第66話 再生された記録の余韻
記録石の光がゆるやかに消えると、部屋は息をひそめたように静まり返った。
誰も言葉を発さず、ミリアたちはただマリスの表情を見つめている。
マリスは何も言わずに踵を返し、静かな足取りで扉へ向かった。
扉へ向かう足取りに乱れはない。
だが、その背に漂う空気にはどこか硬く、抑え込んだ感情が滲んでいた。
屋敷の奥を抜け、小さな石階段を上がる。
外に出ると、夜の風が髪を揺らし、肌を冷たく撫でていった。
高台の歩廊にたどり着いたマリスは、ひとつ息を吐き、遠くに灯る街の光を見つめる。
その光の瞬きに導かれるように、思考はいつしか過去へと沈んでいった。
「ねえ、いつか人間の街を見てみたいな」
笑ってそう言った少女の顔が、脳裏に浮かぶ。
柔らかな声。陽だまりのような微笑み。
エレナ――誰よりも無垢で、誰よりも世界に憧れていた少女。
彼女が最後に遺した言葉が、胸の奥で静かに反響する。
『お願い。人間を、恨まないで』
復讐と憎しみを支えに生きてきた日々のなかで、一度も考えたことのない願い。
けれど今は、その言葉が心のどこかに刺さったまま離れない。
本当に、あの子が選んだ未来はこれだったのか。
その問いが消えぬまま、夜はゆっくりと明けていった。
◇
翌朝。
やわらかな光が差し込む中、マリスはミリアたちの部屋を訪れた。
扉が開き、視線が交わる。室内にわずかな緊張が走る。
ミリアが身を起こしかけたところで、マリスは手を軽く上げてそれを制した。
「……誤解しないで。あなたを許したわけじゃないわ」
そう前置きしながら、マリスは椅子に腰を下ろし、まっすぐにミリアを見据える。
「でも――話くらいは聞いてもいい」
その言葉に、ミリアは小さく頷いた。
一度視線を落とし、静かに息をついてから、ゆっくりと顔を上げる。
そして、言葉を選びながら語り始めた。
「人間の社会では……魔族はずっと、敵として語られてきた。
人間に害をなす存在、滅ぼされるべき異形の者たちとして」
マリスはわずかに眉をひそめる。
「でしょうね。そうでも思い込まなきゃ、あんなひどいこと……絶対にできない」
ミリアは息を詰まらせ、視線を落とした。短く呼吸を整えてから、再び顔を上げる。
「……私も、そうだった」
そう言って、ミリアはゆっくりとマリスのほうを見やった。
「エレナと出会って、あなたたちに会うまでは――
“魔族は危険な存在”“人間の敵”だと、何の疑いもなく信じていた。
でも――それは、誰かにとって都合よく作られた認識だった」
ミリアは少し間を置き、言葉を継ぐ。
「真実は、まったく違ってた。
魔法技術の発展がもたらした弊害で、姿を変えてしまった人たちがいた。
それだけで“人間ではない”と決めつけられ、意図的に外へ追いやられた。
見た目が変わったというだけで……本当は、私たちと同じ“人間”だったのに」
マリスが小さく眉を寄せる。
「……どういうこと?」
問いかけに、ミリアは静かに頷いた。
あの研究所跡で見た記録の断片を淡々と語り始める。
高濃度の魔素による変異、封印された実験、魔族と呼ばれた者たちの出自。
そして人間による隠蔽と粛清の歴史――
黙って聞いていたマリスが、ふと視線を横に向ける。
イレーネが静かに頷いた。その表情にはためらいがない。
しばらくの沈黙。
やがてマリスが、ぽつりと口を開く。
「……そう。話は分かったわ。
じゃあ――あなたは、それでどうしたいの?」
ミリアは真っ直ぐにマリスを見据えた。
その瞳に、迷いはなかった。
「人間も魔族も、同じ世界で暮らせるようにしたい。
争いじゃなく、理解と共存でつながる未来を作りたい。
そのために……魔族について、もっと知りたい」
マリスはわずかに目を細め、静かに言った。
「でも――あなたひとりで? 何ができるっていうの?」
その問いに、ミリアが答えるよりも先に、後方から声が響く。
「一人じゃない。私たちがいるわ」
ソフィアだった。
部屋の隅に控えていた彼女が、一歩前に出て、まっすぐマリスを見つめる。
マリスは驚きで目を大きく見開いた。
しばしソフィアを見据えたまま――小さく息を吐く。
「……あなたからそんな言葉が聞けるなんて、思ってもみなかった」
戸惑いと、ほんのわずかな安堵が混ざった声だった。
「人間への恨みが消えたわけじゃない。
でも……あなたのその未来、悪くないと思う」
ミリアはふっと息をつき、肩の力を抜く。表情が少しだけ和らいだ。
「――まずは、戦争を終わらせる必要がある」
だがマリスは、静かに首を振る。
「もし魔族に支援を求めるつもりなら……それは無理よ。
たとえあなたの理想がどれほど正しくてもね」
「……それは、どうして?」
ミリアの問いに、マリスはかすかに眉をひそめ、淡々と答えた。
「私自身も、それを望んでいた。
ただ、私の目的は復讐だったけど……人間を討つために、何度も軍を説得してきたの」
声の調子が落ちる。しかし言葉は続いた。
「それでも――この地の人々は、力で押し通すようなやり方を選ばなかった」
ミリアが眉を寄せると、マリスは視線を戻して続ける。
「“戦争が続いている”って、あなたは言ったけど――
それは人間が一方的に仕掛けてきているだけ」
言葉を切って、視線を伏せる。
「魔族が戦っているのは、自分たちの生活圏を守るため。
ただ、境界を守っているにすぎない。
戦争をやめようとしないのは――あなたたちのほうなの」
ミリアは言葉を飲み込み、マリスを見返す。
「……どうすればいい?」
その問いに、マリスはわずかに笑みを浮かべた。
「一度、王に会ってみるといいわ」
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