第2話 剣に誓う記憶
アストラニア王国――王族を頂点に据えた王政国家。
表向きは貴族による合議と分権制度が整えられているが、実際の運営は王族の意志に大きく左右され、国王の権限はほぼ絶対に近い。
その中枢に位置するのが、王都セイクリア。
四方を高い城壁に囲まれた街は、外周の商業区と職人街、その内側に広がる貴族街と行政区、さらに中心部の王城へと至る層状の構造を持つ。
街路を照らす魔力灯、空を行き交う小型輸送艇――魔法技術を礎に築かれた高度な文明は、王国の繁栄そのものを象徴していた。
だがその華やぎの陰では、数世紀にわたる魔族との対立が燻り続け、ついに全面戦争へと拡大していった。
その戦火は、黒焔の血を受け継ぐ名家にも及んだ。
ミリア・カヴェルの一族は魔族の急襲によって命を落とし、訃報が届いたのは、彼女が騎士団の任務で王都を離れていた時だった。
胸の奥に刻まれた憎しみは、今も消えることはない。
◇ ◇ ◇
黄昏の風が、城壁の上をさらりと抜けていく。
高台から見下ろすセイクリアの街並みは、夕陽に染まり、瓦屋根や石畳が柔らかな金色を帯びていた。
遠くの通りでは、パン屋の軒先から香ばしい匂いが漂い、魔力灯の下では果物を並べる老夫婦が笑い声を交わしている。荷馬車の車輪が石畳を軋ませ、どこかの家からは子どもの笑い声が風に運ばれてきた。
ミリアは、その光景を無言のまま見下ろしていた。
今は《夜禍の牙》所属の騎士として、外壁の警備任務に就いている。背には黒外套、腰には一本の剣――かつての戦友、ユリウスが遺したものだ。
指先が柄に触れた瞬間、わずかに震える。
「……ここに立つと、思い出すわね」
その小さな呟きは、誰に向けたものでもなかった。
「ミリア?」
背後から名を呼ばれ、ゆっくりと振り返る。
白銀の鎧をまとった青年が、壁沿いを歩いてくる。アーク・レネフィア――《白陽の騎士団》団長にして、王国軍の象徴と呼ばれる男。“黎明の血”を継ぐ名門の出だ。
「こんな時間は珍しいな。夜明け前が君の時間だと思っていた」
「今日は、たまたま。……あなたこそ、何をしてるの?」
「壁を回っていたら、君が見えた。……声ぐらいはかけるさ」
アークは彼女の隣に立ち、共に街の灯を眺める。
「……綺麗だな。これを守るために、俺たちは剣を取っているんだ」
その横顔は、灯りの中で穏やかに見えた。
ミリアは短く息を吐き、視線を街から外さずに答える。
「戦っても、何も戻ってこないのに」
「だからこそ、これ以上は失わないようにしたい――そうだろ?」
迷いのない声色だった。
ミリアはゆるく頷き、視線を空へと移す。
◇ ◇ ◇
まだ騎士養成所に通っていた頃。
幼いミリアは、誰よりも強くなりたくて、がむしゃらに剣を振っていた。訓練場の砂煙の中、何度も転び、膝を擦りむきながら立ち上がり、木剣を握り直す。
『お前は、みんなを守る剣になれ』
笑いながらそう言ったのが、ユリウスだった。
貴族の娘であるミリアに、平民出の彼は飾らず接してくれた。肩書きも家柄も気にせず、ただ同じ高さから言葉をくれた人。
背中合わせで模擬戦に挑んだ日、夕焼けに照らされながら共に食べた固いパン――そんな些細な記憶まで、今も胸に残っている。
――守る剣であること。
それこそが、ミリアが剣を取る理由になった。
しかし、その剣は今や遺品となっている。
魔族との戦いで、ユリウスは仲間を逃がすため囮となり、命を落とした。
最後に彼が託したのは、妹リリィのこと、そしてこの剣だった。
◇ ◇ ◇
「……少し、感傷に浸ってたみたい」
ミリアが苦笑まじりに言うと、アークも口元だけで笑う。
「俺にもあるさ。きっと誰にでもな」
遠くで、教会の鐘がひとつ鳴る。
しばし、風の音だけが二人の間を抜けていった。
「そろそろ戻らないと。副官に小言を言われる」
ミリアは片眉を上げる。
「……レオナね。健闘を祈るわ」
アークは軽く会釈をし、足音を残して去っていく。
残されたミリアは再び街へと視線を落とした。
夕陽に染まり、屋根や石畳が柔らかな金色を帯びていた。
その向こうに灯る小さな明かりを、ひとつひとつ数えるように目を細めた。
その光がある限り、自分は剣を手放せない――そう静かに胸の奥で確かめながら、再び警備へと意識を戻した。
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