表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
59/73

第58話 閉ざされた円卓

 足元に広がっていたのは、長く人の気配が絶えた石畳だった。

 ところどころが砕け、魔素の残滓が染みのように滲んでいる。

 天井には穴があき、木の根と土が露出していて、空気にはわずかに鉄と煤の気配が混ざっていた。


 一行は足音を抑えながら進む。

 リリィはセリナの隣で崩れかけた壁や天井を見上げ、小さく息を呑んだ。

 その表情には、張りつめた緊張が滲んでいる。


 その様子に気づいたミリアが、先頭から振り返った。


「……大丈夫?」


 声をかけられたリリィは、少し瞬きをしてから頷く。

「うん、歩けてるよ。ちゃんと」


 ミリアは目を細め、歩調を落として隣に並んだ。

「無理はしないで。少しでも変だと思ったら、すぐに言って」


 リリィはわずかに視線を外し、すぐ笑みを浮かべた。

「ミリアも、気をつけてね」


 その言葉に軽く頷くと、ミリアは再び前を向き、慎重に歩き出す。


 奥へ進むにつれて、空気の気配が変わりはじめた。

 じめじめとした湿気が背筋をなぞり、ざらついたような重みが空間全体を覆い始める。


「……中の気配、思ったより濃いわね」


 先頭を歩くミリアのつぶやきに、すぐ後ろのイレーネが小さく頷いた。

「長い年月のあいだに沈んだ魔素が空気に滲んでいる。気を抜くと酔うかもしれないな」


 やがて一行は、崩れかけた仕切りを抜け、かつて研究室だったと思しき部屋へとたどり着く。

 しかし中はがらんとしていた。

 棚も机もなく、壁の焦げ跡と床に散らばった紙片がその痕跡を伝えている。


 イレーネがそっと手をかざし、思念の残滓を探る。

 微かな光が集まりかけたが、反応はすぐに途切れた。

「表層しか残っていない。記録としては曖昧だな」


 ソフィアが周囲を見回しながら呟く。

「痕跡はあるのに何も見えない……わざと消されたのかな?」


「あるいは記録に残るほどの強い感情が残っていなかったか……」

 イレーネの言葉に、一行は黙って頷いた。


 探索はさらに続く。破損した廊下を抜け、次の部屋、またその奥へ。

 そのたびにイレーネは感覚を研ぎ澄まし、思念の反応を探ったが、明確な反応は得られなかった。


 そして、最後に行き着いたのは――重い鉄扉の前だった。

 錆びた表面には火傷のような黒い染みがあり、扉の隙間からは微かな魔力の揺らぎが感じられる。


「……ここだ。扉の前に立っているだけで、強い感情の残滓が伝わってくる」


 イレーネが低く呟き、ミリアが頷く。


 扉を押し開けると、内側には異様な光景が広がっていた。


 これまでの荒れた廊下や焦げた部屋とは違い、この空間だけはほとんど損傷がない。

 中央の円卓、並んだ椅子、壁の装飾や棚――どれもが乱れず、まるで人の手で整えられたようだった。


「……この部屋だけ、異様に整ってるわね」


 ミリアの言葉に、セリナが無言で頷く。


 イレーネはゆっくりと室内に入り、円卓の脇に立った。

 目を閉じると、額に淡い光が灯る。


「……思念の痕跡、薄れているけれど、まだ残ってる」


 その声に、全員の視線がイレーネへと集まる。

 しばしの沈黙ののち、彼女は静かに口を開いた。


「これから、この痕跡を増幅させて記録を再現する。皆にも見えるように展開するつもりだ」


「……ええ。お願いするわ」


 イレーネは一度リリィに視線を送り、再びミリアへ向き直る。

「ただ、この力が再現するのは出来事だけじゃない――当時そこにあった“感情”も呼び起こされる。

 特に激しい怒りや恐怖が残っている場所では、映像が暴力的になったり、精神に影響を及ぼすことがある。

 最悪の場合、感情に引き込まれて意識が戻らなくなる危険もある」


 ミリアはその意図を理解し、リリィの方へ向き直ってやわらかく語りかけた。

「ねえ、リリィ。ここから先は本当に危険かもしれない。だから――部屋の外で待っててくれる?」


 リリィは戸惑いをにじませ、わずかに首を振る。

「……大丈夫。私も一緒にいる。何かあっても、ちゃんと――」


 その言葉を、ミリアは制止するようにそっと遮り、横のシェラへ視線を送った。

「お願いできるかしら」


 シェラは小さく息をつき、リリィの肩に手を添える。

「……行こう。終わるまで、外で待ってよう」


 リリィはしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて口をつぐみ、小さく頷いた。

「……わかった」


 そうしてシェラとともに静かに部屋を後にする。

 扉が閉まると、室内に再び静けさが戻った。


 イレーネは深く息を吸い、ゆっくりと吐き出して目を閉じる。

 額に宿る光が強まり、空気がかすかに震える。


 次の瞬間、意識の奥へ何かが染み込んでくるような感覚が訪れた。

 それは音でも映像でもない――記憶。

 ただの再現ではなく、かつてこの場所にいた“誰か”の思考と感情が、まるごと意識に流れ込んでくる。


 円卓を囲む複数の気配。

 書類をめくる乾いた音が、静けさの中に小さく響く。

 視線が交わり、気まずさを含んだ沈黙が流れる。

 息を呑む気配。張りつめた空気の中、誰かの喉がかすかに鳴った。


 空間そのものは変わらない。

 だが、一行の意識はすでに過去と繋がっていた。


 やがて、一人がそっと口を開く――


 イレーネが低く呟いた。

「……始まったわ」


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、

ブックマークや感想で応援していただけると嬉しいです。泣いて喜びます。


もちろん「面白くなかった」などのご意見も大歓迎です!

しっかり次につなげるべく、泣きながら執筆します。


皆さまの感想が、何よりのモチベーションです。

それでは、次回もぜひよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