第36話 帰る場所のない朝に
ヴェイルの森だった場所は、いまや見る影もなく変わり果てていた。
焼け焦げた木々が地を覆い、集落の面影はどこにもない。
微かに漂う灰の匂いと、黒く炭化した枝の先に残る小さな布の切れ端だけが、ここに“暮らし”があったことをかろうじて伝えていた。
その廃墟の縁に、――ソフィア、イレーネ、セリナの姿があった。
森を去る前の最後の確認として、ほんのひとときだけ戻ってきていた。
望みを探すためではない。――ただ、現実を自分の目に焼きつけるために。
「……これが、全部……」
そのかすれた声は、風にさらわれて消えていった。
黒く煤けた大地のあちこちに、切り伏せられた者たちが横たわっていた。
焦げついた衣の裂け目、必死に身を守ろうとしたまま固まった腕。
中には、子どもを抱きしめたまま動かなくなった親の姿もあった。
一つひとつが、生々しく最期の瞬間を物語っている。
言葉が出ない。何をどう言えばいいのかも分からない。
あまりに多くを失いすぎて、心が追いつかない。
セリナはゆっくりと膝をつき、灰の中から小さな欠片を拾い上げた。
それは木彫りの細工――誰かが日々の暮らしの中で使っていた、ごく普通の道具だった。
「……もう、ここには何も残っていないね」
ソフィアの言葉に、誰も何も言えなかった。
三人はただ黙って焼け跡に立ち尽くす。
風が灰を巻き上げ、視界を淡く覆っていく。
かつての暮らし、日々の会話、笑い声――それらはすべて遠い幻のようにかき消されていた。
どれほど時間が過ぎたのか分からない。
ただ、灰色の世界の中で時だけが静かに流れていった。
やがて、その沈黙を破るようにイレーネが口を開く。
「……ずっとここにいるわけにもいかない。そろそろ、戻ろう」
ソフィアが小さく頷き、先に歩き出す。
イレーネとセリナも、言葉を交わさぬままその後に続いた。
森を越え、小高い丘へとたどり着く。
そこから見下ろせば、かつての森はただ一面の黒い地表に変わり果てている。
ソフィアは風に髪を揺らしながら、ぽつりと呟いた。
「……もう、帰る場所、なくなっちゃったね」
イレーネはしばらく空を見上げ、それから小さく息を吐いて言った。
「……そろそろ、これからのことを考えよう」
その声に、ソフィアとセリナが小さく頷く。
もう、この場所に留まる理由はなかった。
残されたのは――生きていくための道を選ぶことだけだった。
◇
――その夜。
戻った納屋の外で、焚き火の明かりが三人の顔を照らしていた。
ぱちり、と薪が弾ける音だけが響き、夜風が髪をやさしく揺らす。
しばらくのあいだ、誰も言葉を発しなかった。
やがて、イレーネが口を開く。
「……これから、どうする?」
問いかけに、ソフィアは少し考え込んでから答えた。
「私は……まだ迷ってる。ここからあまり離れたくない気持ちもあるんだ。
でも、人間たちからは距離をとりたいし……昔誰かに聞いた北の遺跡へ行ってみようかなって」
セリナが小さく首をかしげる。
「でも、あまり北に行きすぎると……魔族領に近づいてしまうんじゃないでしょうか?」
「大丈夫だと思うよ。書庫で見た古い地図だと、人間たちの住んでいる場所からも、魔族領からも離れていたはずだから」
ソフィアの言葉に、イレーネは静かに頷いた。
「遺跡か……それなら、私も一緒に行ってみたい。
せっかく外に出るんだし、過去の痕跡をたどって、色々なことを確かめたいんだ」
思わぬ申し出に、ソフィアは驚いたように目を見開いた。
「……え? あ、うん。そうなんだ。じゃあ……一緒に行こうよ」
イレーネはソフィアに笑みを返し、少し間を置いてからセリナへと目を向けた。
「で、セリナは……どうする?」
セリナは古びた文献に指を滑らせ、落ち着いた声で言った。
「私は、古い記録にあった南方の“もうひとつの森”を探してみます。
実在するかも分かりませんが、ここに留まるよりはきっといいはずです」
少し間を置いて、セリナは続ける。
「けれど、ここで生まれて暮らしてきたことは……忘れません」
「うん。私も……絶対に忘れない」
ソフィアも同じ思いをこぼすように頷いた。
三人の視線がゆっくりと交わる。
「明日の朝にはお別れですね」
「……じゃあ、みんな元気で」
イレーネがそう言うと、ソフィアが付け加えた。
「私はイレーネと一緒だから……セリナ、危ないと思ったらすぐに逃げてね。無理はしないでよ」
セリナは小さく笑い、頷いた。
「そちらこそ、気をつけてください。また会いましょう」
焚き火の灯がゆらりと揺れ、火の粉が夜空へと舞い上がる。
夜は、ゆっくりと更けていった。
◇ ◇ ◇
三人が新しい道を選び始めたころ、マリスはすでに、北東の霧深き谷へと姿を消していた。
誰よりも早く、誰にも告げずに――それが、彼女の答えだった。
かつて、同じ場所で育ったエレナ。
小さなころから、ずっと一緒だった。
どんな時もそばにいてくれた、大切で、大好きな存在。
それを奪った人間たち。
それだけでは飽き足らず、村の仲間たちも、住む場所さえも――焼き尽くした。
(絶対に、許さない。人間……)
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