第7話 王城解放デー
今日は《お城の解放デー》。
二年に一度だけ、普段は立ち入れない城の中を、市民や子どもたちが自由に見学できる特別な日だ。
リリィはこの日を、何日も前から指折り数えて待っていた。
お気に入りのリボンを結び、胸を弾ませながら城門をくぐると、そこにはミリアが立っていた。
「来たのね、リリィ。今日は案内役、頑張らせてもらうわ」
やわらかな笑みのミリアに、リリィはぱっと顔を輝かせる。
「よろしくね! ミリアお姉ちゃん」
城門の内側は、見学に訪れた家族連れや子どもたちで活気に満ちていた。
親と手を繋いで歩く小さな子、兵士の動きを真似てはしゃぐ少年たち。
笑い声が飛び交い、案内役の兵士たちも、身振りを交えながら丁寧に説明をしている。
「やっぱり賑やかね。二年に一度だけど、こういう日があると空気が違うわ」
「うん!」リリィは嬉しそうに頷いた。
最初の見学先は執務棟。
資料を抱えて行き交う部下たち、机を囲んで真剣に打ち合わせをする隊員たち――その光景に、リリィの瞳がきらめく。
「これ、みんなミリアが指示してるんでしょ?」
「ええ。でも、私ひとりじゃないわ。支えてくれる人がいて、ようやく成り立つの」
やわらかな声でそう答えながら、ミリアは廊下を進む。
その前を、一人の女性がすれ違った。
《白陽の騎士団》副団長、レオナ・バルトネスだ。
「あら、珍しいお客様。……まさか見学用のヘルメットは忘れてないでしょうね?」
「えっ!? ヘルメット?」
目を丸くするリリィに、ミリアはすかさず苦笑を漏らす。
「いらないわよ、リリィ。それにしてもレオナが冗談を言うなんて、珍しいわね」
「冗談くらい言えるわよ。仕事さえ片付いていればね」
そのやり取りに、リリィはくすっと笑ってミリアを見上げた。
――そんな二人を、廊下の角からもうひとりが見ていた。
「……リリィ、来てたんだ」
狙撃手、シェラ・ノクトだった。
「うん。今日は特別な日だからね! もしかして仕事中?」
「これから交代の時間。……だから、一緒に歩ける」
まるで偶然通りがかったように装っていたが、足は止まったまま。視線はずっとこちらに向けられていて――待ち構えていたのは、誰の目にも明らかだった。
「うんっ、行こ!」
自然と並んで歩き出す二人を見て、ミリアは小さく微笑む。
「シェラって、リリィにはよく話すのね」
その言葉に、シェラはすっと背筋を伸ばし、小さく胸を張った。
「私は、リリィのお姉ちゃんですから」
誇らしげに言うシェラに、リリィは首を横に振る。
「ちがうよ。シェラはたしかに年上だけど、ちょっと頼りないもん。だからほんとは、私がお姉さん!」
小さな手を腰に当て、得意満面に言い放つ。
シェラは口を尖らせて反論しかけたが、言葉より先に、リリィがくすくす笑いながら腕へ寄りかかった。
「でもね、そんなシェラが好きだよ」
「……っ!」
頬を瞬く間に赤く染めたシェラは、慌てて顔をそむける。
ミリアは横目でそれを見て、ふっと口元を緩めた。
三人はそのまま、執務棟から別棟へ続く回廊へと足を向けた。
窓越しに見える中庭では、見学者たちが陽射しの下で談笑している。
ミリアは歩きながら、どこか懐かしげに二人を見やる。
シェラとの出会いは――かつて、リリィに会いに孤児院を訪れた日のこと。
いつもリリィのそばにいた、小柄な少女。
リリィとの年の差は八つほど上だろうか。最初に声をかけたとき、シェラは人見知りが激しく、ミリアの視線を避けてばかりだった。
話しかけても返事はうなずきだけで、すぐリリィの影に隠れてしまう。
「……私、何かした?」と、ミリアがリリィに小声で尋ねたこともある。
けれど、何度も足を運び、紅茶の話をしたり、リリィの話に一緒に笑ったり――
そんな時間を重ねるうち、シェラの表情は少しずつやわらいでいった。
そしてある日、ふいに。
「ミリアお姉ちゃん」
小さな声でそう呼ばれた瞬間を、今でも鮮やかに覚えている。
それから――その日を境に、シェラは少しずつ自分のことを話してくれるようになった。
そしてあるとき、ぽつりと過去を打ち明けてくれた。
「夕方、暗くなったころ……家に、黒い影が入ってきて。最初はお母さんと逃げてたんだけど……気づいたら、ひとりになってて。森の中を、ずっと歩いてた。寒くて、怖くて……どうしていいか、わからなかった」
その話を聞いたあと、ミリアは記録を調べた。
セイクリア南部の、小さな貴族邸が魔族の襲撃を受け、一族はほぼ全滅――
生き残ったのは、ただひとりの少女。記された情報は、シェラとぴたりと一致していた。
「……みんな、いなくなっちゃった」
紅茶のカップを見つめながら、震える指先を隠すように膝の上へ押し付けるシェラ。
ミリアは何も言わず、震えが収まるまでその手を包み込むように握り続けた。
――そして今
リリィの隣で笑いながら歩くシェラの背を見つめ、ミリアはそっと目を細める。
「……ちゃんと、前を向いてる」
ふたりのやり取りを見守るように、ミリアもゆっくり歩き出す。
その顔には、ごく自然なやさしい笑みが浮かんでいた。
◇ ◇ ◇
「それにしても、ほんとに広いんだね、このお城」
