表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/70

第13話 異質なる森で

 濃い霧が森を覆っていた。

 視界は数歩先すら霞み、空と地の境目さえ曖昧に溶けている。


 湿った地面を踏みしめ、数人の影が進んでいた。

 獣道をなぞり、濡れた葉を踏み、絡みつく枝を払いながら。

 衣服は森に馴染む色合いで揃えられ、動きに無駄はない。


 誰も声を発しない。

 ただ耳と目だけを研ぎ澄まし、霧の中に潜む気配を探っていた。


 ――そして、先頭の男が不意に足を止める。


 視線の先。霧の帳の向こうに、泥濘へ倒れ伏す人影があった。


 軍装は泥と血に汚れ、剣を背負ったまま顔を伏せている。

 だが、かすかに上下する胸が――霧越しにでも、生きていることを告げていた。


 短い視線の交錯。

 合図だけで状況は伝わる。


 一人が歩み寄り、呼吸を確かめ、慎重に抱き上げた。

 低く抑えた声が漏れる。


「……外からの者だ」


 霧はいっそう濃く、空気は重く沈む。


 見捨てるべきか、助けるべきか――。

 男たちは短く言葉を交わし、やがて決断を下した。


 四人がかりで女を担ぎ上げ、二人が腕を、二人が足を取ってしっかりと支える。


 湿った地面に足を取られないように、一歩一歩、森の奥へと消えていった。


 ◇ ◇ ◇


 どこかで木がきしむ音がした。

 その微かな気配に、ミリアはうっすらと目を開ける。


 視界はまだぼやけ、板張りの天井が揺れて見えた。


 喉は乾き、全身に鈍い痛みが広がる。

 無理に動かそうとすれば、筋肉が軋むように悲鳴を上げる。


 小さく息を吐き、抗うのを諦めた。


 それでも呼吸は続き、胸の奥で鼓動が脈打っている。


 ――生きている。


 朦朧とした意識の中で、ミリアはただそれだけを実感していた。


 背中には固いが温もりを帯びた寝具の感触。

 身体には粗い布の包帯。

 着ているものは見知らぬ服で、軍装ではない。


 周囲に人の気配はない。


 耳を澄ませば、窓の外から鳥のさえずり。

 遠くで水の流れる音もかすかに届く。


 小さな木造の家。

 壁も天井も加工の少ない木材で、素朴だが丁寧に手入れされている気配がある。


 ――知らない場所。

 敵地ではない。だが、安らげるわけでもない。


 考えをまとめる間もなく、意識はまた薄れていく。

 身体はなお回復を求め、深い眠りへと沈んでいった。


 ◇ ◇ ◇


 次に目を覚ましたとき、室内の空気がわずかに変わっていた。


 重い身体を動かすと、すぐそばに気配を感じる。

 衣擦れの音。静かな呼吸。


 ミリアはゆっくりと視線を巡らせた。

 焦点はまだ合わない。

 それでも、隣に誰かがいることだけはわかる。


 椅子に腰かけ、じっとこちらを見つめる影。


 ぼやけた視界の中、銀色の髪が揺れていた。

 強い圧ではない。どこか優しい気配をまとった、小柄な姿。


 意識の奥で、その影をぼんやりと見つめていると――

 目覚めに気づいた影が、小さな声で囁いた。


「……おはよう」


 耳の奥に届いたその呼びかけが、意識の靄をわずかに晴らす。


 ミリアは改めて視線を動かした。

 そこに座っていたのは、一人の少女。


 赤く輝く瞳。

 人よりも細長く、先端が尖った耳。

 肩から首筋、そして頬にかけて、淡く浮かぶ模様のようなあざ


 ぼやけた視界の中でも、その異質さは目を引いた。


 ミリアの唇から、かすれた声が漏れる。


「……魔族……?」


 その一言と同時に、警戒が全身を駆け巡る。

 身体はまだ思うように動かない。

 だが心だけは、刃を抜くかのように即座に構えを固めていた。


 さらに目を凝らせば、少女の指先はわずかに長く細い。

 小さな異質さがそこかしこに見え隠れしていた。


 ミリアが強張ったまま睨み返すと、少女は慌てて手を振った。


「違う、違うよ! わたしは魔族じゃない!」


 小さな声。けれど、その必死さは痛いほどに伝わってきた。


「わたし、エレナっていうの。……魔人なのは間違いないけど、魔族じゃないんだ」


 ミリアはわずかに眉を寄せた。

「……何が違う」


 問いに、エレナは小さく肩をすくめる。

「えっとね。……わたしも聞いた話なんだけど」

 言葉を探すように視線を落とし、ゆっくりと続けた。


「ずっと昔、人間と戦うために集まった魔人たちが“魔族”って呼ばれるようになったんだって。

 でも、わたしたちのご先祖さまは戦いを嫌って、その集まりから離れたらしいの」


 ミリアは鋭い視線を向けたまま、無言で耳を傾けていた。


 エレナは小さく息を整え、言葉を続ける。


「それから、この森に隠れて、ただ静かに暮らしてきたの。

 人間とも、魔族とも争わない。……本当に、ここで生きているだけなんだよ」


 そう告げて、エレナは少し恥ずかしそうに笑った。


 すぐには信じられなかった。

 これまで幾度となく魔族と刃を交えてきた。

 静かに暮らしていると言われても――疑念は容易に拭えない。


 だが、目の前の少女には敵意の影すらなく、実際こうして命を繋いでくれている。


 膝を抱えて無邪気に笑うその姿は、遠く離れたリリィの面影と重なった。


 張り詰めていた心が、ほんのわずかに緩む。


 ミリアはかすれた声で問いかける。


「……ここに、ほかに運ばれた者は?」


 エレナは小さく首を振った。

「あなたしかいなかったよ。他にもいるかと思って少しは周りを見たけど……誰もいなかった」


 その答えに、胸の奥が痛む。


 生き残る可能性に賭けた崖上での決断――あの選択は、本当に正しかったのか。


 ミリアは静かに目を閉じた。

 悔しさも後悔も、今は胸の奥へと押し込める。


 自分には、帰らねばならない場所がある。

 守らねばならない者たちがいる。


 まずは、身体を立て直さなければならない。


 ゆっくりと息を吸い込む。

 再びこの手が剣を握れる日まで――


 生きて、帰るために。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、

ブックマークや感想で応援していただけると嬉しいです。泣いて喜びます。


もちろん「面白くなかった」などのご意見も大歓迎です!

しっかり次につなげるべく、泣きながら執筆します。


皆さまの感想が、何よりのモチベーションです。

それでは、次回もぜひよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