第72話 ユーグの訪問
陽が傾きかけた頃、扉が小さく叩かれた。
物音に気づいたミリアが立ち上がり、戸口を開ける。
そこに立っていたのは――ユーグ・カラン。
顔立ちは以前と変わらない。
けれど、その目元には、疲れの色がうっすらと浮かんでいた。
「……久しぶりですね、団長」
ユーグは少し気まずそうに笑いながら、そう言った。
「どうしてここが?」
「アークが……団長がここにいるって、こっそり俺にだけ教えてくれたんですよ」
ミリアは小さく息を吐き、扉の脇へ身を引く。
言葉少なに彼を中へ通した。
そこは旧集会所に併設された小部屋だった。
木の椅子が二脚だけ置かれた、簡素な空間。
壁際には使いかけの鍋がそのまま残り、わずかに温かな香りが漂っている。
ユーグは一度、視線を部屋の隅々まで巡らせてから、手にしていた布袋を軽く掲げた。
「食料を少し持ってきたんですが……大丈夫そうですね。
一応、乾燥肉と、街道沿いのパン屋のハードブレッド。ここに置いときます」
そう言って、照れくさそうに笑う。
「ありがとう。あとでみんなでいただくわ。――座って、ユーグ」
促され、ユーグは椅子に腰を下ろした。
短い沈黙が流れる。
久しぶりに向かい合ったというのに、懐かしさよりも言葉を探す時間の方が長かった。
ミリアが何かを言いかけたとき、ユーグが小さく息を吐く。
「北の遺跡……」
言葉はそこで途切れ、しばらく黙り込んだ。
何かを思い返すように、呼吸が浅くなる。
やがて、どこか申し訳なさそうな声が続いた。
「すみません……あのとき、俺は、ついていくことができませんでした。
あとのことを考えると、どうしても足が動かなくて……」
ミリアはふっと笑い、肩の力を抜くように答える。
「気にしてないわよ。
私が“来るな”って言ったんだもの。みんな無事だった、それでいいじゃない」
そう言って、背もたれに軽く身を預けながら笑った。
「……命令に従わずについてきたシェラは、ひと段落したら謹慎だけどね」
冗談めかした声に、ユーグが小さく笑う。
「相変わらずですね……
でも――迷わずついていけたあいつが、正直羨ましかったです」
ミリアは目を細め、穏やかに微笑んだ。
その瞳に、かすかな懐かしさが滲む。
それをきっかけに、ふたりの会話は自然と昔話へと移っていった。
かつての任務や訓練場での出来事、互いに忘れかけていたような些細な思い出をたどりながら、笑い声がいくつもこぼれていく。
次第に昔の調子を取り戻したユーグが、冗談を挟んではミリアに軽くいなされる。
そんな穏やかなやりとりの合間に、ユーグがふと思いついたように尋ねた。
「団長は今、何をしてるんですか?」
その言葉に、ミリアは一瞬だけ視線を落とす。
穏やかだった表情が、わずかに曇った。
しばし沈黙が流れ――やがて、ゆっくりと口を開く。
「そうね。あなたには、事前に見てもらった方がいいかもね」
そう言って、傍らの小箱を開ける。
中には、いくつかの黒い石片――記録石が並んでいた。
ミリアはその中のひとつを手に取り、そっとユーグに差し出す。
「これには、国家と王族が隠してきた真実が記録されているわ」
ユーグはわずかにためらったが、そっと記録石に指先を触れさせた。
触れた瞬間、微かな震えが伝わる。
やがてその石片から、封じられた思念が意識の中へと流れ込んできた。
――国家が、魔素による人体実験を繰り返していたこと。
――王族が主導で“人体実験による変異”を隠蔽していたこと。
――人と魔族の対立構造が、つくられたものだったということ。
次々と再生される記録の断片が核心へ近づくにつれ、ユーグの目の奥の色が変わっていく。
やがて彼は身じろぎもせず、黙ってすべてを受け止めていた。
「たしかに……ここ最近の軍の命令には、違和感がありました」
「ええ。でも、おそらく軍上層部も何も知らない。
国家――いえ、王族の命令通りに動いているだけだと思う」
「……なるほど」
「私たちは、これらの証拠を元に……今の国家体制を崩して、新しい世の中を作ろうとしているの」
少し間を置いて、ミリアは続けた。
「人間と魔族が、仲良く暮らせる未来」
それは、かつてひとりの少女が口にした、とても信じられないような未来だった。
エレナ――
橙の灯が、壁に柔らかな影を揺らしている。
しばらく黙っていたユーグが、低い声で口を開いた。
「なあ、団長。……俺にも、何かできることはありませんか?」
ほの暗い部屋の静けさの中、彼の声が淡く響く。
ミリアは小さく息を吐き、そしてゆっくりと頷いた。
「ありがとう、ユーグ」
それから表情を引き締め、まっすぐに彼を見つめる。
「……まだ、この映像証拠だけでは不十分かもしれない。
王宮の地下――たとえば王室の記録庫や、封印文書が保管されている区画に、何か決定的な記録が残っているはず。でも、私では……内部に踏み込むことができないの」
ユーグは短く目を伏せ、何かを飲み込むようにして頷く。
「分かりました。……俺が行きます。
あの時動けなかった分も、今ここで取り返させてください」
「でも、ユーグ……とても危険よ?」
ミリアの言葉に、彼はわずかに口元をゆるめた。
「団長、俺のスキルをお忘れですか?」
その言葉に、ミリアも小さく笑みを返す。
「……そうだったわね。じゃあ、お願いするわ」
ミリアは、信じる未来の断片を彼へ託した。
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