第55話 セリナの目的
泉のほとりには、苔むした平たい岩がいくつも並んでいた。
わずかに湿ってはいるが、腰を下ろすにはちょうどいい高さだ。
セリナはその一つに腰を下ろし、膝の上で両手を重ねる。
ミリアたちもそれぞれ岩に腰を下ろし、互いの顔を確かめ合った。
「――お聞きになりたいことは?」
セリナが穏やかに問いかける。
ミリアは小さく頷き、言葉を選ぶように応えた。
「魔人の起源について知りたいの。どうして存在するのか、その始まりがどこにあるのか――」
セリナは微かに目を細め、その問いを受け止めた。
ミリアは隣に座るリリィへと視線を移す。
「……この子のことなの。リリィはもともと人間の子だったのに、ある日を境に“変わり始めた”の。
瞳の色、耳の形、肌の痣……今ではもう、魔人と違わなくなってしまったわ」
セリナは黙ったまま、耳を傾けている。
ミリアはほんの一瞬だけ視線を落とし、続けた。
「変化が始まる直前、この森のように魔素が異常に濃い場所へ迷い込んだの。
私は、それが原因だと思ってる」
短く息を整え、再び顔を上げる。
「それからは、魔族に関する記録を片っ端から調べた。旧軍の報告書も、封印指定文書も。でも、どれも断片的で核心には届かなかった」
指先がわずかに強張る。
「リリィがどうして変わったのか、どうすれば元に戻せるのか――何もわからない。
わかっているのは、“魔族”という言葉が記録に現れ始めたのが、約七百年前からだということ」
ミリアはゆっくりとセリナを見つめた。
「あなたなら、何か知っていると思った。だから、ここまで来たの」
セリナは視線を落とし、ゆっくりと口を開いた。
「私がこの森を訪れたのは、一冊の古い伝記がきっかけでした。“記録の森”――そう呼ばれる場所が、南東の辺境にあるかもしれない。幾百の記憶が積み重なった地として、伝えられていたのです。はじめは、それを確かめに来ただけでした」
「……その話、村の書庫で目にしたことがあるわ」
ソフィアが小さく頷く。
「もし本当に存在するのなら、残された情報をすべて記録したい。そう考えたのです」
リリィが不安げにミリアの袖をつまむ。ミリアは小さくうなずいて、そっと抱き寄せる。
「……ですが、今はまた別の目的ができました」
「別の目的?」
ミリアの問いに、セリナは短く息を整えて続けた。
「この森に向かう途中で、古い建造物を見つけました。外観は監視塔のようでしたが――中は、何かの研究所のようでした」
イレーネが低く呟く。
「……私たちも、そこを通ってきた。建物は崩れかけていて、残留思念はほとんど感じなかった」
「おそらく、同じ施設を見たのでしょう」
セリナはわずかに表情を引き締めて続ける。
「そこで、私は奇妙な標本を目にしました。人でもなく、魔人でもない――その中間にあるような、形容しがたい存在でした」
ミリアがわずかに身を乗り出す。
「でも、それに関する記録は見つからなかった」
「はい。ですので――これは、あくまで私の仮説になりますが」
セリナは少し言葉を切り、そっと泉に視線を移した。
光を受けて揺れる水面を見つめながら、落ち着いた口調で続ける。
「魔人とは、もとは人間だったのではないか。あるいは、特定の要因によって人間が変異――ある種の進化を遂げた結果なのかもしれない。私はそう考えています」
わずかな間を置き、再び視線を上げる。
「あの施設は、その“変化の過程”を研究していた……少なくとも、私にはそう見えました」
「研究……何を?」
ソフィアが問いかける。
セリナは少し考えるように言葉を選んだ。
「それは、記録からしか想像できません。でも――」
一瞬言葉を切り、目を伏せてから続ける。
「思念の中に、妙な記述がありました。“人と魔人の境界は、不可逆的だった”とか、“適合と分離”とか。いくつかの記録は、魔人という存在が“生まれた”のではなく、“変化した”ことを前提に書かれていたのです」
「つまり……魔人は“人間の進化形”かもしれないってこと?」
ミリアの声に、わずかな震えが混じる。
「断定はできません」
セリナは首を横に振った。
「記録の森には、それを裏付ける記録や情報は残されていませんでした。ですが、記録の中で繰り返し言及されていた場所が一つあります。――“五百年以上前の魔法研究所”です」
「場所の特定はできてるの?」
ソフィアが尋ねる。
「はい。北東の山岳地帯、中腹の森に囲まれた区域にあったようです。現在では地図上からも削除され、民間には知られていません。おそらく、意図的に消されたのでしょう」
セリナはミリアに向き直り、穏やかに言った。
「もしその場所に、当時の残滓が残っていれば……イレーネの力で、過去の思念を読み取れるはずです」
「ええ、思念が完全に消えていなければ問題ない」
イレーネが頷く。
ミリアは一同を見回し、小さく頷いた。
「なら、次の目的地はその研究所跡ね」
「セリナ、あなたも来るわよね?」
ソフィアが身を乗り出し尋ねる。
セリナは目を細め、わずかに口元を緩めた。
「……はい。私も行きたいのですが、この森の記録を終えるには、あと三日ほどかかりそうです」
そのやりとりを聞いていたリリィが、そっとミリアの袖をつまんだ。
「ミリア……ちょっと、休もう?」
ミリアはその手を包み、優しくうなずき返した。
「……そうね。ここでしばらく体を休めましょう」
こうして一行は、セリナの記録を待ちながら、森で束の間の休息を取ることにした。
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