第15話 ヴェイルの森
小屋の窓から、やわらかな朝の光が差し込む。
揺れる葉の影が床に模様を描き、森の奥の静けさとは少し違う、柔らかな気配が漂っていた。
ミリアは簡素な寝具に身を沈め、ただ体力の回復に努めていた。
動けばまだ全身がきしむ。けれど目を覚ませば、必ず傍らには水と食事が置かれている。
粗末ながらも必要なものは揃っている。誰かが世話をしているのは明らかだった。
だが、顔を合わせたことは一度もない。
扉が開き、食事が置かれる音が響き、また静かに閉じられる。それだけ。
(……監視されている)
優しさというより、警戒と義務感――そう直感する。
森で出会った魔人たち。
敵意を剥き出しにするわけでもなく、かといって歓迎するでもない。
外から来た異物。森にとって、自分は脅威そのものなのだ。
ミリアは天井の木目を見つめながら、浅く息を吐いた。
◇
数日が過ぎた。
外に出ることは許されず、小屋の中でただ時をやり過ごす日々。
体の痛みはゆっくりと引いていき、呼吸も浅いながら安定してきた。
そんな中、ただ一人だけ、毎日のように訪れる者がいた。
――エレナ。
銀の髪をふわりと揺らし、簡素な服に身を包んだ少女は、楽しげに扉を叩く。
「おはよう、ミリア」
その一言から始まる会話に、警戒していたミリアの心も、少しずつ解けていった。
エレナはいつも短く話をしては、名残惜しそうに小屋を後にする。
話題の多くは、森の外への憧れだった。
「ねえ、ミリア。人間の街って、どんなふうなの? 石でできた家が並んでるって本当?」
一瞬ためらいながらも、真剣な眼差しに押されてミリアは答える。
「……ああ。石や煉瓦、木も使うが、今は金属や硝子の建物もある。場所によっては、空に届きそうな塔が並ぶ街もある」
エレナは目を丸くして、すぐに興味深そうに頷いた。
「塔か……森の中じゃ、木より高いものなんてないから。一度でいいから、そういう空を突き抜けるものを見てみたいな」
微笑みと憧れが入り混じった声色だった。
◇
また別の日。今度は違う問いが飛んできた。
「人間って、海を越えて旅をするんだよね?」
ミリアはわずかに目を細めて答える。
「……船を使う。広い海を渡って、遠い国へ行くこともある」
「へぇ……」
小さな感嘆がもれる。
「すごいね。わたしたちは、森の外にさえ出ることはないのに」
遠くの世界へ向けた純粋な憧れ。
その想いは隠しようもなく、声の端々ににじんでいた。
最初こそ返答をためらっていたミリアも、今では短い言葉を返すことに抵抗を覚えなくなっていた。
敵意も、疑念もない。
ただ外を夢見る、無邪気な少女――その姿に触れるうち、ミリアも少しずつ心の扉を開き始めていた。
◇
ある日、ふと思い立ったミリアは、逆に問いかける。
「……ここは、どこなんだ?」
エレナは目を丸くし、それからにこりと笑った。
「『ヴェイルの森』って呼んでるよ。……正式には『静域』って言うんだって」
「静域……?」
問い返すミリアに、エレナは嬉しそうに頷いた。
「うん。この森はね、すごく特別なの。普通の森みたいに魔素が流れてなくて、ほとんどゼロに近いくらい」
「魔素が……ない?」
「そう。でもね、私は森の外に出たことがないから、これが普通なんだ。でもミリアから見れば、すごくおかしなことなんでしょ?」
「……ああ。他では、魔素が枯れた土地なんて聞いたことがない」
「だから外の人たちは、この森にはほとんど近づかないんだって。魔素がなければ、力を上手く使えなくなるから」
エレナは指先で小さな輪を描きながら答えた。
「じゃあ、あなたたちはどうやってここで生活しているんだ?」
ミリアの問いに、エレナは首をかしげながらも明るく答える。
「どうやってって言われても、わたしたちは普通に魔法を使えるんだよ」
「……!」
ミリアはわずかに驚きの表情を浮かべる。
「前にも言ったけど、ずっと昔、私たちのご先祖様は戦うのが嫌でこの森に逃げてきたの。誰も近づかない森、だからこそ隠れ住むことはできたけど、最初はやっぱり大変だったみたい。
でもね、わたしたちは少しずつ変わってきたんだ。この森でも生きられるように――体の中で、自分で力を作れるようになったの」
ミリアは黙って耳を傾ける。
静域――魔素が枯れた森。
そして、その環境に適応した者たち。
「魔族……とは違うのか?」
慎重に問いかけると、エレナはぷくりと頬をふくらませた。
「それも前に答えたよ。もともとは、みんな“魔人”だったんだ。そこから争いを選んだ人たちが“魔族”って呼ばれるようになっただけ。だから、わたしは魔族じゃないよ」
小さな手を胸の前でぎゅっと握りしめる。
「わたしたちは、争わない。……ただ、それだけなの」
その声は小さいのに、不思議とまっすぐな強さがこもっていた。
「ま、ぜんぶ昔の文献に書いてあったことなんだけどね」
肩の力を抜いた一言に、張りつめていた空気がわずかに和らぐ。
ミリアは静かに目を細めた。
敵でも味方でもない。
ただ、生きるためにここにいるだけ――
そう言われてしまえば、簡単に否定することはできない。
わずかに息を吐き、ミリアはぽつりと呟いた。
「……そう」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、
ブックマークや感想で応援していただけると嬉しいです。泣いて喜びます。
もちろん「面白くなかった」などのご意見も大歓迎です!
しっかり次につなげるべく、泣きながら執筆します。
皆さまの感想が、何よりのモチベーションです。
それでは、次回もぜひよろしくお願いします!




