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第24話 憧れの果て

 陽が昇るころ、エレナはもう一度だけ街を訪れた。

 あの光に満ちた景色を目にしながらも、そこに留まることはできなかった。

 行くあてもなく、夜が訪れる前に街を離れ、森の縁で身を縮めながら朝を待ったのだ。


 それでも――どうしても、もう一度だけ確かめたかった。

 あの街の光を。人々の笑顔を。


 そして今――


 街並みは澄み渡った空の朝日に照らされ、昨日よりいっそうまばゆく輝いていた。

 色とりどりの屋根も、石畳を行き交う人々も、姿は昨日と変わらない。

 けれど漂う空気は冷たく、注がれる視線は鋭い。


 ただ歩いているだけで、ひそひそ声が耳を刺す。

 すれ違いざまに振り返り、何事かを囁き合う人々。

 エレナは思わずフードを深くかぶり直した。


 ――昨日は、あんなにも優しかったんだもん。

 だから……きっと気のせい。そう信じたかった。


 商店街のはずれで、小さな男の子にそっと声をかけてみる。


「あの……こんにちは」


 けれど、手を引いていた母親は怯えたように子を抱き寄せ、足早に立ち去っていった。

 まるで近づくだけで災厄が降るとでもいうように。


 胸の奥が、ひゅっと冷たくなる。

 昨日はあんなに温かかった街が――今はまったく別の場所のようだった。


 足が止まったのは、きらびやかな装飾品を並べた露店だった。

 目を奪われていると、奥から鋭い視線が突き刺さる。


 ――目が合った。


 だが、そこにあったのは笑顔ではなかった。

 禁忌を目にしたかのように顔をこわばらせ、店主は奥へと姿を消した。


 慌てて視線を逸らしたとき、ショーウィンドウに映る自分の姿が目に入る。


 ――差し込む朝の光に透かされ、フード越しに尖った耳の輪郭が浮かび上がっていた。


「……っ!」


 とっさにフードの上から耳を手で覆い隠す。だが、周囲から注がれる視線は止まらない。

 じわじわと恐怖が広がっていく。


(見られた……どうして……)


 そのとき、鎧をまとった兵士たちが道の向こうからまっすぐ近づいてきた。


 背筋が凍りつく。


 一人の兵士が目の前で立ち止まり、低い声で告げる。


「おい、そこの君。どこから来た?」


 緊張で声が出ない。必死に言葉を探し、口を開こうとした、その瞬間――


「魔族だ!」


 誰かの叫びが響いた。通りの向こうか、兵士の中かもわからない。

 ざわめきが街の空気を切り裂いた。


 エレナは反射的に一歩後ずさる。

 だが、すぐに足を止めた。逃げても意味はない。わかっていた。


 ただ、じっと立ち尽くす。


 兵士たちが素早く動き、周囲を囲んだ。剣の柄に手をかける者もいる。

 逃げ場はなかった。


「両手を上げろ!」


 低く鋭い命令に、エレナは静かに腕を上げた。


 ――もう、何もできない。けれどせめて、話がしたい。

 そう願い、唇を震わせる。


「わたしは……」


 だが、その声は誰にも届かなかった。


 次の瞬間、背中に硬い感触。

 腕をねじられ、魔力拘束具で縛られる。


 それが、エレナが見た“人間の世界”の、もう一つの顔だった。


 ◇ ◇ ◇


 冷たい金属の枷が、手首を締めつける。

 両脇には国家兵が二人。腕を軽く引かれ、罪人のように石畳の通りを歩かされていた。


 広場を離れ、裏路地へと連れられる途中、エレナは一度だけ振り返る。

 そこにあったのは、遠ざかる建物の列と、人々のざわめき。


 ――こんな形で、この場所を離れることになるなんて。


 胸の奥が軋むように痛む。

 昨日の光景は、まるで幻だった。


 焼きたてのパンの香り。

 笑顔を向けてくれた女性。

 屋台のおばさんの声。


 すべてが、手を伸ばすほどに遠ざかっていく。


「なんで……」


 思わずこぼれた声に、兵士のひとりがちらりと目を向けた。

 だがその瞳に映っていたのは職務の色だけ。恐れも、同情もなかった。


 待機していた馬車に押し込まれ、荷台の床に膝をつく。

 扉が閉まり、視界が闇に包まれた。細い小窓から差す光だけが、現実とのわずかな接点だった。


(わたし、ただ……)


 ――人間と、話してみたかった。

 それだけなのに。

 どうして、それすらこんなにも遠くて、重いのだろう。


 馬車が動き出す。車輪の軋む音が体にまで響いた。

 それは、この世界とのつながりが断たれていく音のように思えた。


「森に、帰れるのかな……」


 誰に届くともなく、ぽつりと呟く。


 車内は揺れ続ける。

 外の匂いすら届かない閉ざされた箱の中で、エレナは膝を抱え、身を縮めた。

 照明も暖もなく、ただ冷たく無機質な空間。そこでただ黙って考えるしかなかった。


(もし、森に戻れたとして……みんなは、なんて言うだろう)


 心配してくれるだろうか。叱られるだろうか。

 けれど――そのどちらの未来も、エレナには見えなかった。


「ごめんね、みんな……」


 その一言には、いくつもの想いが込められていた。

 止めてくれた仲間への思いも、信じてくれた誰かへの悔いも、すべてが滲んでいた。


 しばらくして、馬車が大きく揺れる。

 街の門を抜けたのだろう。

 石畳から土の道に変わり、車輪の音が鈍くなる。風の匂いが変わり、遠くから鳥の鳴き声が聞こえてきた。


 それは、森で聞いた音にどこか似ていた。


(あの空も、雲も、風も……確かにあったのに)


 あの時感じた光や温もりは、たしかに心に残っている。

 だからこそ、今の冷たさと虚しさが深く突き刺さった。


 フードの奥で瞳が潤んだ。けれど、涙はこぼさない。


 泣いてはいけない。

 自分で選んだ道なのだから。


 そして――馬車は静かに、セイクリアの城壁へと向かって走り続けていた。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、

ブックマークや感想で応援していただけると嬉しいです。泣いて喜びます。


もちろん「面白くなかった」などのご意見も大歓迎です!

しっかり次につなげるべく、泣きながら執筆します。


皆さまの感想が、何よりのモチベーションです。

それでは、次回もぜひよろしくお願いします!

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