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第33話 逃亡と憎悪

 森の奥に、不穏な気配が忍び寄っていた。

 遠くから、かすかな悲鳴と金属がぶつかり合う音が伝わってくる。人の耳なら聞き逃してしまうほど小さな気配だったが、森で生きる者たちにとっては侵攻の兆しとしてはっきりと届いていた。


 慌てて戻ってきた見張りが、息を切らせながら叫ぶ。

「人間が……来た! 武装した部隊が、集落の西側に……!」


「目的は?」

 低く問いかけたのは、長老のひとり。


 見張りは苦しげに首を振る。

「分かりません。ただ……集落の者を捕えて、抗う者はその場で処刑されています……」


 ざわめきが広がり、長老たちは沈痛な面持ちで視線を交わした。

 やがて、最年長の長老が静かに口を開く。


「抗う術はない。逃げることも難しい……だが、魔女の力だけは生かさねばならぬ」


 短く、しかし決然とした声だった。

 この森の知識と力を未来に繋ぐため、すぐに退避の手立てが整えられる。


 決断は瞬く間に集落へ広まり、緊迫した空気が辺りを覆っていく。

 誰もがこの日が来ることを、どこかで分かっていた。

 けれど、いざ現実となると、足が思うように動かない。


 それでも、立ち止まることは許されなかった。

 魔女たちは名残惜しそうに家々へ最後の視線を送り、記憶の詰まった炉や棚を見つめる。

 そして、荷を背負い――静かに歩き出した。


 目指すのは北東の抜け道。

 最悪の事態に備えて、長い年月をかけ密かに整えられてきた退路だ。


 手にはわずかな荷と、未来へ残すための記録。

 決して多くはないはずなのに、やけに重く感じられる。


 ――ここで生きた証を、自らの手で手放していく。


 落ち葉を踏みしめるたび、胸の内を締め付けるような感覚が走る。


 先頭を歩くソフィアが、ふと足を止める。

 名残惜しそうに背後を振り返り、震える声を絞り出した。


「私だって……戦いたい。この森を、見捨てたくない。

 人間なんかに、奪われたくない!」


 その叫びは、誰よりも強く――けれど同時に、己の弱さを振り払うためのものだった。


 セリナとイレーネがすぐに駆け寄り、静かに首を振る。


「私たちも同じ気持ちです。

 ですが――森を取り戻す未来には、あなたの力が必要です。だから今は……生き延びましょう」


「そのためにも、ここで倒れるわけにはいかない。だから、今は……耐えてほしい」


 ソフィアは唇を噛みしめ、胸の奥に渦巻く悔しさを押し殺す。

 名残惜しさを抱えたまま、小さく息を吐いて呟いた。


「……わかった」


 そして、迷いを振り切るように歩き出す。


 その背中を追いながら、マリスも歩みを進めていた。

 それでも何度も後ろを振り返り、置き去りにしてきた景色にしがみついている。


 最後尾を歩くセリナは、一度も振り返ることなく静かに進んだ。

 すべての記憶は、この胸に刻んだ――そう、心の中でそっと言い聞かせながら。


 誰も声には出さなかったが、全員が「これが最後かもしれない」と覚悟していた。

 生まれ育った集落、語らいの場、家々に詰まった思い出。

 それらを置いていくことの重さが、彼女たちの足取りを何度も鈍らせる。


 森の西側では、人間たちが追撃の準備を整えていた。

 だが、魔素の流れが極端に希薄なこの静域では、彼らの魔力制御はほとんど効かず、深追いできずにいた。


 やがて、彼女たちは森を越えた岩場の高台へとたどり着く。


 眼下に広がるのは、かつて暮らした集落があったはずの場所。

 そこからは黒煙が高く立ちのぼり、赤い炎が地平の彼方まで空を染めていた。


 誰も言葉を発さない。

 ただ、静かにその光景を見つめる。


 長い沈黙の果て、やがて誰ともなく、小さな声が漏れた。


「……人間め」


 ◇ ◇ ◇


 夜が更ける前に、魔女たちは岩場の高台近くに打ち捨てられた納屋を見つけ、そこに身を潜めていた。

 かつては物資の保管庫だったのだろう。崩れかけた木箱や錆びた器具が散らばり、隙間風が板壁を軋ませるたび、冷たい空気が肌を刺す。


 脱出の余波に心身を削られた彼女たちは、小さな灯りを囲みながら、途切れ途切れに言葉を交わしていた。

 不安を紛らわせるように誰かが昔話をささやき、別の誰かがかすかに笑みを返す。

 けれど、その輪の中でマリスだけは一言も発せず、淡い光に視線を落としたままだった。


 灯りが揺らめくたび、重い空気にわずかな緩みが生まれる。

 その光は壁に影を映し出し、疲れた横顔をほのかに照らしていた。


 マリスは、その小さな炎の奥に、もう戻ることのない日々を探すように、その揺らぎを見つめ続けていた。

 その手には、焦げ跡の残る古びた記録片が握られている。

 それは、失われた集落と家族、そして二度と戻らぬ平穏な時間が刻まれた、かけがえのない記憶の証だった。


 その夜は、誰も深い眠りに就くことはなかった。

 明かりが徐々に弱まり、やがて灰色の薄明に呑まれていくころ、ようやく森に新しい朝が訪れる。


 だが、その朝、マリスの姿はどこにもなかった。


「……マリス?」


 最初に気付いたのはイレーネだった。灯りの跡の近く、小屋の隅にそっと置かれた焦げ跡の残る記録片と、使いかけの古びた地図が見つかる。


 イレーネが静かにそれを拾い上げると、記録片の端にわずかに残された文字をなぞった。

 そして、小さく息を吸い、周囲の気配に意識を向ける。

 その額に青白い光が淡く灯ると、閉じた瞳の奥で、わずかに揺れる過去の残滓が結ばれていく。


「……北東。境界の方へ向かったみたい」


 その言葉に、一瞬、空気が重く沈んだ。


 山道を吹き抜ける冷たい風の中、マリスは独り、黙々と歩いていた。

 背負ったわずかな荷物が、その歩みに合わせて小さく揺れる。


(……私は、もう振り返らない)


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、

ブックマークや感想で応援していただけると嬉しいです。泣いて喜びます。


もちろん「面白くなかった」などのご意見も大歓迎です!

しっかり次につなげるべく、泣きながら執筆します。


皆さまの感想が、何よりのモチベーションです。

それでは、次回もぜひよろしくお願いします!

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