表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/67

第19話 沈黙の選択

 ミリアが森を去って、数日が経った。


 朝の光が木々の隙間から差し込み、景色をやさしく染める。

 けれど、見慣れたはずの風景には、ぽっかりと穴が空いたように感じられた。


 エレナは台所の片隅で一人分だけ食事を用意し、湯気を立てる器を手に木陰の卓へと向かう。


「……うん、これでいいかな」


 小さく呟き、腰を下ろす。

 向かいの席は空いたまま。風が抜け、湯気がゆらゆらと揺れていた。


 元に戻っただけの朝――それなのに、少しだけ寂しい。


 森の外。

 以前はただ怖い場所だとしか思っていなかった。

 けれど、ミリアと過ごした時間や交わした言葉が、そこに広がる世界を「知りたい」という気持ちへ変えてしまった。


「わたしも、行ってみたいな……どんな感じなんだろう」


 ◇


 その日の午後。

 薬草庫の前で、エレナはマリスに声をかけた。木漏れ日がゆらめく中、マリスは黙々と手を動かしている。


「マリス、ちょっといい?」


 呼びかけに、マリスは手を止めて顔を上げた。


「なに?」


「ねえ……森の外の世界って、どんな感じだと思う?」


 唐突な問いに、マリスは小さく首をかしげる。

「……さあ。行ったことないから分からない」


「だよね。でもさ、ちょっとは気にならない? 街とか、人の暮らしとか」

 エレナは身を乗り出すように言葉を重ねた。


 マリスは短く息を吐き、肩をすくめる。

「別に気にならないかな……森の中で困ってないし」


「そうだね……でも最近、わたしね。外の世界に行ってみたいなって、よく思うの」


 マリスは眉を寄せたが、すぐには返事をしなかった。

 エレナは胸の前で小さく拳を握りしめ、続ける。


「怖くないわけじゃないよ。でも、ミリアが話してくれた街のこととか、人の暮らしとか……聞いてたら、行ってみたくなっちゃった」


 マリスは少しだけ目を伏せ、ゆっくりと口を開く。

「あの人は怪我をしてたから仕方なくここにいた。治療を受けてたから、少し優しかっただけかもしれないんだよ?」


「ううん、違うよ。ミリアは……わたしたちのことを、ちゃんと知ろうとしてくれてた」


 マリスは薬草の葉を一枚、指先で丁寧に摘み取る。

「でも、あの人が特別だっただけかもしれない。一人の優しさを、全部に当てはめちゃだめ。……期待しすぎると、きっと傷つくよ」


 それでも、とエレナは息を吸い込む。

「全部が敵じゃないって、自分で確かめたいの。だから――行ってみたいって思う」


 少しの沈黙のあと、マリスは目を細めた。

「……その気持ちを否定はしない。でも、森の外が正しい場所だとは私には思えない。あなたは分かってるんでしょ?」


「うん。ありがとう、マリス。でも……わたし、ちゃんと考えるね」


 ふっと目をそらしながら、マリスは小さくうなずいた。


 エレナは「じゃあ、また」と言って背を向ける。二、三歩ほど歩いてから、思い出したように振り返り、にっと笑った。


「……あっ、そうそう。みんなには私から言うから、絶対内緒だよ!」


 その軽やかな声は、「ちゃんと考える」と言っていたはずの彼女が、もうすでに気持ちを固めているように聞こえた。


 ◇ ◇ ◇


 数日後――


 王国軍によるミリアの捜索は、いよいよ打ち切りが検討され始めていた。


 アークは自ら捜索隊を率い、斥候や哨戒班を山の各所に展開させていたが、明確な痕跡はひとつも見つからない。報告のたび、現場には諦めの色が濃くなっていく。


「……これだけ探しても痕跡がない以上、これ以上の捜索は無駄かと」


 部下の言葉に、アークの表情は動かない。

 ただ握る拳の指先が、かすかに震えていた。


 これ以上は兵を消耗させるだけ――

(……潮時か)

 胸の奥で、苦く呟いた。


 そのとき――


「人影だ!」


 岩場の上から叫び声が響く。

 アークが振り返ると、部下の指差す先――夕暮れの逆光の中を、ひとりの影がふらつく足取りで歩いていた。


 髪は乱れ、傷んだ装備は泥にまみれている。

 肩で荒く息をつきながらも、なお前へ進もうとしていた。


 アークは息を呑み、思わず声を張る。

「……ミリア!」


 駆け寄る声に、ミリアは足を止めた。

 顔を上げ、その瞳をアークに向ける。かすかに揺れながらも、それでも真っ直ぐに見据えていた。


「どこにいた? 無事なのか?」


 その声には、安堵と疑念が入り混じっていた。

 ミリアは眉をほんのわずか動かしただけで、短く答える。


「大丈夫だ」


 それだけだった。


 どうやって生き延び、何があり、誰に助けられたのか――

 そのすべての問いに、ミリアは答えなかった。


 アークがさらに詰め寄ろうとしたとき、ミリアは足元の泥に視線を落とす。


 ――何も語らない。

 語れば、どんな結果が待つのか想像に難くない。


 ミリアの中で、「魔族=脅威」という固定観念は、わずかに揺らぎ始めていた。

 すべてを信じるには早すぎる。けれど、否定しきることもできない。


 その沈黙は、疑念を残すことになったが、それが彼女の選択だった。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、

ブックマークや感想で応援していただけると嬉しいです。泣いて喜びます。


もちろん「面白くなかった」などのご意見も大歓迎です!

しっかり次につなげるべく、泣きながら執筆します。


皆さまの感想が、何よりのモチベーションです。

それでは、次回もぜひよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