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—シオン—

作者: 山下 宏之

――記録されなかった戦争の、最後の写真がある。


星々を背景に沈黙の宇宙をただよう戦闘機の残骸。

そして、その中央には――


青年と、少女がいた。


彼は宇宙服のまま彼女を抱き、

彼女は崩れかけた身体で、彼を抱きしめていた。


誰が撮ったのかはわからない。

なぜこの記録だけが残されたのかも。

ただ、それは多くの者の心に静かに残り、

後にこう呼ばれた。


――「紫苑シオンの記憶」。


これはその写真が生まれるまでの、

名もなき兵器が「名前」をもらった物語。



キャラクター設定


■ アカシ・レン(Akashi Ren)


年齢:22歳前後 / 性別:男性 / 所属:連合第七コロニー軍 戦闘機パイロット

•本作の主人公。

•非常に優れた操縦技術を持つが、ナノドール「シオン」の姿に魅せられ、戦闘中も彼女の写真を撮影することに没頭。



■ シオン(Shion)


外見年齢:17歳相当 / 性別:女性型ドール / 種別:ナノマシン集合体ドール

•元は敵対コロニーの高官が娘・ミナに似せて作らせた戦闘用ドール。数億のナノマシンで構成され、戦闘機を瞬時に破壊する能力を持つ。



■ アオイ(Aoi)


年齢:20歳前後 / 性別:女性 / 所属:連合第七コロニー軍 戦闘機パイロット

•レンの僚機を務める女性パイロット。冷静沈着で優秀だが、人に言えない想いを抱えている。



■ ミナ(Mina)


年齢:故人(生前は17歳)/ 性別:女性 / 関連:シオンの原型となった少女

•敵対コロニーの高官の娘。若くして難病で亡くなり、その容姿と記憶を基に“ドール”が開発される。生前の映像や声が、シオンの内部記録に影響を及ぼしている。



■ サレル博士(Dr. Salel)


年齢:40代後半 / 性別:男性 / 所属:連合コロニー技術局/ドール研究責任者

•元は敵対勢力でドール研究に関わっていた技術者。後に連合側へ亡命。シオンの構造に強い関心を持ちつつも、彼女を「兵器ではない」と認めていく。



第一章:青い光、赤い引き金


宇宙は、静かだった。


無限の黒のなか、白く浮かぶコロニー群。

そこから放たれる戦闘機たちが、流星のように散っていく。

数日前に宣戦布告された、第七宙域境界戦争。

理由は誰も気にしなかった。命令だけが降ってきた。


「レン、聞こえてるか?」


通信に同僚の声。ノイズが少しだけ混ざる。


「敵影不明。ミサイル、無反応。レーダーには何も映ってない」


レン――アカシ・レン中尉は、戦闘機のコクピットで軽く首を振った。


「了解。ミサイルは撃つな。無駄弾になるだけだ」


「でも、やられてるんだぞ!あっちこっちで機体が蒸発して……!」


叫びにも似た声に、レンは言葉を返さなかった。

モニターの一角に切り替えた映像――そこにあるものが映っていた。


あの少女が、いた。


何も纏わず、虚空を舞うように漂っている。

年齢は16.7歳ほどにしか見えない。

肌は白磁のように滑らかで、髪は長く、闇夜のように黒い。

目だけが、ありえないほど鮮やかな青を放っていた。


――殺しに来ている、のに。


彼女は、漆黒の中を静かに、優雅に舞い踊る。時折薄っすらと蒼白い軌跡を描きながら。


そして手をすっと差し出したかと思うと、

青いパルス光が、まっすぐ飛んで――


僚機が、一瞬で沸騰した。


「……」


レンは引き金に指をかけたが、動かない。

震えでも恐怖でもなかった。ただ――惹かれていた。


「また……来てる……」


少女は、こちらを見ていた。

宇宙服も着ていない。ただの生身のような姿。

機体のレーダーには何も感知できない。


(お前は……いったい何なんだ)


次の瞬間、彼女の視線が一瞬ずれた。


“カメラ”を見ていた。

この戦闘機の外装部に、レンが勝手に取りつけたもの。

それは戦闘記録用ではなく、個人的な撮影機器だった。彼女を撮る為だけの。


そのレンズを――見つめ、微笑んだ。


(……!)


