第74話 ヴァレント・レネフィア
日が傾きはじめた頃、旧集会所の扉がわずかに開いた。
隙間から光が差し込み、ソフィアがさっと入ってくる。
室内をひと通り見渡したあと、扉の外へ向き直って短く頷いた。
その合図を受け、現れたのはマリスだった。旅の埃をそのまま残している。
「……少し遅くなってしまった」
表情には疲れが残りつつも、わずかな安堵が見えた。
ミリアは立ち上がり、まっすぐマリスに視線を向ける。
「合流できてよかった。街の様子はどうだった?」
「検問はいくつかあったけど……ソフィアのおかげで問題なかったわ」
マリスが隣に目をやると、ソフィアは「どうってことないわ」と言わんばかりに片手をひらりと振る。
その軽さが、張りつめていた空気をわずかに和らげた。
ミリアは全員がそろったことを確かめると、静かに頷く。
これで作戦の最終確認に入れる。
──翌日。
セリナは、小高い丘に建つ旧式の塔へ足を踏み入れた。
壁には無数の配管と金属板が並び、中央には街の広場へ繋がる通信機構らしき装置が据えられている。
「……この構造、魔族の街の図書館で見た技術と似ています。動力源もほとんど同じですね。各部に改良も入っていて、興味深いです」
セリナは小さく息を弾ませながら、制御板の奥へ手を伸ばした。
細かな歯車や導線を確かめながら、指先が楽しげに動く。
一方その頃、ソフィアは街の構造と人の流れを読み取っていた。
「人は朝から多く、流れは主に大通りに集中してる。……えっと、あと衛兵の巡回の時間はっと」
主要な出入口、見張り台の死角、広場に人が集まる時間帯——
必要な情報を淡々と拾い上げていく。
そして――
一通りの準備が整い、証拠となる文書や記録の整理を進めていたときだった。
外から近づく小さな足音を、シェラが誰より早く察知した。
すぐに手を上げ、全員へ身を伏せるよう示す。
扉の陰に身を潜めたミリアは、足音の主を確かめようと目を凝らした。
――扉が叩かれる。
短い沈黙ののち、古びた扉がゆっくりと開いた。
姿を見せたのは、アーク・レネフィアだった。
その姿に、ミリアはそっと身を起こし、扉の前へと出る。
「……来てくれるとは思ってもいなかったわ」
ミリアの言葉に、アークは小さく息を吐いた。
「ああ。……俺も、来るつもりはなかった」
一度視線を外し、わずかに間を置いてから、まっすぐミリアを見据える。
「もう一度……話を聞かせてくれないか」
その声には、わずかな迷いがにじんでいた。
ミリアは一瞬だけ目を伏せ、静かに小箱を取り出す。
中には、王命の封蝋が押された古い記録。
非人道的な実験の指示書、魔人政策に関する命令、粛清命令の発行記録――
どれも王都内部の闇を裏づける確かな証拠だった。
「これが、私たちが新たに手に入れた情報。……決定的な“裏側の証明”よ」
アークはしばらく無言でそれを見つめ、やがて静かに口を開いた。
「……この証拠、持ち帰らせてくれないか」
その一言に、場の空気が張り詰める。
「何言ってるの!? そんなこと、できるわけないじゃない!」
ソフィアが真っ先に声を上げた。
イレーネも険しい目でアークを睨み、マリスが口を開きかけたところで――
ミリアが手を上げて制した。
「……いいわ」
その言葉に、皆が一斉にミリアへ視線を向ける。
「ミリア、それは……!」
「分かってる。でも、これを表に出せるのは彼だけ。……信じるしかないのよ、私たちには」
その声には、わずかな震えと、それ以上の覚悟があった。
やがてアークは深く一礼し、封印された証拠を抱えて去っていった。
それから――数日が過ぎた。
報せは来ない。街も王都も変化の兆しを見せず、時間だけが流れていく。
ある夜、旧集会所の一室で、イレーネがぽつりと呟いた。
「……もしかして、騙されたのかも」
