第35話 謹慎
鉄扉が閉まる鈍い音が、耳の奥にいつまでも残っていた。
窓のない謹慎室――軍本部の地下に設けられたその部屋は、昼夜の区別すらつかない。
冷たい石壁と、最低限の家具だけが並ぶ無機質な空間。天井の魔導灯が淡い光を落とし、時間の感覚をじわじわと狂わせていく。
ミリア・カヴェルは、エレナの処刑を止めようとした行為が越権と見なされ、謹慎処分を言い渡された。
だが、その実態は処分というよりも、ほとんど投獄に近いものだった。
部屋の隅には小さな机。積まれた報告書を黙々とめくり、仕分け、記録する。
軍内で処理しきれずに回された雑務が、彼女に与えられた唯一の仕事だった。
毎日は同じ繰り返し。誰とも顔を合わせず、決まった時間に小窓から食事が差し入れられる。
耳に届くのは、紙をめくる音と、魔導灯の低い唸りだけ。
その静けさは安らぎではなく、胸を締めつける鎖のように彼女を絡め取っていた。
どれだけ紙をめくっても、心は少しも軽くならない。
やがてふと手が止まり、背もたれに身を預けて、長く息を吐いた。
最近は、叱られてばかりだ――そんな思いが胸の奥をひりつかせる。
「……もう、何をしてるんだろう、私」
誰に向けるでもなく、かすれた声がこぼれてしまう。
返ってくるのは、石壁に反射した自分の声だけ。
(ユーグは、今、何を思っているだろう)
(シェラは、こんな私をどう見ているだろう)
エレナを助けようとした自分の行動が、どれほど軍規を逸脱していたかは理解している。
(みんなにも迷惑ばかりかけてる……)
(これじゃ、団長失格だ)
机に視線を戻しても、文字は頭に入ってこない。
必死で守ってきた部隊。仲間と築いた信頼。積み上げてきたものが、あの日の行動ひとつで崩れてしまった気がした。
何より苦しいのは、それが「正しかったのかどうか」、今でも答えが出せないことだった。
(いや、命を助けたい想いに間違いなどあるはずがない……)
そう自分に言い聞かせてはみる。けれど、正しかったと信じたい気持ちと、軍規を破った事実への自責がせめぎ合い、答えのない渦となっていく。
「……私は、いったい、どうすればよかったんだ」
仮に謹慎が解けたとして、自分は本当に部隊に戻れるのだろうか――
その疑念が、ずっと胸の奥に影を落としていた。
誰とも言葉を交わさぬまま、ただ時間だけが静かに過ぎていく。
この部屋には、慰めも赦しも、何ひとつ存在しなかった。
(謹慎が解けたら、軍をやめて……リリィと一緒に静かに暮らすのも、いいかもしれないな)
その考えは、思いのほか自然に胸へと落ちてきた。
――そんなある朝。
謹慎室の外の空気は、いつもと違っていた。
普段なら、廊下を通り過ぎる兵士の足音と、ぼそぼそとした会話が響くだけ。
だが今日は、誰かが駆け足で行き交い、怒号まじりの声が交錯している。
まるで大きな異変が起きたかのようなざわつきが、扉越しに伝わってきた。
ミリアは手元の資料から顔を上げる。
外から飛び込んできたのは――「魔族拠点の制圧」「フィネルの森」という断片的な言葉だけ。
それでも、その瞬間、胸の奥が凍りつくような感覚に襲われた。
「……ヴェイル」
呟いた名とともに、ミリアはゆっくり立ち上がり、扉へと歩み寄って耳を澄ませた。
だが、分厚い鉄の壁の向こうから届くのは、曖昧なざわめきだけ。
不確かな情報が、ぼんやりと耳を撫でるように流れていくだけだった。
(まさか……軍がヴェイルの集落に攻め入った?)
いや、あそこには武装した兵など存在しない。ただ、静かに暮らしていた人々がいるだけだ。
だが――それが通るなら、エレナは処刑されるはずがなかった。
思考が止まり、次に浮かんだのは、あの森に暮らしていた人々の顔だった。
自分を介抱してくれた女性。
静かに食事を運んでくれた青年。
ミリアと共に崖を飛び降りた兵を、一緒に探してくれた村人たち。
多くを語らずとも、彼らは確かに、ミリアを“仲間”として迎えてくれていた。
(……みんな、無事なのか?)
問いは誰にも届かず、答えも返ってこない。
不安だけが、容赦なく胸の奥を押し広げていく。
訊く術も、確かめる方法もない。
たとえ確かめられたとしても、今の自分には何もできない。
ミリアはぎゅっと拳を握りしめた。
焦燥、悔恨、そして恐怖――それらが重く絡み合い、鈍く胸を塞いでいく。
(……どうか、間違いであってくれ)
祈るように目を閉じる。
だが、まぶたの裏に浮かぶのは焼け落ちた森の幻影。
煙の中で、あの笑顔が静かに消えていく情景だけだった。
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