第65話 エレナの約束
案内された宿舎は、二階建ての石造りだった。
外観は質素だが、手入れが行き届き、どこか温かみがある。
荷物を下ろしてひと息ついたころ、ちょうど夕食の時間がやってきた。
食堂は一階の奥にあり、長いテーブルがいくつも並んでいた。
湯気を立てる料理がずらりと並び、香ばしい匂いが空間いっぱいに広がっている。
全員が席につくと、ミリアが隣のリリィに微笑みかけた。
「リリィ、今日は楽しそうだったわね」
リリィはぱっと顔を上げ、目を輝かせた。
「うん! 最初は少し緊張したけど……すっごく楽しかった!」
勢いづくように言葉が弾む。
「目のこととか髪のこととか、いろいろ聞かれてびっくりしたけどね。
でも、みんな明るくて元気で――気づいたら一緒に走ってたの!」
彼女は袖の端を指でいじりながら、広場での笑い声を思い出すように目を細めた。
「最後に『また来てね』って言われたの。……もう少し、一緒にいたかったな」
その横顔を見つめながら、ミリアは小さくうなずいた。
「私も、想像していたのとは全然違いました」
向かいに座るシェラが、言葉を継ぐ。
「もっと閉鎖的というか……警戒されると思ってました。
でも、案内してくれた人も親切で、町の雰囲気も穏やかで」
「わたしは図書館に案内してもらえました」
セリナが控えめに言葉を挟む。
その顔には、満足そうな笑みが浮かんでいた。
「文献の種類が豊富で、魔法関連の資料もとてもよく整理されていました。
できれば、明日も少し見てみたいです」
その隣では、ソフィアがパンをかじりながらイレーネと話している。
「うーん……町って初めて来たけど、人がたくさんいて、なんか興奮するよね」
どこか楽しげに言うソフィアに、イレーネが小さく笑った。
「私もそう感じた。森から出るまでは、こういう場所を想像の中でしか知らなかった。
でも来てみたら……思っていたのと、少し違った」
そう言ってから、イレーネはにやりと口元をゆるめる。
「森の中じゃあんなに排他的だったのに……変わるものだね」
「なっ……べ、別に! 私だって、成長してるし……」
ソフィアは頬を赤らめながらむきになって言い返すが、すぐにトーンを落とした。
「……でも、やっぱり人間は信じられない。ミリアとシェラ、それにリリィは別だけど、それ以外の人間なんて……」
誰も反論はしなかった。
それぞれに痛みを抱えていることを、皆が理解していた。
言葉の端に棘は残っていたが、それでも以前のように、すべてを拒む響きではなかった。
会話が途切れ、器の音もしなくなる。
食事を終えた頃、扉がノックされた。
入ってきたのは使いの者だった。
ミリアたちを会議室へ案内するという。
一行は席を立ち、案内に従って宿舎を出る。
向かったのは、昼間にも訪れたあの部屋だった。
扉を開けると、中にはすでにマリスがいた。
背もたれに体を預け、両手を膝の上に置いたまま、無言でこちらを見つめている。
表情は昼間よりも落ち着いていたが、その目はまだ怒りを隠しきれていなかった。
部屋にはあらかじめ椅子が並べられていた。
一行は言葉を交わすことなく、促されるままに腰を下ろす。
しばしの沈黙ののち、マリスが真正面のミリアをまっすぐに見据えて口を開いた。
「――何をしに来たの?」
低く、鋭く。それでいて揺らがない声だった。
ミリアは一瞬だけ目を閉じ、息を整えてから、真っすぐに答える。
「リリィの未来のために、ここへ来た」
マリスの視線がわずかに揺れ、リリィへと移した。
リリィは小さく身じろぎしながらも、その視線をしっかりと受け止める。
「……意味が分からない」
短く放たれた言葉に、ミリアは静かに首を振った。
過去を否定するつもりはない。
それでも――リリィのために、今の自分がすべきことを伝えなければならなかった。
「リリィが生きていくために。
魔族との共生の可能性――それを探しに、ここに来たの」
マリスは黙ったまま、ミリアの瞳を見つめ返す。
沈黙が続き、誰も動かず、言葉もなく時間だけが過ぎていく。
そんな中、ソフィアがそっと口を開く。
「……マリス」
視線だけを向けたマリスの前に、ソフィアは黒い石片をそっと置く。
「一応ね、あなたに見てもらったほうがいいかなって思って」
マリスの目がわずかに細まる。
「記録石……? これが何?」
「ここに来る前に、ミリアから預かってたんだ。
“言い訳したいわけじゃないけど、聞いてほしい”って」
マリスは言葉を返さず、石片を手に取った。
指先が表面をかすめた瞬間、記録された思念が意識の奥へと流れ込んでくる。
『えー、コホン ……これ、聞こえてるかな……』
それは――懐かしい声だった。
幼い頃からずっとそばにいた親友、エレナの声。
マリスは息を呑み、思わず口元を押さえる。
「……エレナ……?」
音質は悪く、ところどころノイズが混じっていたが、内容ははっきりと伝わってきた。
『私は……私の信じた道を、やっぱり進みたいと思うの。
たとえ誰かに止められても、怖くても、諦めたくないって思った。
この森を出ることになるけど―― きっと……
それでも私は、自分の目で世界を見てみたいんだ。
でもこの先、私に何があっても――
お願い。人間を、恨まないで
約束よ、マリス』
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