声音には皮肉も怒りもなく、淡い諦めのような響きがあった。
マリスは少し考え、首を横に振る。
「そうは……見えなかったけどなあ。あのときの彼の目、嘘をついてるようには見えなかった」
ミリアは黙ったまま二人の会話を聞いていた。
淡い照明に照らされ、ゆっくりと顔を上げる。
「それでも、信じるしかない……」
──翌朝。
アストラニア各地の公示板、魔導端末、王国公文書閲覧所の一部に、ひとつの声明が一斉に掲載された。
発信者は“ヴァレント・レネフィア”。
黎明の血を引く家系の当主であり、騎士団を含む王国機構において実質的にNo.2と見なされる人物。
アークの父親の名だった。
その名が、声明文の末尾に署名とともに記されていた。
内容は簡潔だったが、明確だった。
国家の内部で行われてきた非人道的な人体実験、魔人政策、そしてそれに関与してきた王家直属の指令――
ヴァレント・レネフィアという絶対的な名によって、誰の目にも触れることのなかった“国家の闇”が、初めて明るみに引き出された。
ミリアは魔導端末を見つめたまま、かすかに息を呑む。
文書の末尾にある名前を目にし、指先が止まった。
「……ヴァレント・レネフィア」
ミリアがその名を口にした瞬間、室内の空気がわずかに緊張を帯びた。
誰からともなく視線が集まり、空気がざわめく。
「レネフィア? ってこの前の彼の?」
マリスが眉を寄せ、確かめるように問いかける。
「ええ……父親。この国で、王族に次ぐ実権を握ってる人物よ」
ソフィアは窓際へと歩み寄り、外の様子に目を凝らした。
通りから響くざわめきを聞き取り、小さく息を漏らす。
「ねえ、今、外は大騒ぎよ」
その言葉に応えるように、ミリアは顔を上げる。
そしてゆっくりと椅子から身を起こし、背筋を伸ばした。
「今が……動くとき」
――これは、世論を動かす最初で最後の機会。
彼女たちはそう判断し、即座に情報拡散の実行に踏み切った。
セリナはあらかじめ調べておいた通信機器を用い、市内各所の広場、礼拝堂、市民ホール、教会などの公共端末へとリンクを確立。
魔力通信の網が一斉に展開され、情報の波が街中へと広がっていく。
ソフィアは市街上空に巨大な幻影結界を展開。
投影された映像には、旧研究所での過去の会議映像、監視塔から回収された魔族標本の映像、そしてリリィによる告白が順に映し出される。
視界いっぱいに広がる記録映像は、民衆の目に強烈な印象を与えた。
市街のあちこちで、人々が足を止めはじめた。
誰もが上空を見上げ、次々と映し出される記録映像に息を呑んでいる。
「……こんなこと、信じられない……」
通りの片隅で誰かがつぶやく。すぐそばで、別の者がそれに頷く。
その様子を見て、イレーネが短く呼ぶ。
「マリス。お願い」
その一言で、マリスが動いた。
“心をつなげる力”――共感を得た者と心をつなぎ、「感覚・思考・感情」を共有する能力。
彼女は一歩前へと進み、周囲に立つ人々の間に意識を広げていく。
――痛みを、伝える。
それは言葉ではなかった。
映像の奥に眠る“記憶”そのものを、体温のように流し込む。
イレーネが視た断片、セリナが復元した記録、リリィが語った想い。
それらが民衆の感覚へ積み重なっていく。
映像は、ただの情報ではなくなった。
胸に直接響く“感情”として広がる。
「……っ……」
「なに、今の……」
「……これ、本当なのか……?」
一部の民衆は映像に宿る痛みを体感的に理解し、衝撃は急速に広がった。
街のあちこちで足を止める人々が増え、広場では自発的に人が集まりはじめる。
誰かが声を上げ、別の誰かがそれに呼応する。
反応は早かった。
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