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第51話 揺らぐ正義

 山の夜は冷え込む。

 濃紺に沈む空の下、山間の野営地ではいくつもの焚き火がともされ、兵士たちがその灯に集まっていた。


 北方の廃遺跡での任務は失敗に終わった。

 目的だった魔族の捕縛は果たせず、ミリア・カヴェルは命令を無視して姿を消した。


 本来であれば軍紀に照らし、反逆と見なされてもおかしくない行為だ。

 だが、彼女を糾弾する声はほとんど上がらなかった。

 最近の上層部の命令を、誰もがどこかで疑っていたからだ。


「帰還は明後日。セイクリア第三区の補給所を経由する」


 レオナが記録符を手に、簡潔に報告を読み上げる。

 火を囲む兵士たちは黙って耳を傾けていたが、その表情はどこか落ち着かなかった。


「上層部には……どう報告を?」

「ミリア団長の件、どう処理されるんだろうな」


 そんな声がぽつりと交わされる。

 その少し離れた岩陰に、アーク・レネフィアの姿があった。


 背後のざわめきには一切反応せず、ただ焚き火の揺らめきを静かに見つめている。

 澄んだ夜気が鎧の隙間に染み込み、冷たさが骨の奥までじわりと広がっていく。


 やがて、若い部下がそっと近づいてきた。

 焚き火の向こうからアークの横に立ち、遠慮がちに問いかける。


「……魔族を取り逃がした件、問題になりませんか?」


 アークは少しだけ目を細め、短く答えた。


「できることは、やったつもりだ」


 感情を抑えたつもりだったが、その言葉を口にした瞬間、胸の奥に微かなざらつきが残るのを感じた。


 本当に、そうだろうか。


 ――なぜ、ミリアは魔族の側に立った?

 ――なぜ、自分は……それを止められなかった?


 彼女を止められなかったのは、信念が揺らいでいたからではないのか。


 “魔族は敵”。

 そう信じてきたはずなのに、あの森での彼女の言葉が今も頭を離れない。


「アーク……ここの人たちは、何をしたの?

 どうして、制圧されなければならなかったの?」


 その問いに、「……魔族だったからだ」としか答えられなかった。


 小枝がぱちりとはぜる音が響き、火の揺らぎが岩の影を伸ばす。

 地面に映る自分の輪郭が、問いかけてくるようだった。


(お前の信じていた“正義”は、本当に正しいのか――と)


 ――ミリア。

 共にいくつもの戦場を駆け抜けた仲間。

 剣を交え、命を賭けて背中を預け合った相手。


 アークは黙ったまま、その焚き火を見つめ続けていた。


「……ずいぶん、考え込んでいますね」


 声をかけてきたのはレオナだった。

 気づけばすぐそばに立っていて、手には記録符を持ったまま、焚き火の明かりを見つめている。


 アークは言葉を返さず、ちらりと視線だけを向けた。

 レオナの表情はいつも通り冷静だったが、その瞳の奥には、かすかに揺らぐ光が見えた。


「報告は、私がしておきます」


 それだけ告げると、レオナは踵を返した。

 歩き出した彼女の背に、アークが声をかける。


「……君はどう思う?」


 足が止まる。

 レオナは背を向けたまま、低く答えた。


「彼女は明らかに命令に背きました。軍の規律から見れば、国家反逆罪とされてもおかしくありません」


 淡々とした声だった。

 だが、そのあとの言葉には、ほんのわずかな迷いが滲んでいた。


「……けれど、分からないんです。どうして、彼女があんな行動を取ったのか」


 アークは少し間を置き、焚き火を見つめたまま問う。


「本当に、分からないか?」


 その問いに、レオナは一瞬だけ息を詰める。

 そして、声を絞るように答えた。


「……いえ、分からなくもありません。ただ……口には出したくないんです。認めてしまいそうで」


「そうか……」


 アークがぽつりと漏らしたその言葉は、どこか自分に向けたようでもあった。


 しばし沈黙が流れ、やがてレオナが静かに口を開く。


「団長、少し歩きませんか?」


「……ああ」


 二人は並んで、野営地の外れをゆっくりと歩き出す。

 夜気はまだ冷たかったが、足取りは不思議と重くなかった。


 少し歩いたところで、レオナがふいに口を開いた。

「団長、覚えてますか? 前に私に“少しは任せることを覚えろ”って言ってくれたこと」


「……ああ。そんなこと言ったかもな」


「その言い方……絶対覚えてませんよね?」


 アークは苦笑して、わずかに肩をすくめた。


「そんなことないさ。君はいつも一人で頑張りすぎている。君を支えるために、部隊はあるんだ――そういうつもりで言ったはずだ」


 レオナの口元が、ふっとやわらぐ。


「……はい。あのとき、すごく嬉しかったのを今でも覚えてます」


 アークは何も返さなかった。

 ただ、その言葉を受け止めるように歩を進めた。


「団長、一人で考え込まないでください」

 レオナの声が、夜風に溶けていく。

「彼女のしたことは、私たちだけでどうにかできるような問題じゃありません。

 でも……団長と一緒に悩むことなら、私にもできます」


 アークは小さく息を吐き、ゆっくりと頷いた。


「……ああ。そうだな」


 レオナは立ち止まり、真っ直ぐにアークを見る。


「団員たちもいます。団長一人が背負う必要はありません」


 その言葉に、アークの口元がわずかに緩む。

 それは笑いというより、安堵に近いものだった。


「……お互い様だな、レオナ。これからも頼むよ、副団長」


 レオナは穏やかな笑みを浮かべ、わずかに頬を染めながら、誇らしげに答えた。


「……はい。任されました」


 野営地の火は、次第に小さくなっていく。

 夜の帳がわずかにゆるみ、山の稜線が薄明かりの中に静かに浮かび上がった。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、

ブックマークや感想で応援していただけると嬉しいです。泣いて喜びます。


もちろん「面白くなかった」などのご意見も大歓迎です!

しっかり次につなげるべく、泣きながら執筆します。


皆さまの感想が、何よりのモチベーションです。

それでは、次回もぜひよろしくお願いします!

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