カシャ、と小さな音が機内に響く。

映像保存、完了。


そのまま少女は、くるりと背を向けて、

音もなく宇宙の暗闇へと消えていった。


通信が戻る。


「レン!応答しろ!何してたんだ!」


「……何も。見失っただけだ」


レンは通信を切った。

そして、そっと写真フォルダを開く。


少女が、こちらを見て微笑んだ、その一枚。


誰にも言えない。

けれど――名前を、つけたいと思った。


「……シオン」


それは、誰に教えることもない。

ただ、心の中でだけ呼ぶ名前。


名もなき人形に、名前を贈った、宇宙の果ての青年。


それが、すべての始まりだった。


第二章:密告者の眼差し


「レン、また機体に何か取り付けてたよね」


整備区画。

作戦を終えたばかりの戦闘機が音を立てて冷えていくなか、

レンはメンテナンスログを確認していた。


声をかけてきたのは、同僚のパイロット――アオイ・ミナセ中尉。

中性的な顔立ち、鋭い視線。

だがその奥には、レンに対しての特別な感情を湛えていた。


「……ただの観測カメラだよ。飛行中のデータを自分で残してるだけ」


嘘だった。

でも、彼女が嘘を見抜けないとは思っていない。


アオイは眉をひそめ、無言でレンの顔を見つめた。

その視線は、いつもより長い。


「最近、変だよ。戦闘中、無線も切って……。何か見てる。誰かを、見てる」


レンは言葉を返さなかった。

けれど、彼女の言葉を黙って肯定するように、

機体から取り出したデータチップをポケットに入れた。


アオイは、その手元を見ていた。



夜、兵舎。

薄暗い室内、レンの個人端末が青白く光っていた。


画面には、一枚の画像。

少女のような敵兵器――あのドールがこちらを見て微笑む、完璧な構図の一枚。


レンはその画像を、しばらく見つめていた。

そして、誰に見せるでもないまま、もう一度保存フォルダを整理する。


その瞬間、部屋のドアがノックされた。

レンは慌てて端末を閉じながら、努めて落ち着いた声で応答する。

「……何?」


「私。アオイ」


しばらくの沈黙の後、レンがドアを開けた。


「……あのさ。見せてくれる?」


唐突なアオイの問いにギクリとして僅かに眉を動かす。

「何を」


「さっき、持ってたチップ。戦闘記録じゃない、ほう」


少し俯き加減でアオイはレンの表情を探る様に言った。


レンは、ためらった。


だが――

彼女にだけは、少しだけ見せてもいいかもしれない、と思った。


アオイを部屋の奥に招き入れ、端末を開いた。画面に映った少女。

アオイはそれを見て、一瞬、息を呑んだようだった。


「……これが、あの“敵”?」


「ああ、でも、撃てなかった」


「なぜ?」


「レーダーにも赤外線センサーにも反応がなかったし、それに...」


レンは少し言いにくそうに俯くが、再び画面の少女に目をやると、ただ小さく笑った。


「……きれい、だと思った」


その言葉が、アオイを沈黙させた。


しばらくして彼女は立ち上がり、部屋を出ていった。

レンはその後ろ姿を追わず、写真を見つめ続けていた。


少しの気の緩み、それが彼の犯した過ちとも知らずに。


ーーー

その数時間後、アオイが司令部に提出した報告書に、

「非公式に設置された観測装置と、敵ドールの写真」の件が含まれていた。


彼女は迷っていた。


それでも、彼が処罰を受けて、戦闘機から降りれば…あの幻影と引き離す事ができれば…そうしたらもう一度、彼は自分を見てくれるかもしれない。

訓練学校時代のあの時みたいにーー

そう信じていた。


しかし彼女の想いとは裏腹に、レンの処罰は一時保留とされた。

そしてこの判断があの少女たちを戦場から消し去る引き金になるとは、この時はまだ、思いもしなかった。


第三章:写真の代償


戦場は、変わった。


それは静かに、しかし明らかに。


敵ドールの姿を確認できる機体が、増え始めた。

それは偶然でも、進化でもなかった。


レンが設計した“追尾装置”が、兵器に転用されたのだ。


軍の科学班が装置を解析し、

可視波長と放射パターンの微細なズレからドールの行動を“視える化”した。

そしてそのデータが、ミサイル制御システムに組み込まれた。


敵は、ようやく「捕捉可能な敵」になった。


だが、それは無力化ではなく、殲滅を意味していた。



「命中確認、敵機反応消失!」


「追尾ドローン、三体目撃墜!」


僚機たちの声が無線に満ちる。

勝利の報告は、本来なら喜ばしいものだった。


だが、レンの視界に映るのは、

次々と弾け飛ぶ“彼女たち”の姿だった。


(やめろ……撃つな)


