第47話 名もなき夜営
ヴェイルの森が焼かれてから、数ヶ月が過ぎた。
封鎖された跡地はいまも軍の管理下にあり、逃げ延びた魔族たちの行方は依然として掴めていない。
残されたのは、途中で途切れた足跡と、消えかけた魔力の残滓。
そのわずかな痕跡を頼りに、捜索任務は今も続いていた。
軍中央の戦略局では、魔力の波長と地形条件を照合し、潜伏に適した地域をいくつか割り出している。
その中のひとつ、山岳地帯の廃遺跡周辺で、ヴェイルの森と酷似した魔力反応が観測されたという。
「確証には至りませんが、可能性は高いと判断されました」
報告を終えた戦術官の声に、ミリア・カヴェルは静かに頷いた。
そこに迷いはなく、反論の余地もなかった。
――潜伏の可能性。
軍はその報告を重要事項と位置づけ、遺跡周辺の調査と捕縛の準備に動き出した。
捕縛の任を受けたのは、《白陽の騎士団》団長アーク・レネフィアと、《夜禍の牙》団長ミリア・カヴェル。
ミリアは命令書を受け取ると、黙々と出発の支度に取りかかった。
鎧の留め具を確かめ、剣を磨き、補給品を整える。
どの動作も、手際よく整然とこなしていく。
その背後から、アークの声が届く。
「魔族の捕縛、抜かりのないように頼む」
ミリアはわずかに視線を向け、短く息を整えて答えた。
「命令に従うまでです」
それだけ告げると、再び手を動かす。
言葉の余地を閉ざすように、金具の触れ合う音が部屋に響いた。
◇
一方その頃、レオナ・バルトネスは廃遺跡までの捜索経路と補給線の再構築に取りかかっていた。
「任務が長引くことを想定して、補給拠点は三つ。距離と地形を踏まえると……ここ、ここ、それとここの高台ね」
指先が地図の上を滑り、三つの印を描く。
いずれも主経路からやや外れた、物資集積に適した地点だった。
隣ではヴァルドが最新の気象記録をめくり、簡潔に告げる。
「南側は雪崩の危険がある。進路は北西寄りに修正だな」
報告書に赤い印が入り、再編された進軍路が新たに引かれていく。
同じ頃、《夜禍の牙》では斥候班のシェラが観測地点の選定を進めていた。
「観測された魔力の分布から見て、潜伏の可能性が最も高いのはこの一帯」
地図を覗き込むユーグが、短く頷く。
鉛筆を走らせ、移動経路と待機地点を記し終えると、静かな満足の息を吐いた。
準備は着々と整っていった。
◇
翌朝。
夜明け前の冷気を裂いて、合同部隊は王都を発った。
進路は北――目指すは、山岳地帯に眠る廃遺跡。
出発から数時間。
北方へと続く山道は、次第にその表情を変えていく。
街道沿いの木々は色づき始め、足元には乾いた落ち葉が散っていた。
空気は澄み、風はひんやりと冷たい。
標高が上がるにつれて草の背は低くなり、岩や砂利が目立つ荒れ道へと変わっていく。
ミリアは先頭を歩き、無言のまま足を進めていた。
崖沿いの風が横から吹きつけるたびに、部隊の歩調がわずかに乱れる。
荷を持ち替える兵たちの動きが、視界の端にかすめた。
やがて、傾きかけた陽光が山肌を朱に染める。
兵たちの顔に疲労の色が滲み始めたのを見て、ミリアは静かに手を上げた。
「ここで休息を取ります。野営の準備を」
振り返ることなく、短く命じた。
レオナは立ち止まり、地形図と残りの行軍距離を照合。
計算上、ここでの停止が最適だと判断し、アークへと報告した。
アークも進行に支障はないと見て、小さく頷いた。
その同意を受け、レオナが声を張る。
「前方、展開! 周囲の警戒を強化して!」
部隊はただちに野営の準備と警戒体制の整備に取りかかった。
ヴァルドが地形を見ながら防衛線の布陣を進め、兵たちは無駄のない動きで配置に就いていく。
やがて簡易テントが次々と立ち上がり、陣形が整った。
アークはその光景を見届け、ミリアに声をかける。
「予定より二刻早いが……妥当な判断だ。無理に進めば、疲労が崩れを招くだけだしな」
ミリアは答えず、静かに頷いた。
やがて日が沈み、焚火の灯が揺れる。
煮炊きの湯気が淡く立ちのぼり、兵たちは火を囲んで簡素な食事をとっていた。
束の間の休息に、張り詰めていた空気がようやく緩み、笑い声が少しずつ戻っていく。
「……でよ、足元の泥に気づかなくて、派手にすっ転んだんだ。そしたら“周囲に注意を払え”って、なぜか俺だけ叱られてさ!」
肩をすくめて笑うユーグに、ミリアがすかさず返す。
「普段から、あなたが周りをまるで見ていないからでしょ」
その言葉に、焚火の周りからくすくすと笑いが漏れる。
ミリアも自然とその輪に加わり、冗談に小さく笑みを浮かべた。
シェラは焚火の外縁に座り、視線を巡らせながら耳を澄ませている。
言葉少なだが、時折小さく頷きながら輪の一角になじんでいた。
焚火がぱち、と音を立てた。
戦場に身を置く者たちにとって、それはほんのひとときの平穏だった。
見上げれば、山の稜線の上に雲の切れ間ができていた。
夜空には、にじむ光のような星が浮かんでいた。
――そして、朝が来る。
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