第48話 決意と決別
翌朝、東の空が淡く染まりはじめる頃、部隊は再び進軍を開始した。
冷たい山風が吹きつける中、兵たちの足並みは乱れず、焚火の夜がもたらした一体感がまだ胸の奥に残っていた。
列の中で、シェラがミリアの隣に並ぶ。
「団長……昨晩は、めずらしく楽しそうでしたね」
「えっ、そう? いつも通りだと思うけど」
「あんなに笑ってたの、久しぶりに見た気がします」
「まあ、たまにはね。みんなとも、ちゃんと話しておかないと……」
前を向いたまま答えるミリアに、シェラは少しだけ何かを言いかけて――やめた。
「……そうですね。団長らしいです」
短くそう言い残し、彼女は列へと戻っていった。
進軍は順調だった。
崖沿いの狭い山道を抜け、岩の転がる谷を越えた正午過ぎ、先行の斥候が手旗を振って合図を送る。
指差す先――切り立った岩壁の中腹に、崩れかけた灰色の建物がぽつりと姿を覗かせていた。
「……あれが廃遺跡か」
アークが目を細めて呟く。
遺跡は岩山に張りつくように造られ、壁面には深い風化の跡と古びた紋様が残っている。
地上からは角度的にほとんど見えず、周囲には生き物の気配もなかった。
だが――空気の奥にはわずかな魔力の残滓が漂っている。
ミリアはその波長を嗅ぎ取った。森や村で感じた、あの感触と同質のものだ。
偵察班が外周の確認に向かい、ほどなくしてレオナが報告を持って戻ってきた。
「遺跡内部に二名の魔族を確認。潜伏中と見られます。接近には気づかれている可能性が高いですが、退路は現時点で封じました」
アークは小さく頷く。
「各部隊に通達。包囲を維持しつつ突入準備を整えろ。
前衛は東側通路から。突入班は左右に分かれて進入しろ。
交戦は最小限に留め、拘束を最優先とする」
指示は瞬く間に伝わり、《白陽の騎士団》と《夜禍の牙》の兵たちが一斉に展開する。
崖下の抜け道、背後の岩陰、側面の斜面――想定される侵入口に多重の布陣が組まれていった。
ミリアは、報告にあった魔族の特徴に覚えがあった。
「ソフィアと……イレーネ」
あの森で出会った魔女たちの姿が脳裏をよぎる。
――彼女たちは、まだ生きている。
そう確信したミリアは、心の中で静かに覚悟を決めた。
部隊は、廃墟の入口目前にまで迫っていた。
風が止む。遺跡へと続く岩場の道の最前に立ったミリアは、自分の持ち場につく。
背後には整然と並んだ《白陽の騎士団》の突入班と、《夜禍の牙》の斥候部隊。
アークは布陣を見渡しながら、ゆっくりと前へ歩を進めている。
「前衛、布陣完了。突入の合図を待機中です」
レオナの声が無線を通じて届いた。
そのとき、ミリアがふいに振り返る。
「全員、動くな」
低く発せられた声が隊列の動きを止める。ざわめきが広がり、アークも足を止めて眉を寄せた。
ミリアは自ら部隊の前に出て、剣の柄から手を離し、はっきりと宣言する。
「私は今をもって軍を抜ける。
この作戦には従わない。誰一人として、私についてくることは許さない」
一瞬の沈黙。誰もがその言葉の意味を即座に呑み込めなかった。
だがミリアの目は揺らがない。迷いはない。
レオナが一歩踏み出しそうになると、アークが手を上げて制し、自ら前に出る。
「……何をしている、ミリア」
その声には抑えきれぬ怒りと戸惑いが滲んでいた。
ミリアは真っ直ぐ彼を見据え、首を振る。
「彼女たちは――殺すべき存在ではない」
「命令は拘束だ。殺害は認められていない」
「拘束した後、研究の名目で実験──力を解析したあと、彼女たちはどうなるの?」
「それは作戦とは関係のないことだ」
「いいえ。結局行き着くところは同じよ」
「感情で命令を拒否するのか。これは任務だ」
「だから私は軍を抜ける。感情で動いて、何が悪いの?」
言い切る彼女の表情に、迷いはなかった。
アークが言葉を続けようとした瞬間、ミリアは一歩前へ踏み出す。
誰も動けない。ミリアの部隊の兵たちでさえ判断がつかず、ただその場に立ち尽くす。
緊張が空気を締め上げる。
アークはミリアの前に立ち、短い沈黙ののち低く問いかけた。
「ミリア。君は、何を見て、何を信じている?」
ミリアはためらわず答える。
「ここ数度の作戦に正義は無かった。魔族だからと命を奪う国に、私はもう従わない」
アークは目を伏せ、深く息を吐く。
「それが、君の選んだ答えか」
ミリアは答えず、ただ黙って踵を返し、遺跡の奥へと歩み出す。
「本当に、戻れなくなるぞ」
アークの声が背に飛ぶ。
手が剣の柄に触れかけて――止まる。
背後で、レオナがわずかに動く。だが彼女も足を止めた。
その視線が問う。“止めなくていいのか”と。
アークは小さく首を振った。
ミリア・カヴェルは今この瞬間、国家に背を向ける──取り返しのつかない一線を越えた。
「これは私の戦いだ。誰にも奪わせない」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、
ブックマークや感想で応援していただけると嬉しいです。泣いて喜びます。
もちろん「面白くなかった」などのご意見も大歓迎です!
しっかり次につなげるべく、泣きながら執筆します。
皆さまの感想が、何よりのモチベーションです。
それでは、次回もぜひよろしくお願いします!