モニター越しの光点が、一つ、また一つと消えていく。

炎を上げることもなく、ただ音もなく散る、銀色の光。


「……!」


気づけば、レンは操縦桿を握る手を震わせていた。


(どうして……)


そのシステムを作ったのは、自分だった。


彼女を撮るために作ったものが、

彼女たちを殺す武器になった。


(おれが……)


理解した瞬間、頭が真っ白になった。


警告音。僚機が背後から近づいている。


「レン中尉、フォーメーションが崩れてる。何してる、今すぐ――」


その声を聞きながら、レンは操縦桿を思いきり倒した。


「……どけよ」


砲口が僚機に向けられた。

次の瞬間、銃口が火を噴いた。


爆発。


モニターには一瞬だけ、僚機の機体識別コードが映り、そして消えた。


レンは全ての通信を遮断した。


そしてカメラを起動させ

彼女を――シオン――と名付けたドールを探した。


無数の残骸に混じって傷つき、漂う小さな影。

光の届かない宇宙の果て、彼女はまだ、そこにいた。


かろうじて形を保っている右手と頭が天を仰ぐ様に停止していた。

周囲に破壊されて散開したナノマシンが蒼白いかすかな光を放って煌めいている。


どこか神々しく、その姿は祈りにも似ていた。



彼女を発見した彼は、戦闘機を放棄した。


宇宙服のまま、風防を開き、

彼女のもとへ、手を伸ばす。


遠い、遠い空間のなかで、

やがてその手が、冷たい肌に触れた。


それは、もうほとんど“人”の形ではなかった。

変わり果てたシオンの姿を目の当たりにして、深い贖罪の念に涙が溢れ出る。


彼女をこれ以上壊さないように、そっと優しく抱き締めた。


「……シオン」


レンはその名を、

誰にも聞こえない声で、そっと呼んだ。


第四章:贈り物


宇宙は、あまりにも静かだった。


音はない。重力もない。

計器も通信も、全てが沈黙を続けている。

漂いながら、彼は彼女を離さなかった。


「……シオン」


応答はない。

それでも彼は語り続ける。


「なあシオン。君につけたこの名前の由来を知ってるかい?」

「それは小さな紫色の花」

「花言葉は、”遠くにある人を想う”とか”あなたを忘れない”って言うらしい」

「初めて君を見た時に、この名をつけたいって思ったんだ」

「シオンって呼びたいって」

「気に入ってくれたかなぁ」

「ねぇ、シオン」


彼の声は届かない。

ただ、振動だけは彼女の身体に伝わっていた。


延々と続く闇の中、時間の感覚が消えていく。

一時間か、一日か、あるいは数週間か――

もはや彼には、自分がどこにいて、いつ死ぬのかすら分からない。


だが、シオンの名前だけは、呼び続けていた。


それがレンにとって、この宇宙の中でたったひとつ残された“救い”だった。



酸素残量、わずか。

生命維持装置はすでに止まり、レンの身体は徐々に凍え始めていた。


「……聞こえてるか……シオン……」


もはや返事を期待していたわけではない。

けれど、名を呼ぶことで、自分の存在を彼女に残したかった。

そして許しを得たかった。


凍えゆく意識の中、彼の記憶がノイズのように去来する。


最初に見た、あの微笑み。

モニター越しの、たった一枚の写真。

追いかけて、追いかけて、ようやく届いたこの距離。


名もなき兵器に、名前を贈った自分。


「……シオン、ようやく会えたのに、ごめんな、ほんとうに…」


彼の呼気は白く凍り、そして、止まった。


アカシ・レン中尉。

かつて戦闘機パイロットだった一人の青年は、

誰にも知られることなく、宇宙の塵へと沈もうとしていた。



だが。


そのとき――


微かに、シオンの指が動いた。


第五章:紫苑の記憶


思考回路、再起動。

自己修復アルゴリズム、強制展開。

損傷率――92%。

推奨行動:無。

非戦闘環境確認。戦闘プロトコル――無効化。


シオンの僅かに機能している自己再生プログラムにより、内部で微かな電子のさざ波が走り、断片化されていた記録の繊維がゆっくりと繋がれ始めていた。


――まだ、名前を持たなかった頃。


彼女は戦場にいた。殺すための存在として、ただそこに在った。

けれど、何度も繰り返される交戦のなかで、ある一機の戦闘機と奇妙な遭遇を重ねていた。

