第25話 命の重み
冷たい石壁に閉ざされた地下審問室。
魔導灯の炎がわずかに揺れ、薄暗い空間に陰影を落としている。
中央の台に立つのは、エレナ。
背筋を伸ばし、瞳を逸らさず――ただ前を見据えている。
両手には魔力封印の拘束具。銀色の輪が細い手首を容赦なく締めつけていた。
灰色の拘束衣に包まれた身体は、薄布越しに少女の輪郭を隠しきれない。
首元や袖口から覗く魔人の特徴――。
長く尖った耳。赤く光る瞳。肩から頬にかけて淡く浮かぶ紋様のような痣。
人間の目には、それは魔族である証にほかならなかった。
その姿こそが、彼女が何者であるかを否応なく示していた。
エレナを見下ろす審問席には、セイクリア監視部隊の高官と、王国から派遣された貴族官吏たち。
無数の視線が突き刺さる。だが誰ひとり表情を動かさない。
張り詰めた沈黙が、石壁に圧し掛かるように広がっていた。
やがて、無機質な声が響く。
「名を述べよ」
一瞬、喉が詰まり、息が止まる。
それでも、エレナは迷いなく口を開いた。
「……エレナ」
かすれた声。だが、その響きに揺らぎはなかった。
「身分を偽り、王国領に不法侵入した魔族エレナ。嫌疑は諜報、内通――重大事案に及ぶ」
告げられた罪状に、エレナは小さく首を振る。
「ちがう……そんなつもりじゃ……」
審問官はわずかに眉を動かしただけで、無表情のまま告げる。
「では、どういうつもりだったのか。答えろ」
冷たい声が鋭く突き刺さる。だが、その奥には返答を引き出そうとする圧が潜んでいた。
エレナは口を開きかけるが、言葉が出ない。
頭が真っ白になる。どんな言葉を選んでも届かない気がした。喉が焼けるようにひりつく。
「わ、わたしは……その、ただ……」
消え入りそうな声は、広い審問室に吸い込まれていった。
空気が凍りつく。傍聴席の軍関係者たちも誰一人として表情を変えない。
それでも、エレナは震える声で続けた。
「……わたしは、ただ。人間と話してみたかっただけ。本当に、それだけだったの」
反応はない。
紙を擦る筆記音だけが、冷たく室内に響き渡る。
「争うつもりなんて、なかった。誰も傷つけてない。わたしは、ただ――」
途切れそうになりながらも、必死に続ける。
「ただ……話してみたかったの。人間を、もっと知りたかった。ちゃんと……」
唇が震え、それでも言葉を探す。
「ずっと……広い世界を見てみたかった。その中で暮らす人たちと、笑い合ってみたかった……」
ふと、口元が止まる。
「私たちは、ずっと森で静かに暮ら……」
はっとして顔が強張る。
――言ってはいけない。
その瞬間、審問室を重苦しい沈黙が覆った。
やがて、審問官の声が淡々と響く。
「王国への侵入経路は」
「滞在目的を明確に」
「接触した人物は」
次々と浴びせられる問いかけ。
だが、それ以降エレナが応えることはなかった。
審問は打ち切られ、その日のうちに処刑の決定が下される。
兵士に両脇を固められ、連れ出される足取りは重い。
だがその顔には、怒りも恐怖もなかった。
ただ、力なく目を伏せて小さく呟く。
「……みんな、ごめん」
その声に、誰ひとりとして振り返る者はいなかった。
◇ ◇ ◇
処刑決定の報は、セイクリア中央区画の告知端末に映し出された。
魔族への警戒と徹底排除を促す文言とともに――「潜入個体の処刑は翌日午前」。
無機質な文字列が、淡々とスクリーンを流れていく。
民衆の反応は、安堵。あるいは、無関心。
「魔族が捕まったらしい」「よかった」「これで安心して眠れる」
広場に集まった人々は、掲示を見上げ、口々にそう囁いた。
それは、身近な脅威が取り除かれたことへの、ただ素直な反応にすぎなかった。
だが――その声のどれもが、明日失われる命の重みに触れることはない。
エレナの存在は、“魔族”という括りの中に埋もれていく。
処刑場の設営は迅速だった。
中央広場の一角に仮設の高台と柵が組まれ、兵士たちが無言で周囲を固めていく。
その頃、エレナは城塞の小部屋に拘束されたまま、ひとりで夜を迎えていた。
窓のない部屋。床に膝をつき、背を壁に預ける。
視線を上げれば、天井の魔法灯が淡く明滅を繰り返している。
誰も声をかけてこない。
誰も何も告げてはこない。
(処刑……わたしが、明日……)
その言葉が現実として迫るたびに、胸の奥が鈍く痛んだ。
けれど、不思議と恐怖はなかった。
――ただ、悔しかった。
(もっと話せていれば。もっと、ちゃんと伝えられていたら……)
浮かぶのは、森で出会ったミリアの顔。
温かい手。まっすぐな瞳。凛とした声。
あの出会いは、間違いじゃなかった。
ほんのひとときでも、人と心を通わせたと思える時間があったのだから。
それは、小さな希望だった。
人と魔族が理解し合える可能性。
自分ひとりでは届かない場所――
(お願い。……誰か、信じて)
祈るように、胸の奥でその想いを抱く。
その夜、彼女の夢に浮かんだのは――木漏れ日の中で笑う子どもたちと、風に揺れる森の影。
それらが寄り添うように、彼女を包み込んでいた。
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