第45話 すれ違い
風が、黒く焼けた大地をやさしく撫でていく。
かつて“ヴェイルの森”と呼ばれたその地に、ミリアはひとり、誰にも告げずに足を踏み入れた。
そこには、見渡すかぎりの焼け跡が広がっていた。
折れた幹、崩れ落ちた家屋、灰に覆われた地面。
木々が生い茂り、人々の暮らしが息づいていた面影は、乾いた風と焦げた匂いの向こうに消えていた。
「……静かすぎるわね」
黒く炭化した木材のそばで、ミリアは足を止めた。
そっと目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶのは、焼かれる前の光景――人の声が溶け合い、穏やかな時間が流れていた集落の記憶。
このあたりには、たしか広場があったはずだ。
子どもたちの笑い声が響き、老人たちが椅子を並べて語らっていた。
そして、エレナと並んで歩いたあの日の道も、きっとこの広場へと続いていたのだろう。
灰がひとひら、ふわりと空を舞う。
その瞬間、胸の奥がざわめいた。
風のせいではない。遠くから、かすかな声が聞こえた気がした。
《この森は……わたしたちの場所だったんだよ》
耳に届いたその声は、現実の音ではなかった。
けれど、あまりにも明瞭で、やさしく、あたたかな温もりに包まれていた。
「……エレナ」
ミリアは膝を折り、そっと地面に手を添える。
ここには、人々の暮らしがあった。
笑い声が響き、食卓にはあたたかな灯がともっていた。
“魔族”とひと括りにされるには、あまりに多様で、それぞれが心を持ち、願いを抱き、日々を生きていた。
その息づかいが、この森のどこかに――いまも微かに残っている気がした。
「……わたしに、できることは、なかったの?」
ミリアは目を閉じ、地に触れた手をそのままに、じっとその場に佇む。
風がそっと衣を揺らし、頬を撫でて通り過ぎていく。
悔やんでも、悔やみきれない。
それでも――過去は、もう戻らない。
灰色の大地の上で、彼女はただ、時の流れに身を委ねていた。
どれほどの時が過ぎたのか、自分でも分からない。
それでも、胸の奥に渦巻いていた痛みが、少しずつ静かに沈んでいくのを感じる。
深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「……そろそろ、行かなきゃ」
小さく呟き、森に背を向けかけた――そのとき。
背後で、気配が動いた。
足音は抑えられている。だが、その動きには鋭さと規律がある。
訓練を積んだ者だけが持つ、特有の存在感。
ミリアは静かに振り返った。
そこに立っていたのは、白銀の装甲をまとった男――アーク・レネフィア。
彼は何も語らず、ただ焼け跡の森を見渡していた。
「……来ていたのね」
ミリアがそっと声をかけると、アークは足を止め、わずかに顔を向けた。
「ミリア……久しぶりだな。君は、何をしにここへ?」
落ち着いた声音。けれど、その奥には探るような色が潜んでいた。
挨拶ではなく、問い――ミリアはすぐに悟る。
少し間をおき、言葉を選ぶように口を開いた。
「……少しだけ、確かめておきたいことがあって」
視線を焼けた地面へ落とし、かすかに息を吐く。
「でも、何も見つからなかったわ」
アークは目を細め、しばらく黙ったまま森の奥を見つめていた。
やがて、押し殺すような声でひとことだけ告げる。
「……そうか」
ミリアはそっと視線を伏せる。
誰もいなくなったこの森。
胸の奥に残るのは、言葉にできない痛み――そして、どうしても問わずにいられない想い。
「アーク……ここの人たちは、何をしたの?
どうして、制圧されなければならなかったの?」
それは責めでも、擁護でもない。
ただ、真実を求める声だった。
アークはわずかに息を呑み、短い沈黙ののちに答える。
「……魔族だったからだ」
その瞬間、ミリアの表情がわずかに揺れた。
「それは違うわ、アーク……」
その声は、震えていた。
アーク自身も、その言葉がいかに脆く、空虚であるかを理解していた。
まるで記録に書かれた定型句のように、重みを欠いた一文。
それだけで命を裁けるのか――自らに問うように、彼は小さく首を振る。
やがて、アークは無言のまま踵を返し、歩き出した。
ミリアの言葉への答えはなかった。
ふたりのあいだに残ったのは、焼け焦げた地を踏みしめる足音だけ。
やがて、その背中が森の向こうに消えていく。
ミリアは、ただその場に立ち尽くしていた。
彼の姿が見えなくなってもなお、胸の奥には言えなかった言葉の重みが、じわりと積もっていく。
二人のあいだに生まれた、かすかな綻び。
それはもう、見過ごせるほど小さなほころびではなかった。
――このままでは、終われない。
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