第4話 境界に灯る炎
数か月後――
荒野に、戦塵と湿った風が混じり合う。肌にまとわりつく粉塵の感触と、遠くから響く金属音。ミリア・カヴェルは、そのただ中に立っていた。
ここはアストラニア王国と魔族領を隔てる広大な緩衝地帯。西は人間領、東の山岳を越えれば魔族領。幾度も戦火に焼かれたこの地は、今もなお両勢力の境界線であり続けている。
数日前、魔族軍が緩衝地帯内の旧監視塔を占拠し、そこを拠点に陣を築いた。王国軍は一部の前線を押し戻され、防衛線を再構築中だ。現在は旧監視塔の西側に布陣し、北翼を《白陽の騎士団》、中央と南翼を《夜禍の牙》が担当。北と中央は膠着状態だが、南翼ではすでに火花が散っていた。
「こちら中央戦線、敵前衛は二百メートル手前で停止。大きな動きは確認できない」
高台から響くのは、《夜禍の牙》の狙撃手シェラ・ノクトの声。霧の奥で揺れる熱と魔素、遮蔽物の向こうに潜む気配――彼女の眼はそれらを正確に捉える。まるで霧も壁も存在しないかのように戦場を見通す、その感覚こそが彼女の武器だった。
「この風だと霧は長く持たない。晴れれば、向こうは狙撃を軸に前衛を動かすはず」
「前衛を下げて、南翼からの回り込みを見せて牽制。霧が動いたら即報告を」
「了解」
短いやり取りの後、ミリアは魔導端末に指を走らせる。中央の布陣を確認し、視線を南翼へ向ける。
旧監視塔の南に広がる低地では、王国軍と魔族軍が刃を交えていた。崩れた石壁や朽ちた櫓が残る廃地。その跡地を利用し、両軍が陣を張り合っている。
そのとき、西側から伝令が駆け込んできた。
「団長!《白陽の騎士団》より、アーク団長がこちらに向かっています!」
ミリアは眉をわずかに寄せる。
(アークが直々に?……何があった)
やがて、白銀の鎧をまとった青年――アーク・レネフィアが騎馬のまま戦場に現れた。
馬を降りることなく、鋭い視線のまま問う。
「状況は」
「南翼が押され気味。中央も手薄で補給も遅れ始めている。このままでは長く持たない。そっちは?」
「砦は維持。だが斥候が魔族の新部隊を確認した。南側から包囲を狙う動き……予想より早い」
「なら後衛から火力支援を。こちらは陣を再配置して中央を固める。防衛線も引き直す」
「了解。座標を送れ」
金属の擦れる音と風切り音の中、交わされたのは必要最低限の情報だけ。それで充分だった。
「ユーグ、敵の動きは?」
「南側の通気路、警備が甘い。偵察中に気配を感じました」
低く報告したのは、影のように気配を消す男――ユーグ・カラン。
相手に認識される前なら、視覚も聴覚もすり抜けて存在を消す、その稀少なスキルが彼の武器だ。
通気路は、かつて前哨施設の地下に設けられた排気路。今は廃墟となったが、通路や貯蔵庫は残り、霧と風に紛れて外からは見つけづらい。
「シェラ、通気口前に伏兵を。奥に潜む気配にも注意を」
「了解……任せて」
霧がわずかに薄らぎ、冷たい空気が頬をなぞる。ミリアは息を整え、これから訪れる衝突に備えた。
◇ ◇ ◇
夕暮れ、霧がまだ薄く漂う中――動きがあった。
「……来る」
シェラの声と同時に、通気口の奥が閃き、赤い軌跡を描いて魔族が滑り出る。伏兵たちが一斉に身構えた。
「今!」
ミリアの号令で、D.E.Aユニットを装着した兵たちが無音で飛び出す。狭所戦闘に特化した加速が魔力を走らせ、瞬く間に間合いを詰めた。
視界の端で、敵が横合いから迫る。
――銃声。
高台から放たれた一弾が遮蔽物越しの敵兵を撃ち抜き、そのまま崩れ落とす。
「助かった」
「団長に消えられると困りますので」
ミリアはわずかに笑みを返し、前方へ視線を戻した。
同じ頃、前線ではユーグが霧に溶け込んでいた。
背後へ忍び寄り、短いダガーで喉を断つ。声もなく命が落ち、誰に気づかれることもなく、再び霧へと消えていく。
それが、彼の戦い方だった。
霧が薄れ始める頃には、敵前衛はすでに後退していた。
通気路からの奇襲も、中央突破も封じられ、防衛線は揺るがない。
夕陽が戦場に淡い金を落とす中、短い静けさが訪れる。
「やるな、ミリア」
「あなたが来てくれたおかげよ」
アークは短く頷き、背後の部隊を見やった。
配置を確かめると、二人は夕陽に背を向け、それぞれの持ち場へと歩を戻す。
背後では、風が廃墟の石壁を抜け、消えかけの霧をさらっていった。
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