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第23話 初めての世界

 視界いっぱいに広がる空。

 枝葉越しにしか知らなかったその青さは、別世界のように鮮やかで、どこまでも果てなく続いていた。


 白い雲がゆるやかに流れ、頬をなでる風はやさしい。


 エレナは一歩、また一歩と歩みを進める。

 深くかぶったフードと、森で編んだ粗布のマントに身を隠し、尖った耳も赤い瞳も覆い隠す。

 自分が“魔人”だと気づかれないように。


 森でしか生きてこなかった彼女にとって、この先は完全に未知の領域。

 枯れ葉を踏む音も、鳥のさえずりも、どこか違って聞こえる。

 感じるものすべてが新しかった。 


「うー……やっぱり街道に出ないと、道に迷っちゃうな」


 森を抜けてからは、方角も曖昧なまま原野を歩き続けた。

 朝は乾いた風と冷たい朝露に包まれ、昼は風の向きを頼りに進み、夜は星を数えながら眠る。


 木の実をかじり、小川の水をすすり、いくつもの丘を越えて――数日後の朝。


「お願い……次の丘の向こうには、誰かいますように」


 胸を高鳴らせながら足を踏み出す。木々の切れ間から斜面が広がり、その先に町が見えた。

 見たこともない建物が並び、色とりどりの屋根が空に映えている。


「あっ……あれが、人間の世界」


 思わず息を呑む。

 石畳の道はまっすぐに伸び、背の高い建物が立ち並ぶ。

 人々の往来は、まるで音楽のように賑やかだった。


 風が運んでくる匂いすら違っている。

 焼きたてのパンの香り、花の甘さ、焦げた鉄の匂い。森にはなかったものばかりだ。


 街の入り口に立ったエレナは、夢を見ているような気分だった。

 行き交う声、子どもたちの笑い声、石畳を打つひづめの音。

 ずっと遠い世界の営みが、今は手を伸ばせば届く距離にある。


 そのとき、走ってきた少年がぶつかりそうになって、あわてて身を引く。


「あっ、ごめんね、お姉ちゃん!」


 少年はそのまま笑顔で走り去っていった。

 ほんの一瞬の出来事。けれど、エレナの胸は小さく高鳴った。


「……だいじょうぶ」


 すでに遠ざかった少年の背に向けて、そっとつぶやく。


 街に足を踏み入れると、目に映るすべてが新鮮だった。

 ガラス張りのショーウィンドウ。その奥には宝石のように光る菓子が並び、店先には香ばしいパンが山積みにされている。甘い匂いに誘われ、思わず立ち止まった。


 カラン、と扉の音。

 中から出てきた女性が、すれ違いざまににこっと笑ってくれる。


 その笑顔が、あたたかかった。


(……笑った)


 ただそれだけのことなのに、胸の奥がふっと熱を帯びる。


 街灯の根元には、青白く光る小さな魔素結晶。

 柱を通して灯りをともしているらしい。夜になれば、この道は光で満ちるのだろう。想像するだけで胸がどきどきした。


(これが、ミリアが言っていた人間の暮らし……)


 それは、彼女の想像を遥かに超えていた。

 エレナはそのひとつひとつを確かめるように目に焼き付けていく。


 怖がっていたのが嘘のようだった。

 拒まれることもなく、むしろここにあるすべてが眩しく、やさしかった。


 気がつけば、口元がほころんでいた。

 もっと先を、もっと広く――そんな気持ちが溢れ出しそうになる。


 そのとき、路地の向こうからぱたぱたと軽やかな足音が近づいてきた。


「きゃーっ、まてまてーっ!」


 女の子が一人、笑い声をあげながら角を曲がってくる。

 そのすぐ後ろを、二人の男の子が追いかけていた。


 どろだらけの服に、にこにことした笑顔。

 エレナのすぐ横を駆け抜けていく子どもたちの風が、頬をかすめた。


 追いかけっこ。ただそれだけなのに、どうしてこんなに心が弾むのだろう。


 小さい頃、マリスとよく走り回ったことを思い出す。

 木の根を飛び越え、落ち葉のじゅうたんを蹴って、笑いながら転げ回ったあの日々。


 けれど、いつの間にかそんな時間もなくなっていた。

 だからこそ、今の笑い声が胸に残った。


 商店街はさらに賑わいを増していく。

 果物の香り。揚げたての串団子の湯気。工房から漂う香草の匂い。

 それらが混ざり合い、空気そのものが生き物のようにうごめいていた。


 誰もが忙しそうで、それでいて楽しげに過ごしている。


 「魔力安定板」と呼ばれる金属装置の上を、魔法で動く荷車が滑るように進んでいく。

 制御球の光に合わせて止まったり曲がったりする様子に、エレナは思わず息を呑んだ。


 森では一度も見たことのない、魔法の灯りや機械仕掛け。

 魔法が、こんなにも人の暮らしを彩っている――その事実に言葉を失う。


 ふと、とある屋台の前で足を止めた。

 茶色い布をかぶったおばさんが、にこにこと笑みを向けてくる。


「いらっしゃい。初めて見る顔だねえ。観光? それとも旅の途中かい?」


「……え、あ……」


 エレナは言葉に詰まった。誰かとこんなに近くで話すのは、本当に久しぶりだった。


「まあ、いいさ。ここは気軽に歩ける町だからね。ほら、お腹がすいてるなら、これ食べてみなよ」


 差し出されたのは、串に刺さった揚げパンのようなもの。

 恐る恐る受け取り、ひとくちかじる。


 ――甘い。

 ほんのり香る蜂蜜。外側はカリッと香ばしく、内側はふんわり柔らかい。口いっぱいにあたたかさが広がった。


「……おいしい……!」


 思わず声がこぼれる。その瞬間、おばさんがくしゃっと顔をほころばせた。


「ふふ、そりゃよかった。気に入ったらまた来ておくれよ」


「……うん。きっとまた」

 思わず口にしていた。


 ――知らない人が、こんなふうに優しくしてくれる。

 それだけで胸があたたかくなるなんて、思ってもみなかった。


 街の中心にある広場へ進むと、大きな噴水が見えてきた。

 その縁には人々が腰をかけ、誰もが誰かと語り合い、笑い合っている。


(知らなかった……こんな世界があるなんて)


 少し離れた場所で、旅芸人らしい一団が演奏を始めた。

 軽やかな笛の音。太鼓のリズム。歌声が風に乗り、広場全体を包み込む。


 エレナは立ち止まり、その音に身をゆだねた。

 気がつけば、胸が少しだけ苦しかった。


(もっと、ここにいたい……)


 この感情こそがきっと、「希望」というものなのだと分かった。


 やがて、広場を囲む屋根の向こうに夕暮れの空が広がる。

 赤く染まった雲の隙間に、照明塔の光がぽつり、ぽつりと灯っていく。


 空に浮かぶ光の粒は、まるで星のよう。

 けれどヴェイルの森で見た夜空とは、どこか違う輝きを放っていた。


「……きれい」


 誰に聞かせるでもなく、胸の高鳴りをただ言葉にしておきたかった。


 ――もう、森には戻れない。

 それでもいい。ここで、知らなかった世界の続きを見てみたい。



最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、

ブックマークや感想で応援していただけると嬉しいです。泣いて喜びます。


もちろん「面白くなかった」などのご意見も大歓迎です!

しっかり次につなげるべく、泣きながら執筆します。


皆さまの感想が、何よりのモチベーションです。

それでは、次回もぜひよろしくお願いします!

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