第28話 最期の報せ
その日、森は不気味なほどの静けさに包まれていた。
エレナが姿を消して、すでに三日。
最初のうちは、誰も深刻に受け止めなかった。
あの子のことだ、きっと森のどこかで気ままに過ごしているのだろうと。
彼女の荷物も、いつも身につけていたはずの髪飾りも、部屋に置かれたままだった。
それは――まだ森にいる証拠だと、そう信じたかった。
だが、姿を消すその前日、エレナははっきりと言っていた。
「外の世界に行ってみたい」と。
その場にいた長老たちや仲間は、必死に引き留めようとした。
なかでもソフィアは強く反対し、涙を浮かべて訴えていた。
「出て行ったら、もう帰ってこれないよ……!」
それでも、エレナは首を横に振った。
そして――その夜。
誰の前にも姿を見せることなく、エレナは森から消えていた。
◇
「……人間の街へ向かったのかもしれません」
そう口にしたのは、セリナだった。
集落の広場に集まっていた人々の間に、静かなざわめきが広がる。
「まさか、そんな……」
「でも、あの子、言ってたじゃない。“外の世界をこの目で見てみたい”って」
「それは、ただの憧れの話だったろう……?」
否定の声はあがるものの、誰ひとり確信をもって打ち消すことはできない。
――エレナは、本当に行ってしまったのかもしれない。
セリナは広場の中央に立ち、集まった人々の視線を受け止めながら告げる。
「……もし本当に人間の街へ向かったのなら、確かめなければなりません。手遅れになる前に」
その場で、急ぎ偵察隊が編成された。
選ばれたのは、人間社会に溶け込みやすい振る舞いを身につけた者たち。
彼らは人間の衣装に着替え、尖った耳も赤い瞳も、首筋に浮かぶ紋様のような痣までも隠し、外見だけなら完全に人間と見分けがつかなくなっていた。
「戻るまでには、五日はかかるでしょう」
そう告げると、セリナは振り返りもせず、静かに記録庫へと姿を消した。
――夕暮れが迫る頃、広場には自然と人々が集まっていた。
焚き火を囲む小さな輪の中で囁かれるのは、失われた少女への思いと、胸を締めつけるような不安の言葉だった。
「きっと、すぐに戻ってくるさ」
「街に行ったって、あの子ならうまく切り抜ける……」
そんな言葉も、どこか自分たちを安心させるためのものに過ぎなかった。
夜が深まるにつれ、不安は集落を覆い尽くしていく。
エレナの不在は、ただ一人の少女がいなくなったという出来事では終わらない。
長く守られてきた森の平穏――それが今、音もなく崩れ始めている。
星ひとつない夜空を仰ぎながら、セリナは胸の前で手を組んだ。
――どうか、あの子がまだ無事でありますように。
◇ ◇ ◇
五日後、森に緊急を告げる鐘の音が鳴り響いた。
その瞬間、人々は悟った。
偵察隊が戻った――だが、それが「何を意味するか」もまた、誰もが心の底で感じ取っていた。
広場にはすぐに集落の者たちが集まり、誰もが息を詰めて帰還者の姿を探す。
やがて、セリナが現れた。
静かに歩み出た彼女は群衆の中心に立ち、すべての視線を受け止める。
その目は赤く潤んでいたが、声音は驚くほど静かだった。
「……偵察の結果を、お伝えします」
広場が一斉に静まり返る。
セリナは、一枚の紙を胸に強く抱きしめ、深く息を吐いてからはっきりと告げた。
「エレナは……もう、この森には戻りません」
押し殺した嗚咽が、あちこちから漏れた。
セリナは震える指先で紙――セイクリアで見つけた処刑告知を高く掲げる。
「魔族一名。人類秩序の潜在的脅威として、公開処刑とする」
そこに記されたのは処刑の日時と場所、そして特徴。
年若く、長い銀の髪を持つ少女。名は――エレナ。
セリナは唇を震わせながらも、絞り出すように続ける。
「街の兵士たちの噂でも確認しました……。彼女は、すでに処刑されていました」
その瞬間、広場を覆った静けさは、一斉の叫びに打ち破られた。
「嘘だ……!」
「どうして、こんなことに……!」
悲痛な叫びが次々と広場に響いた。
セリナは俯き、そっとその一枚の紙を胸元にしまう。
深呼吸のあと、再び顔を上げ、絞り出すように語った。
「……彼女は、最後まで微笑んでいたそうです」
誰もが言葉を失う。
「処刑台の上でも、恐れも憎しみも浮かべず、ただ穏やかに……空を見上げて笑っていたと」
嗚咽が、再び広場を覆い尽くしていった。
その場で、マリスは堪えきれず膝をつき、顔を両手で覆う。
「どうして……どうして、そんな選択をしたの……!」
震える声は掠れ、やがて泣き崩れるように地面に身を伏せた。
周囲の誰も、その背に手を伸ばすことはできない。
そして、森の空気は確実に変わり始めていた。
長く守られてきた静けさは、怒りと悲しみ、そして恐れに押し流されていく。
「なぜ、彼女だけが犠牲に!」
「あの子が何か悪いことをしたのか!?」
怒号と嗚咽の混ざり合う中、年長者たちは懸命に若者たちを諭し続けた。
けれど、その声はもう届かない。
森を覆っていた静けさは、もう戻らないのかもしれない。
夜が訪れ、誰もが心に重い影を抱えながら、その日を終えた。
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