表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/70

第41話 灯の揺れる隠れ家

 その夜は、いつになく静かだった。


 丘を下った先の道の脇に、ぽつんと一軒の廃屋が建っていた。

 リリィを背負ったまま足を止め、ミリアはその家を見上げる。


 夜はすっかり更け、リリィの体も限界に近い。

 ミリアはひとまず、そこで夜を明かすことに決めた。


 ランタンの灯りが、埃をかぶった壁を淡く照らす。

 簡素な寝台に横たわるリリィの体は白布に包まれ、小さく寝息を立てていた。


「リリィ……」


 ミリアはそっとその傍らに腰を下ろす。

 眠っているその顔には、変化の痕がはっきりと刻まれていた。


 首筋から頬にかけて浮かぶ灰紫の痣。わずかに尖った耳。

 あの丘で見たときより、変異は確実に進んでいる。


 ミリアは思わず頬の痣に指先を伸ばした。

 かすかな温もりが指に伝わり、胸の奥がやわらかくほどけていく。

 その痣を撫でるようになぞり、小さな輪郭を確かめた。


(……このまま戻れば、魔族として処分されるかもしれない)


 王都で“魔族”と呼ばれる者に、赦しはない。

 それが幼い少女であっても、例外はない。


「……だから、報告はしない」


 自分に言い聞かせるように呟く。

 分かっている。これは命令違反――軍人としては致命的だ。

 それでも、目の前の少女を見た瞬間に芽生えた想いはひとつだった。


(守らなきゃ)


 恐怖も、責任も、すべて理解したうえで、それでも心は迷わない。


 見上げた天井に、灯りの影がゆらゆらと揺れていた。

 その光を見つめながら、ミリアはぽつりと呟く。


「魔人って……何なんだろうね」


 身をかがめ、リリィの額にそっと唇を触れさせる。


「……おやすみ、リリィ」


 ◇


 翌朝。

 ミリアはリリィを布で覆い隠しながら、まだ日が昇りきらぬうちにルディナへ戻った。


 向かったのは、街はずれにある一軒の古びた家。

 外からは目立たぬよう修繕され、誰にも知られていない――ミリアだけの隠れ家だった。

 静かに過ごしたいときにだけ訪れるその場所が、今はリリィの避難所となる。


 孤児院には、シスター・アビゲイルにだけ連絡を入れた。

 リリィを見つけたこと。

 そして――しばらく一緒に暮らすことになったことを。


 その後、ミリアは何事もなかったかのように軍務へ戻った。

 朝の点呼、書類への署名、依頼の報告。

 各部隊との調整事項を手短に片づけ、昼を挟んで午後には訓練場を視察する。


 シェラには、昼の休憩時に声をかけただけだった。


「リリィを見つけたわ。当分は一緒に暮らすつもり」


 それだけ伝えると、シェラは何か言いたげに口を開きかけ――

 だが、ミリアの腰元に目をやって、ほんの少しだけ表情をゆるめた。


「そうですか。……よかったです」


 小さく頷いたあと、それ以上の言葉はなかった。


 ◇


 夕方。

 任務を終えたミリアは、街の裏道を抜け、ひとけのない道を選んで隠れ家へ向かう。

 鍵を回すと、戸口の向こうから小さな足音がぱたぱたと駆け寄ってきた。


「おかえりなさい!」


 リリィの声に迎えられ、ミリアは扉を閉めながら微笑んだ。


「ただいま」


 すっかり元気を取り戻したリリィの姿に、胸の奥がほっとゆるむ。


「もう、体のほうは大丈夫?」


 問いかけに、リリィは首をかしげてにこりと笑った。


「うーん……いろいろケガしちゃってるけど、もう痛くないし、大丈夫かな。

 今日は一日、ゆっくりしてたよ。ミリアが帰ってくるのずっと待ってた。

 あと、お部屋をお掃除もして――」


 元気に話していたリリィの言葉が、不意に止まる。

 視線が、ミリアの腰元に注がれていた。


「……それって!」


 ミリアが目線を落とすと、腰にぶら下げた小さなにおい袋が揺れていた。

 淡いピンクとラベンダー色の布で作られた、手縫いのクッション。

 中央には刺繍糸で、小さく“ミ”の文字が縫い取られている。


 リリィはぱっと顔を輝かせ、口元をほころばせた。


「つけてくれてたんだ……! それ、シェラと一緒に作ったんだよ!」


「ふふ、リリィなら気づくと思ってた」


 ミリアが柔らかく言うと、リリィはうんうんと何度も頷いた。


「だって、それ……すっごく気持ち込めて作ったんだもん。

 布も香りもリボンも、ぜーんぶ、シェラと一緒に悩んで選んだの!」


「そうだったのね」


 ミリアは腰のあたりに手を添え、袋をそっと指先でなぞる。

 そこから漂う香りに、心のざわめきが少しだけ静まっていく気がした。


「ありがとう、リリィ。大切にしてるわ。――とても、いい香り」


 その言葉に、リリィは誇らしげに胸を張る。


「えへへ……よかった」


 そうして二人は、何でもない日常のように、並んでテーブルにつき、ささやかな夕食をとった。


 食後、片づけを終えたころ。

 リリィがそっとミリアの肩に手を伸ばす。


「きゃっ……もう、びっくりした」

 突然の感触にミリアが小さく肩をすくめると、リリィはくすっと笑った。


「お仕事おつかれさまの、マッサージだよ」


「ふふ……ありがとう。すごく気持ちいいわ」


 肩に残る指の温もりに、ミリアは少しだけ目を細めた。


「でも、リリィもまだ疲れてるんだから、もう寝なさい」


「分かった。じゃあ――おやすみ!」


 リリィはそう言って、もう一度そっと押したあと、笑顔でベッドへ向かう。

 ランタンの灯りが揺れ、部屋に静けさが戻った。


 夜が更け、リリィが眠りについたあと。

 ミリアは椅子に腰掛けたまま、静かに窓の外を見つめていた。


(どうして……リリィの身体は変化したの?)


 頬を撫でる夜風の冷たさの中で、堂々巡りの問いが脳裏をめぐった。


(あの痣、あの耳……あれは、“魔人”のものなの? でも、リリィは――)


 眠る少女の寝顔に目をやり、そっと視線を落とす。


(リリィは、まだ“人間”なのか、それとも――)


 そう思った瞬間、ミリアの胸にエレナの面影がよぎった。

 人のように笑い、語り、未来を夢見た――あの少女の姿が、今のリリィと重なって見えた。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、

ブックマークや感想で応援していただけると嬉しいです。泣いて喜びます。


もちろん「面白くなかった」などのご意見も大歓迎です!

しっかり次につなげるべく、泣きながら執筆します。


皆さまの感想が、何よりのモチベーションです。

それでは、次回もぜひよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