく張り、広場側に向けた。

 透明瓶に順番札。青・黄・赤。

 吟遊詩人に合図。水歌を短く。


♪ 青は空 喉で消えて 影を残さず

 黄は石 舌に触れて 喉で薄れる

 赤は鉱 鼻の奥へ 重さを置く


 人が集まる。子どもが背伸びし、老人が目を細め、職人が腕を組む。

 水守の年寄りがゆっくり歩み出て、赤い瓶をじっと睨んだ。

「昔は、こんな糸の揺れは出なかった」

 年寄りの手が樋の下を探り、木板をこんこん叩く。音が違う場所。

 若者が道具を持ってきて板を外すと、鉱滓まじりの砂袋が出てきた。

 袋の口には、見覚えの印。商会の運搬印。

 広場が一斉に息を呑む。

 ……やっぱり。水の“規格”を作る前に、水そのものを握りつぶしておく。カルドの常套手段だ。


「誰が、こんなことを」

 番人の肩が震えた。

 犯人探しは後だ。先に水を通す。命の順番は、いつだって同じ。


「袋を全部抜いて、樋を洗う。公開でやる。水守、手を貸してくれ」

 番人は一度だけ躊躇い、そして頷いた。

 水路掃除は地味で重い。だが、公開でやれば、儀式になる。

 子どもが桶を運び、若者が縄を張り、老人が節を歌う。

 袋が抜かれ、樋が洗われ、樋の下から古い刻印が現れた。——かつての自治の印。消されていたものが、再び空気に触れる。


 瓶を満たし直し、白布の前に並べる。

 青、戻った。

黄、薄くなった。

 赤、消えた。

 拍手。谷に反響して、雪がはらはら落ちる。


「水守の名に誓って、樋を守り直す」

 年寄りが杖を掲げる。

「守るだけじゃ足りない。記すんだ」

 俺は“水の地図”の板を立てる。

 板には谷の簡易地図、瓶の番号、青黄赤の札、日付、手順。

 さらに、刻み用の木針を吊るし、**訪れた者が刻める“日にちの傷”**の欄を作った。

「誰でも、ここへ来て、今日の水を刻める。嘘は、毎日には耐えない」


 ここまでが午前戦。

 午後は——書記官ギルドへの橋渡しだ。

 王都から来ていた若い書記が目を輝かせたまま、手を挙げた。

「本部に“水記録課”を設けたい! “巡回記録帳”に“水章”を増設。水の透明度、灰試し、煮沸残量、水歌の節まで記録して保存する!」

 エリクに似た、乾いた声が谷に届く気がした。「承認」。勝手に聞こえただけかもしれない。でも、そういう未来は、先に声に出すと早い。


 ……で、こうなると黙っていないのが、カルドだ。

 谷の入口に白い扇。やっぱり、来るよな。


「見事な“公開”だ。感銘を受けた」

 カルドの笑みは相変わらず、冬の光の角度をしている。

「だが、供給規格はこう変わる。“共同印”の押印には、水源証明が必要だ。証明は商会の鑑定所でのみ発行。鑑定料は——そうだな——一樽につき銀貨二枚」

 ざわっ。谷風じゃなくて、人の息で木が揺れた。

「印を増やすなら、その分“窓口”を整える。それが文明だろう?」

 要するに、金を取る。水の通行税。これをやられると、辺境の村は一日で干上がる。


 俺は喉の奥に、雪をひとかけ落とした。怒りは熱い。だから先に冷やす。

「鑑定所、作ろう。現地に。“共同鑑定台”。誰でも鑑定人になれるやつだ」

「資格もなしに?」

「資格を作る。公開の手順で。塩の雪音、灰試し、煮沸、喉役。三つ合格したら、“水読み札”を渡す。偽造しづらい札にして、歌でも覚えさせる」

 吟遊詩人が目を輝かせる。


♪ 水読み札は 喉で鳴る

 札を偽れば 声が詰まる


 カルドの扇が、わずかに鈍った。

「“誰でも”が、君の武器だな。だが“誰でも”は、すぐに群れる。群れは、燃えやすい」

