第16話「規格の心臓――書記官ギルド本部攻略」
王都の夜は冷たい。だが、もっと冷たいのは“沈黙”だった。
公開施食での勝利は確かに人々を沸かせた。けれど、その翌朝に届いた一通の文書は、大釜隊を再び氷の底へ突き落とす。
《巡回記録帳》における管理不備の責任を問い、書記官ギルド本部にて正式審査を行う。
大釜隊は全員、本部への召喚に応じること。
管理不備――つまり、「帳簿を盗まれたのはお前たちの落ち度だ」ということだ。
声を守るための帳簿が、逆に枷になる。
……うん、やっぱり火を焚く前に煙を嗅ぎつけるのは、あのカルドの得意技だな。
本部への道
石畳を叩く車輪の音。
リーナは大釜の縁に腰をかけ、不安そうに記録帳を抱えていた。
「本当に行くんですか? ギルドの“心臓”に」
「行かなきゃ勝てない。敵の一番硬い場所に火を放たないと」
俺は深呼吸した。正直、心臓はこっちが先に焼けそうだ。でも“怖い”ってのは火を扱うときの常識だ。怖さを忘れた奴は火事を起こす。
護衛兵たちも無言だ。侯爵家の紋章旗だけが、灰色の朝に頼りなく揺れている。
書記官ギルド本部
王都中央区。大理石の塔のような建物。
門前には羽根ペンを象った紋章、扉の上には「秩序は記録に宿る」の銘文。
兵士でも商会でもない。だが、この塔の書類一枚で、町一つを潰すことができる。それがギルドだ。
通されたのは、書棚の壁に囲まれた巨大な円形審議室。
中央に長机、周囲には無数の書記官。羽根ペンの音が絶えず響く。
調査官長エリクが姿を現した。
銀髪、痩身、氷のような瞳。
「大釜隊、入廷を許す。記録帳を提出せよ」
偽造の証拠?
机に広げられた《巡回記録帳》。
エリクは一枚の紙を持ち上げ、冷ややかに告げる。
「ここにある証言、——“眠くなる粥はこっち”。筆跡が一致しない」
「子どもだからです。文字が書けず、代筆しました」
「ではこの“働ける気がする”という言葉。別の被験者にも同じ文句がある。捏造の可能性が高い」
会場がざわめく。
カルドが扇で口元を隠しながら、低く笑うのが聞こえた。
……ああ、なるほど。奴ら、“言葉の重複”を証拠に偽造だと言い張るつもりか。
カイの反論
「待てよ」
俺は柄杓を机に叩いた。書記官たちが一斉に振り向く。
「“働ける”って言葉が重なるのは、偽造じゃない。人の体は似た反応をするからだ。疲れた人間が粥を食えば、立ち上がりたくなる。眠れた子どもは同じように笑う。
それを“偽造”だと言うなら、世界中の笑顔は全部コピーになる!」
ざわめきが広がり、職人席の男が思わず頷いた。
「そうだ、俺だって粥を食えば“体が軽い”ってしか言えねぇ!」
笑いが起きる。だが、エリクの瞳は冷たいままだ。
裏切り者?
そのとき、一人の書記官が前に出た。
黒外套……いや、塩壺を返したあの男だ。
緊張に震えながらも声を張り上げた。
「偽造の指示を出したのは……商会の下請け工房です!」
審議室が爆発した。
カルドの扇が折れるほど握られ、ジルベルトが立ち上がりかける。
エリクは手を挙げ、鋭く命じた。
「証人を隔離せよ!」
護衛兵が動き、男は引き立てられた。
――だが、十分だった。偽造の種は“外”にあると示されたのだから。
“規格の心臓”を突け
俺は机に両手をつき、声を張った。
「ギルドは秩序の心臓だろう? なら聞け! 鍋は誰のために沸く? 秩序のためじゃない、人のためだ!
記録帳が守るのは“文字”じゃない、“声”だ! それを偽造で塗り潰すなら、この国の秩序はただの空っぽだ!」
会場に重苦しい沈黙が落ちた。
その沈黙を破ったのは、オルダン総料理長だった。
「……言葉に証明を与えるのは、次の火だ。では問う。次の施食を“本部前広場”で行え。記録帳は公開し、書記官全員が立会う。民の声と規格、どちらが真に秩序か、そこで見極めよう」
審議室にざわめきが戻り、エリクは長く目を閉じた後、頷いた。
「承認する」
夜の誓い
宿に戻ると、リーナが小さく笑った。
「また大博打ですね」
「ラノベ的には……“最終決戦・前編”ってとこだな」
俺は柄杓を握り直した。
「火を恐れるな。燃やすのは敵じゃない、空気だ。
――明日、規格の心臓を、俺たちの鍋で温める」
窓の外、王都の塔の影が月に伸びていた。
そして広場にはすでに、明日の列を待つ人々の影ができ始めていた。