リリィが感心したように言い、回廊の先に置かれた装飾棚を指差す。
「そっちは応接間。普段は来客用だけど、誰もいないときは掃除道具の置き場になってたりするのよ」
淡々と説明するミリアに、リリィの目がいっそう輝く。
「えっ、じゃあ入ってもいい? 見てみたい!」
「いいけど、触っちゃだめよ」
「団長、言い方が保護者っぽい……」
シェラがくすっと笑い、からかうように口を挟む。ミリアはわざとらしく咳払いし、少し目を細めた。
「……私は隊の監督者だから当然よ」
「もう、それが余計にお母さんみたいだよね。ね、シェラ?」
リリィとシェラが揃ってからかうので、ミリアは思わず立ち止まり、真顔で返す。
「私は、そういう年齢じゃない!」
「ミリア、怒ってるの?」
リリィが上目づかいで覗き込み、小首をかしげる。
「ほら、リリィ。団長の眉、ぴくって動いた!」
「怒ってるー!」
「怒ってない。……行くわよ!」
そう言って歩き出すミリアの背で、二人が「これは照れてる」と小声で囁き合う。
そして、次は訓練場の見学だということで、三人は再び歩き出した。
やがて通路の先に広場が開けた。訓練場への近道だが、昼休憩を終えた兵士や見学者、補給班が行き交い、人の流れが途切れない。
その雑踏の中で――
「……あれ?」
シェラが足を止め、周囲を見回す。
「リリィが……いない」
ミリアもすぐに立ち止まり、顔を上げる。
ついさっきまで隣にいたはずの小さな姿が、どこにも見えない。
「リリィ!」
呼びかけても返事はなく、ざわめきが壁のように押し寄せて声をかき消す。
「待って。私、探ってみる……」
シェラは人波から一歩下がり、そっと目を閉じた。
細い指先が空気をなぞり、わずかに残った気配を必死に拾い集めようとする。
しかし――
「……だめ。気配が多すぎて、全然分からない……」
わずかに震える声に、焦りが滲んでいた。
ミリアは素早く視線を巡らせ、脳裏で城内の構造を組み立てる。
この通路は分岐が多く、近くには複数の部屋が点在している。施錠はされておらず、誰でも出入り可能だ。
「……となると、どこかに紛れ込んだ可能性もあるけど――」
すぐに首を横に振る。
「訓練場。次の見学予定だったわね。……先に向かったのかもしれない」
「でも、どうして……」
「リリィは、先を読んで動ける子よ。立ち止まって待っているなんて、きっとしないわ」
そう言ってミリアは、迷わず訓練場への道を進む。
シェラも数歩遅れて、その背中を追った。
――そして、扉を開けた瞬間。
「ミリアー! こっちー!」
向こう側で、小さな影が大きく手を振っていた。
「……いた」
安堵の息が、ミリアの唇からこぼれる。
リリィは何事もなかったように駆け寄り、笑顔で言った。
「ごめんね、途中ではぐれちゃって。でもね、次は訓練場って分かってたから、ここにいれば絶対ふたりとも来るって思ったの」
その言葉に、シェラの目がわずかに見開かれる。
「……わたし、探しても見つけられなかったのに」
リリィは小さく胸を張り、いたずらっぽく笑った。
「だから言ったでしょ? ほんとは私の方がお姉さんなんだってば」
その一言に、ミリアは何も言わず、そっと目を細めた。
「な……っ、うぅ……」
シェラが悔しそうに唇を噛むと、リリィはにんまりと笑った。
訓練場では、ちょうど模擬演習が始まったところだった。
剣と剣がぶつかり合う鋭い金属音、振るわれた刃先から火花のように散る魔力のきらめき。
土を蹴る靴音、指揮官の短い号令、熱を帯びた空気――見学者たちは思わず息を呑んで見入っていた。
その中の一人が、ふとこちらに気づく。
「やあ、ミリア」
アークだった。演習の列から抜けてきたのか、タオルで額の汗をぬぐいながら軽く手を上げる。
「まさか見学に来てるとはな。……そっちの子は、君の子か?」
「違うわよ」
即座に返すミリアの横から、リリィが笑顔で顔を出す。
「リリィです。今日はミリアお姉ちゃんが案内してくれてます!」
「そっかそっか。……にしては、妙にしっかりしてるな」
アークがからかうように口元を緩める。
その横でシェラが、「リリィなら当然」と言わんばかりに誇らしげにうなずき、リリィは少し照れながらも胸を張って笑った。
ミリアは小さくため息をつきながらも、そのやりとりをどこか嬉しそうに見守っていた。
やがて見学の時間が終わり、三人は城門へと戻った。
門前のロータリーには、見学者用のシャトル車が列を作って待機している。
「今日はここまでね。次はまた、ちゃんと時間を作るから」
ミリアの言葉に、リリィは元気よくうなずき、ぴょんと段差を飛び越えて振り返る。
「……楽しかったね?」
その笑顔に、ミリアはふと胸が温かくなる。
背伸びして大人びた顔を見せる彼女が、今日はちゃんと年相応の子どもに戻っていた。
「こっちはハラハラしたわよ」
「……まったく、騒がしい見学会でした」
シェラも肩を落としつつ、苦笑をこぼす。
やわらかな風が吹き抜け、笑い声と共に午後の日差しが三人を包み込んでいた。
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