第11話 リリィの手紙
城壁の外れにある仮設の軍議棟。
木材と金属板で組まれた簡素な建物の中に、アストラニア王国軍を支える師団長たちが集まっていた。
作戦卓の上には、偵察結果を反映した地図と戦術資料。
端末の青白い光がちらつき、静まり返った空気をさらに重くしていく。
「――ここが、魔族の補給拠点と見られます」
レオナ・バルトネスの言葉に、全員の視線が一点へと集まった。
提示されたのは、砦を出発した部隊を北と南東に分け、敵拠点を挟撃する作戦。
レオナは指を北へ滑らせながら続ける。
「《白陽の騎士団》は北から。《夜禍の牙》は南東の山岳地帯を進軍します」
さらに地図の一角を押さえ、冷静に付け加えた。
「敵の主力は北東に集中。南東は補給線の都合で警備が手薄のはずです」
アーク・レネフィアが等高線をなぞり、短く沈黙してから口を開く。
「……南東は兵を展開するには不向きだが、裏をかくには十分だ。挟撃の起点にできる」
ミリアは頷き、並べられた資料に目を落とした。
「なら、決まりね。準備に取りかかりましょう」
戦術端末に入力された指令は、通信網を通じて各部隊へ。
兵たちは黙々と装備を点検し、重苦しい空気の中で出撃の時を待つ。
そんな中、アークがふと口元に笑みを浮かべ、ミリアへと声をかけた。
「……あの時みたいに、勝手に隊を離れたりはしないでくれよ」
ミリアは目を細めて肩をすくめた。
「しないわ。謹慎は、二度とごめんだもの」
◇ ◇ ◇
ひと月前――緩衝地帯北部の廃村跡。
《夜禍の牙》は間もなく進軍を開始する本隊に先立ち、魔族拠点の配置を急ぎ探っていた。
崩れかけた石造りの家々。
風すら止んだような静けさの中、一行は息を殺して進む。
その瞬間――乾いた銃声が響いた。
「伏せろ!」
ミリアの声と同時に、団員たちは地面へと飛び込む。
弾丸はわずかに逸れ、草を刈り取って消えた。
すぐさま反撃に転じ、巡回兵を撃ち倒す。だが、廃村にこだました銃声は、容赦なく静寂を切り裂いていた。
(……増援が来る)
嫌な予感が胸を冷やす。
張り詰めた空気の中、シェラが崩れかけた壁を飛び越えようとしたとき――
足元が沈み、脆くなった壁が音を立てて崩れ落ちた。
「シェラ!」
叫びは虚しく、瓦礫と土煙が彼女を呑み込む。
かすかな呻き声が届いたが、すぐに途絶える。
魔力信号も反応を失ったままだった。
ミリアは耳元の通信機を掴む。
「こちらミリア。前衛で事故発生、負傷者あり。状況確認中」
本部の声がすぐに返ってくる。
『進軍を優先せよ。直ちに撤退し、二十分以内に帰還せよ。敵増援の兆候あり』
判断は明白だ。
ここに留まれば包囲される。
情報を持ち帰らなければ、本隊の進軍が危うい。
「団長……!」
控えていたユーグが、迷いを滲ませた声を上げた。
ミリアは一瞬だけ目を閉じ、即座に決断する。
「全員、撤退準備。シェラは、私が連れ戻す!」
そう言い切り、単身で崩れた建物へ駆け込む。
瓦礫をかき分けた先に、血に濡れたシェラが倒れていた。
左脚には深い裂傷。わずかに身じろぐだけで、顔が痛みに歪む。
「もう少しだ。動くな」
短く告げ、ミリアはその体を背に負った。
遠くで銃声に応じるように、何かが動く気配。
それでも振り返らない。
――誰ひとり、置いていかない。
もしあの時、ほんの一瞬でも迷っていたら、シェラは命を落としていただろう。
そしてこの一件が、彼女にとってミリアへの信頼を決定的なものとした。
◇ ◇ ◇
「では、各部隊。出撃は明朝。各自、持ち場で最終調整を」
その一声で軍議は締めくくられた。
師団長たちは席を立ち、それぞれの持ち場へと散っていく。
ミリアも椅子を引き、机上の資料を手早くまとめた。
必要な書類を整え、魔導端末を開いて作戦を確認する。
内容を頭に叩き込み、端末を閉じて立ち上がった。
――夜が明ければ、また戦いが始まる。
その夜。ミリアは天幕の机に、一通の手紙を置いていた。
色あせた封紙に押された、子どもらしい可愛いスタンプ。
差出人の名は――リリィ。
封を切り、便箋をそっと取り出す。
少し曲がった文字は、一文字ごとに力強く丁寧で、書きながら一生懸命だったことが伝わってくる。
『ミリアへ
こんにちは。今日はシスターがパンを焦がしました。
昨日も焦がしたので、もう黒パン屋さんって呼ばれてるよ。
猫がまた寝ぼけて顔に乗ってきて、びっくりして起きたらミルクこぼしちゃったの。
でも、リリィは元気です。
ミリアは? 今はどこにいるの? 次はどこに行くの?』
読み進めるうちに、ミリアはふっと微笑む。
焼けすぎたパンの匂い。猫の柔らかな毛並み。くるくる変わるリリィの表情。
すべてが、まるで目の前にあるようだった。
――けれど。
『次はどこに行くの?』
その一文で、ミリアの指が止まった。
何気ない問いかけが、胸に深く残った。
どこへ向かうのか。
何のために、誰のために。
そして、自分は何を果たそうとしているのか。
ミリアは便箋を畳み、胸元の内ポケットにしまった。
その問いに、すぐ答えは出せない。
椅子を引き、立ち上がる。
一つひとつ装備を確認しながら、胸元の手紙にそっと手を添えた。
リリィの兄を守れなかったあの日から、手紙を受け取るたびに、その痛みは消えずに残り続けている。
◇ ◇ ◇
出撃の号令が野営地の中央に響く。
夜明け前の霧を切り裂くような、鋭くはっきりした音だった。
《白陽の騎士団》は北の平原へ。
《夜禍の牙》は南東の山岳へ。
馬にまたがった兵士たちは、ただ前方を見据える。
言葉を交わさずとも、誰もが次に来る戦いを理解していた。
ミリアは隊列の先頭に馬を進め、霧の中へと踏み出す。
裾を揺らす風。遠くで鳥の鳴く声。
ふと胸元に手を当てる。そこには、しまったばかりの手紙。
『次はどこに行くの?』
それはリリィからの問いであり、同時に自分自身への問いでもあった。
ミリアは小さく息を吐き、空を探すように顔を上げた。
「……未来、かな」
その声は誰にも届かず、朝の空気に溶けていった。
やがて蹄音が、薄明の霧を押し分けるように続いていく。
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