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第18話 記録を継ぐもの

 朝の森は澄んだ空気とやわらかな光に包まれていた。

 葉の隙間からこぼれる陽ざしが斑模様を描き、小鳥のさえずりが耳に心地よく響く。


 木陰に置かれた小さな卓。その席に腰を下ろしたミリアは、器から立ちのぼる湯気をぼんやりと眺めていた。


「どう? 今日のはね、けっこう自信あるんだよ」


 期待を隠しきれない顔で、エレナが身を乗り出してくる。


「……前より、味がある」


 慎重に言葉を選んで告げると、ぱっとエレナの表情が明るくなった。

「やった!」と小さくガッツポーズ。


 その姿に、ミリアは思わず口元を緩める。

 こうして他愛もないやり取りを交わすことが、もう日常になりつつあった。


 体はほとんど回復し、集落を歩くのにも不自由はない。

 残っているのは――いつ、この場所を去るのかという一点だけ。


「ねえ、ミリアはさ、自分でご飯作ったりするの?」

 器を両手で抱えながら、エレナが首をかしげる。


「……まあ、必要ならね」


「へぇー、なんか意外。もっと誰かに任せちゃうタイプかと思ってた」


「いつでも誰かがいるわけじゃないし……体も元に戻ってきたから、自分のことは自分でやらないと」


「……そっか。ほんとに元気になったんだね」


 エレナは器の縁を指でなぞり、小さな声で尋ねる。

「……もうすぐ行っちゃうの?」


「……ああ。もう支度は整えてある」


 短く答えるミリアの横顔に、エレナは一瞬だけ言葉を失った。

 そして、ぽつりと問いかける。


「……いつごろ?」


「さあ。医者と話して、今日か、明日か……」


「じゃあさ、明後日とかでもいいかもしれないよ?」


 思わず苦笑しつつ、ミリアは湯をひと口すすった。


「これ以上、長居はできないし、そろそろ頃合いだと思ってる」


「……そっか」


 エレナは視線を落とし、それ以上は何も言わなかった。


 ――その沈黙を破ったのは、背後からの声だった。


「それなら、ひとつ、見ていってほしいものがあります」


 振り返ると、そこに立っていたのはセリナだった。

 長い黒髪を後ろで束ね、深い青の装衣をまとった女性。穏やかさの中に、凛とした芯の強さを感じさせる雰囲気をまとっている。


 彼女に導かれ、ミリアは集落の奥――裏手にひっそり建つ木造の小屋へ。

 ギィ、と扉が軋んだ瞬間、ひやりとした空気が肌を撫で、外の気配がすっと遠のいた。


 内部には簡素な棚が並び、木板や冊子が整然と収められている。

 乾いた紙と古木の匂いが鼻をくすぐり、窓からの光が埃の粒を柔らかく浮かび上がらせていた。


「ここは、森に伝わる記録を保管している場所です」


 セリナの落ち着いた声が空気に溶けていく。

 棚から一冊を手に取り、文字をなぞる指の動きに合わせるように、言葉を続けた。


「この森――ヴェイルは“静域”と呼ばれています。

 けれど、私たちにとっては単なる地名ではありません」


 ミリアは黙って耳を傾ける。


「かつて争いを避けた魔人たちが辿り着いた場所。魔素が極端に薄く、外からの侵入を拒むこの森は、霧や地形までも人の目を惑わせます。だから、ここはただ静かなだけの森ではないのです」


 セリナはページを一枚めくり、淡々と続ける。


「“忘れられるための森”――そう呼ばれることもあります。

 人間の弾圧に抗うのではなく、ただ生き延びる道を選んだ者たちが、ここに根を下ろしました」


 指先が古びた文字をなぞり、その動きに合わせて言葉も深まっていく。


「私たちは、人間から見れば異質な存在。魔法を使い、異なる身体の特徴を持つ。

 でも、それがすべて敵意を意味するわけではありません」


 ミリアは静かに頷いた。

「……少しだけ、分かる気がする」


 その言葉に、セリナはそっと微笑み、手にしていた冊子を静かに閉じる。


「それなら――ひとつ、お願いがあります」


 顔を上げたミリアに、セリナはまっすぐ視線を合わせた。


「ここで見たこと、知ったこと……森を出ても、誰にも話さないでください。この森の存在も、ここで暮らす者たちのことも」


 それは命令ではなく、切実な願いだった。


「この森は、静かにあることで守られてきました。関わりを断ち、忘れられること――それだけが、私たちを生かしてきたのです」


 ミリアは視線を伏せ、答えを探すように息を整えると、小さく頷いた。

「……わかった。約束する」


 セリナはほっと息をつき、冊子を棚に戻す。


 建物を出ると、空はすでに淡く朱に染まり始めていた。

 風が木々の葉を揺らし、ひそやかにすり抜けていく。


 帰り道。夕暮れの光の中、ミリアとエレナは並んで歩いていた。

 道には木漏れ日がまだらに落ち、遠くから鳥の声が響く。


「……帰るの、今日じゃなかったね」

 エレナが少し寂しそうに笑う。


「ねえ、ミリア。森を出たら……ここでのことは全部、忘れてね」


「……忘れないよ。でも、誰にも話したりはしない」


 ミリアの返事に、エレナはほっとしつつ、それでも名残惜しそうに微笑んだ。


「……私も、いつか人間の世界を見てみたいな」


「……いつか叶うよ」


 さらりと風が吹き抜け、木々が柔らかくそよぐ。

 忘れられるはずの森の記憶は――その音とともに、静かにミリアの胸に刻まれていった。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、

ブックマークや感想で応援していただけると嬉しいです。泣いて喜びます。


もちろん「面白くなかった」などのご意見も大歓迎です!

しっかり次につなげるべく、泣きながら執筆します。


皆さまの感想が、何よりのモチベーションです。

それでは、次回もぜひよろしくお願いします!

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