「燃えたら、鍋で火をもらう」

 俺は笑った。

「火事は怖い。だからこそ、段取りだ」


 夕暮れ。

 水守の番小屋の壁に、水の地図の板が並んだ。

 上流、中流、井筒、樋、集水樽。青・黄・赤の札。日にちの傷。

 その横に、共同鑑定台。白布、透明瓶、灰皿、煮沸台、小さな秤。

 さらに、歌読み職の台。

 「水歌」はシンプルで、子どもでも覚えられる。覚えられるものは、奪いづらい。


 最後に残ったのは——契約だ。

 水守と、王都と、村々と、ギルドと。

 俺は蝋を温め、共同印の刃を指で確かめる。

「“四者印”。一者欠ければ無効。押し直しは誰でも請求可。不審があれば、歌と記録を同時に閲覧」

 番人が唸り、年寄りが頷く。

 書記官の若者は目を輝かせ、吟遊詩人はメモを取る。

 リーナは肩で息をしながら笑った。

「今日一日で、制度が二つ増えた……! 忙しいにもほどがある」

「食堂は、忙しい方がうまいって言っただろ」


 最後の押印。蝋に刃が入り、ぱちんと音を立てた。

 谷に夜が降りる。

 樋の水音が、さっきより澄んでいる。

 喉の奥に、空の味が落ちた。


 ……その時、谷の入口で馬の嘶き。

 白の調理服。ジルベルトが息を切らして駆けてきた。

「カルドが、南の水源を先に押さえに動いた。鑑定所と徴税台を一晩で立てるつもりだ。明日の朝には“印のない水は違法”の掲示が出る」

 やっぱり早い。早さは、あいつの武器だ。

 俺は即答した。

「北から“水の地図”を落とす。歌と板と鑑定台を担いで、“先に広める”。

 王都の四広場にも水章の板を立てる。商会の掲示より、先に歌わせる」

 ジルベルトが一瞬だけ、笑った。

「君の単純さ、やっぱり複雑で疲れる」

「慣れると体が軽いぞ」

「……それは、君の粥のせいだ」


 夜通しの準備が始まった。

 木工担当は板を削り、書記はひな形を写し、詩人は節を整える。

 リーナは喉役のための“薄い茶”を仕込み、若者たちは樽を洗って並べる。

 水守の子どもたちが走って、近隣の集落に声をかけに行った。

 「明日の朝、歌を持ってきて!」


 星が低い。

 小さな火をいくつも灯して、谷に星の地図みたいな光の点を作った。

 それを見上げながら、俺は柄杓を握る。

「カルド、次は“水で首根っこ”を取る気だ。

 ならこっちは、“誰でもの喉”を連れていく」

 段取りは整った。あとは、流すだけだ。


 明け方。

 氷の空を一羽の鳥が横切る。

 樋の水が、寝ぼけた村を起こす。

 俺たちは荷車を押し、板と瓶と歌を積んで、南へ向かった。


 王都では同じ頃、書記官ギルド本部の前に新しい掲示が貼られる。


《水章》の常設化。四広場に水の地図板を設置。

水記録課、暫定発足。

共同印“試運用”。歌読み職の協力を求む。


 カルドの掲示が来る前に、こっちの歌が届く。

 声は軽い。だから速い。

 偽造にも使える。けれど、それを焼くのも、公開の歌だ。


 途上、俺はふと、喉の奥に指を当てた。

 雪が、まだ鳴っている。

 鍋の勝ち方は、いつだって同じ。

 怖いまま火を扱い、見せ、測り、記す。

 そして、食べさせる。


「行こう。水の心臓を、食べられる形にする」

 リーナが頷く。若者たちが笑う。

 荷車の軋みが、行進曲に聞こえた。


 王都の空は薄青で、星の名残がほつれていた。

 湯気はまだ見えない。でも、確かに流れている。

 明日の椀へ向かって。

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