第10話 隔たりの向こう
石畳の支道は主道から分かれ、ゆるやかな坂を描いて軍施設へと続いていた。
坂の先には厳重な通用門。白地に黒文字の案内板がひとつ、ぽつんと立っている。
――スキル保持者専用通路。
飾緒を付けた制服姿の若者たちは検査を免除され、笑い交じりに言葉を交わしながらも、その歩調は乱れなかった。
一方で、一般兵たちは正規ゲート前に列を成す。
背負った動的エネルギー補正装置《D.E.Aユニット》を一つずつ点検され、身分証の提示、起動音、短い確認信号――その繰り返しに、場の空気はじわりと引き締まっていく。
アストラニアの貴族のほとんどがスキル保持者。
その差は、生まれ落ちた瞬間から、こうして目に見える形で区別されていた。
通用門を抜けると、平屋や二階建ての居住棟がずらりと並んでいる。
ここは王都セイクリアに隣接する軍中央区画。その一角を担う拠点だった。
整備兵や補給部隊、後方支援の要員たちが交代で駐在し、拠点を支えていた。
住宅棟のあいだには食堂や浴場、整備場が点在し、棟と棟を結ぶ砂利道を踏みしめるたび、しゃりっとした音と湿った土の匂いが広がった。
さらに南端へ足を進めると、ひときわ広い敷地が開ける。
粒砂と砂利を敷き詰めたその場では、兵士たちの掛け声と装備の駆動音が重なり合っていた。
訓練場――支援部隊の調整や実地訓練、後進の育成を担う場所だ。
その一角に、ヴァルドの姿があった。
彼はスキルを持たない。
だが、D.E.Aによる魔力制御においては、“天賦の才”とまで評される精度を誇った。
今は白陽の騎士団に籍を置きながら、後進の育成に力を注いでいる。
この日も、予定された訓練が始まっていた。
演習区画の片隅では、若手隊員レイ・グランツがひとり、黙々とD.E.Aの調整に取り組んでいた。
入隊からの数ヶ月、彼は誰より早く訓練場に現れ、誰よりも遅くまで残った。
装備の片づけも最後、食事の時間すら削ってマニュアルを読み返し、ユニットの構造や制御理論を頭に叩き込み続けてきた。
それでも成果は思うように出ない。
魔力制御は不安定で、動きは半拍ずつ遅れ、体勢も崩れる。
同期が次々と前線訓練に進むなか、彼だけが基礎動作の反復に留まっていた。
焦りは募る。だが、諦めはしない。
ただ――「戦える自分」になりたい。その一心で。
ヴァルドは、そんな彼に繰り返し声をかけてきた。
できた部分を見つけては褒め、つまずきには言葉を添え、そして必ず隣に立ち続けていた。
今日もまた、ヴァルドはその横にいた。
「もう一度、出力値を調整してから……そうだ。そのまま一拍置いて、膝を沈めろ」
レイは何度もうなずき、必死に食らいついた。
だが魔力の収束はわずかに乱れ、軸はぶれる。制御環はかすかに震え、ユニットの反応も理想には届かない。
「……すみません、またずれました」
「悪くない。昨日よりは収まりがいい。動きも合ってきてる」
「でも……教官みたいにはできません。やっぱり俺には、向いてないんじゃ……」
ヴァルドが言葉を探すより早く、レイは吐き出した。
「ずっとやってきたんです。でも、何も変わらない。
教官は“できる”って言うけど……それは、教官ができる人だから、当たり前に思ってるだけなんじゃないですか」
その言葉に、ヴァルドは返す言葉を探すが、見つからなかった。
レイは静かに目を伏せ、黙って訓練位置へ戻っていく。
その背を、ヴァルドはただ見送るしかなかった。
――そして翌朝。
集合点呼に、レイの姿はなかった。
◇ ◇ ◇
訓練場に夕日が差し込み、今日の訓練は終わりを迎えていた。
だが最後まで、レイが現れることはなかった。
日が傾き、施設区画に灯がともるころ。
ヴァルドは端末で位置情報を確認すると、静かに歩き出す。
辿り着いたのは、レイ・グランツの宿舎だった。
扉を叩いても返事はない。けれど、内側にわずかな気配がある。
「俺だ。……飲みに行こう」
