第16話 広がる世界
ミリアは少しずつ足取りを取り戻し、ついに小屋の外へ出る許可を得た。
扉を押し開けた瞬間、目の前に広がったのは――森の奥にひっそりと隠されていた小さな集落。
不思議なことに、森を覆っていた白い霧はそこだけを避けるように晴れており、澄み切った空気が胸いっぱいに流れ込んでくる。
そこで営まれていたのは、人間の暮らしと変わらない、ごく当たり前の日常だった。
庭先で薪を割る老人。軒先で洗濯物を干す夫婦。路地を駆け回る子どもたち。叱られてしょんぼりする子もいれば、木の枝を剣に見立てて勇ましく振り回す子もいる。
――けれど、ただ一つだけ。決定的な違い。
そこに生きる者たちが、人間とは異なる特徴を備えているということ。
鋭く尖った耳、赤く光を宿す瞳、肌に淡く浮かぶ模様のような痣。
そして、彼らの視線もまた、ミリアをわずかに緊張させた。
すれ違う誰もが警戒の色を隠さず見つめてくる。
遠巻きに注視する者、そっと距離をとる者。
それは敵意というより――どう接すればよいのか分からない、不安と戸惑いの表れだった。
そんな中で、ひときわ鋭い視線が突き刺さる。
振り向くと、一人の女性がじっとミリアを凝視していた。
「……誰?」
小声で問いかけると、隣にいたエレナが即座に答える。
「ソフィアだよ。この森にいる五人の魔女のひとり」
「魔女……?」
眉をひそめるミリアに、エレナはくすっと笑う。
「うん。魔女って言っても、怖い存在じゃないんだ。ただちょっと特別な力を持ってるだけ」
歩きながら、エレナは軽やかに続ける。
「この森にはね、たまに特別な力を持って生まれる子がいるの。
今は五人いて、みんな女の子だから“魔女”って呼ばれてるんだ。
わたしもそのひとりで、あとは……さっきのソフィアでしょ。それにセリナ、マリス、イレーネ。これで五人」
エレナは指を折りながら名前を数えていく。
「ソフィアはちょっと気が強くて、警戒心も人一倍。でも、本当は仲間思いだから、あんな態度でも気にしなくていいよ。
マリスは落ち着いてて頭もいい。あんまり本音を言わないけど、ちゃんと話を聞いて、分かろうとしてくれる優しい子。
イレーネは静かだけど、周りをよく見てる。たまに驚くほど鋭いことを言うんだ。
セリナは森で一番の物知り。優しいけど、ちょっと不思議な雰囲気を持ってる人だよ」
ひととおり聞いたミリアは、少し考え込むようにして口を開いた。
「……みんな、仲はいいの?」
「うん。まあ、この狭い森でずっと一緒に暮らしてるからね。自然とそうなるんだと思う。
特にマリスは同い年で、生まれたときからずっと一緒だから……すっごく仲良しなんだ」
にこっと笑ったエレナの横顔は、どこか誇らしげだった。
ミリアはエレナの言葉を思い返しながら、目に映る暮らしの風景に少女たちの姿を重ねてみる。
特別な力を持っているとはいえ、思ったよりごく普通の――どこにでもいるような少女たちに見えた。
「……普通の子たちなんだな」
ぽつりと漏らすと、エレナが楽しそうに笑う。
「でしょ?でしょ? だからそんなに構えなくて平気。ソフィアだって、なんだかんだでちゃんと話してくれるよ。……わたしが一緒にいれば、たぶんね」
その言葉に、ミリアの肩から自然と力が抜けた。
小さく息を吐いて、穏やかな声で応じる。
「そうか。じゃあ、頼りにしてる」
そう口にした瞬間、心の奥にあった警戒心が、不思議なほど薄らいでいることに気づいた。
◇ ◇ ◇
数日後。
ミリアは、あの崖から身を投じた仲間に、自分以外の生き残りがいないか確かめたいと願い出た。
長老たちは長く協議を重ねた末、エレナと数人を同行者とすることを条件に、周辺の捜索を許可した。
森の外縁は濃い霧に覆われ、居住域とはまるで別世界だった。
これこそが、彼らを外の目から隠してきた理由なのだろう。
一歩進むごとに静けさが増し、霧は濃淡を繰り返しながら足元を包み込む。
「……すごい霧だ。よく迷わずに進めるな」
思わず漏らした声に、エレナが肩をすくめる。
「まあ、迷うこともあるよ。だから絶対ひとりじゃダメだって言われてるの」
軽く答えながらも、彼女の足取りは迷いなく崖の方角へと続いていった。
やがて――倒れ伏す一人の兵士の亡骸にたどり着く。
破れた軍装。泥と血にまみれた姿。すでに息はなかった。
ミリアは膝をつき、静かに目を閉じて祈る。
エレナはそっと隣にしゃがみ込み、小さな声で呟いた。
「……人間と魔族って、ずっと昔から争ってるんだよね」
ミリアは目を閉じたまま、短く頷く。
「何百年も、終わらない戦いだ」
「どうして……終わらないのかな」
その問いに、ミリアは答えられなかった。
理由など、とっくに失われていた。ただ、奪い、奪われる――その繰り返し。
しばらくの沈黙の後、エレナはふっと笑った。
「でもね、ミリア。心配しなくても大丈夫だよ」
ミリアが顔を向けると、エレナはまるで秘密を打ち明けるみたいに目を細めた。
「知ってる? 人間と魔族は、将来仲良くなるんだって――」
ミリアは眉をひそめ、鼻で笑った。
「誰が、そんなことを」
口では否定しながらも、その言葉は胸のどこかに引っかかる。
それでも、エレナはただ柔らかく微笑んでいた。
ミリアはもう一度、亡骸に手を合わせ、心の内で静かに祈る。
誰も知らない森の中で。
ただ、静かに――
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