しばしの沈黙。
やがて、軋む音とともに扉がゆっくりと開いた。
「……どこか、行きつけとかあるんですか?」
「ある。静かで、飯も悪くない」
それだけ告げ、ヴァルドは歩き出す。
レイは戸惑いながらも、数歩遅れてその背を追った。
二人は言葉少なに夜の通りを抜け、やがて目的の酒場へとたどり着く。
酒場といっても、軍属向けの簡素な食堂に毛が生えた程度の場所だった。
それでも椅子は安定しており、夜風の入る窓際の席には心地よい落ち着きがあった。
腰を下ろし、それぞれ簡素な晩飯と酒を頼む。
最初に口を開いたのは、レイだった。
「……怒らないんですね、俺のこと」
「怒る理由がない」
「でも、訓練を抜けて、勝手に……」
「お前は逃げたんじゃない。どうしていいか分からなかっただけだ」
その言葉に、レイはまた目を伏せた。
手元の湯呑みを両手で包み込み、ぽつりと呟く。
「俺……本当に、向いてないのかもしれないと思ったんです」
「そうか」
ちょうどその時、二人分の料理が運ばれてきた。
最初の数分は、音もなく箸が動く。
沈黙は気まずくはなかった。ただ、それぞれが言葉を探していた。
やがて、レイが再び口を開く。
「……俺、正直まだ迷ってます。
続けたいのか、逃げたいのか……それすら分からないんです」
ヴァルドはグラスを置き、真っ直ぐに視線を向ける。
「……お前は、俺をどう見てる?」
レイが顔を上げた。
「教官ほど才能がある人はいないと思ってます。天才だって」
少し間を置き、ヴァルドは静かに応える。
「……俺は天才なんかじゃない。むしろ、凡庸にも劣る方だ」
レイは一瞬、言葉を飲み込み、呆れとも戸惑いともつかない表情を浮かべる。
「そんなことない……。みんな言ってます。
第二隊の隊長も、整備班の班長も、教官は“スキルなしの天才”だって……」
悔しさを滲ませた声。握りしめた拳が、卓の下で震えていた。
ヴァルドはしばし黙し、言葉を探すように口を開いた。
「俺も最初は、ただ誰かの役に立ちたくて必死だった。
一日でも早く戦えるようになりたくて、がむしゃらに繰り返した。できるようになるまで、何度でも」
息を整え、噛みしめるように続ける。
「何年も努力して……やっと人並みに届いた頃、白陽の騎士団に誘われた。嬉しかったさ。
でも気づけば、前を走っていたはずの同期たちはもういなかった。振り返ると、遠く後ろで立ち止まって、こう言ってたんだ」
『あいつには天賦の才がある。羨ましい』
「ふざけるな。俺がどれだけ、人の何倍も何十倍も努力してきたと思ってる。
俺は天才なんかじゃない。
……頑張れることも、一つの才能なのかもしれない。
スキルを持たずに生まれて、最初から何でもできるやつなんていない。
できないのは、当たり前なんだ」
レイは俯いたまま、拳を強く握りしめる。机に落ちる影が、かすかに震えていた。
「君は心が弱い。だが……頑張れるという才能を持っている……俺と同じだ」
ヴァルドは身をわずかに傾け、目を合わせる。
「恐れるべきは“できない”ことじゃない。
できないと諦め、自分に負けてしまうこと――それが一番怖いんだ」
レイは唇を噛みしめ、か細い声で吐き出す。
「でも……今の自分に、自信が持てないんです。どれだけやっても、また失敗する気がして……」
その弱音を遮らず、ヴァルドは静かに応じる。
「だったら、失敗する気すら起きないほど積み上げろ。時間をかけて、何度でも。
積み上げた努力は、決して無駄にならない」
短い沈黙ののち、ヴァルドはゆっくりと言葉を結んだ。
「……あとは君次第だ」
レイは、何も言わなかった。
ただ、その瞳からは、わずかに迷いの影が薄れていた。
翌朝、列の端でD.E.Aを調整するレイの姿があった。
今日もまた、新しい訓練の一日が始まっていく。
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