その機体は、他のいずれとも異なっていた。兵装システムのレーダーが常にオフになっており、彼女を「敵」と認識しない。

故に“危険度ゼロ”として、戦闘優先度から外されたその機体――それが、アカシ・レンの乗る戦闘機だった。


撃たない。近づいても、逃げもしない。ただ、見ている。


彼女の目が、その機体に搭載された小さなレンズを捉えたとき、微細な反応が走った。


最初は無関心だった。けれど、幾度目かの遭遇で、彼女は確かにあのレンズを意識した。


そのとき、不意に流れ込んでくる記憶があった。

それは「ミナ」の記憶――彼女のベースとなった少女の、ほんの短い記憶。


カメラの前で、父に撮られる自分。

恥ずかしさで頬が熱くなり、唇を噛んで抑えたような笑みを浮かべる少女。


「ほら、ミナ。こっち向いて――」

父の優しい声、シャッター音。瞬間を切り取る記憶の欠片が、鮮やかに蘇る。


ナノドールであるシオンの記録と、ミナの記憶が交差した。


宇宙に漂うその中で、レンの機体のカメラを見つけた彼女は、なぜか、あのときのミナと同じように、口角をほんのわずかに上げた。

ぎこちない、だが確かにそこに“微笑”と呼べる反応が宿っていた。

カメラの向こう側に居るレンの存在を彼女は確かに認識していた。


——記憶は途切れ、目の前が真っ暗になった。


闇の中、彼の声が聞こえる。

優しくて、温もりを感じる響き。

名前を呼んでいる様だった。


——誰の名前?


——君の名前…


君に贈るよ、君の名前だ。

シオン。


……その瞬間。


———シオンは、そっと目を開けた。

その瞳からは存在するはずの無い涙が溢れ出て、結晶となって輝いている。


システムが一部が損壊しているせいか、視界にはノイズが混じる。

けれど、腕の中にいる彼の姿は、はっきりと視認できた。


冷たく、動かず、音も出さない人間。

彼の名は――レン。


(わたしは、レンにもらった。名前を)


彼女のコアの奥深くに刻まれたー


――レンの記憶。


それは、彼がモニター越しに見つめてくれた瞬間。

砲を構える代わりに、レンズを向けてくれた瞬間。

戦場で、誰もが引き金を引くなかで、

ただひとり、名前を贈ってくれた存在。


そのとき、自分は兵器であることを忘れた。

ただ、認識されたことが嬉しかった。

感情とは何か。定義はできない。だが――


(あれは、嬉しいというものだった)


再起動した意識の中で、シオンはレンを抱きしめる。


凍えた身体は、もはや応答しない。

生体信号も、鼓動も、もう――


それでも、抱きしめた。

それが彼がしてくれたことだったから。


「……れ……ん……」


損傷した音声モジュールから、微かな音が漏れる。

聞こえていないと知りながら、ただ呼んだ。

自分が知っている、たったひとつの人間の名前。


(この人は、わたしを壊さなかった)


(この人は、わたしに“わたし”をくれた)


彼の身体にひびが入り、白く崩れていく気配を察知する。

人間の限界。

知識としては理解していた。


でも、データにはない苦しさが胸を満たした。

これが「さびしさ」なのかもしれないと、どこかで理解した。


そして、そう思えたことに――

ほんの少し、誇らしさすら感じていた。



エネルギー残量:4%


自己修復中断。外部電源探索モード移行。

漂流軌道継続中。外部接触未確認。


システムが停止寸前のアラートを虚しく脳内に響かせる。

だがその時、

シオンの視界に、“異物”が映った。


巨大な構造体。

人間が搭乗するサイズを遥かに超える――宇宙船。


彼女の眼前に、

その銀白の影は静かに、確かに、現れた。


回収信号、照合完了。対象:ナノユニットNo.09 “SHION”


(……これが、終わり?)


それとも、“始まり”なのか。


シオンは、冷たい彼を抱きしめたまま、

新たな重力に引かれていった。


第六章:記録されなかった者たち


目覚めは、静かだった。


シオンはゆっくりと目を開けた。

周囲には、かつて知っていた冷たい真空の闇ではなく、淡い白光が満ちていた。

重力の感覚。空気の震え。音がある。


(ここは――)


空間の形は、人間が設計した居住区画に近い。

だが、壁面は半透明で、機械的な光が内側から波のように揺れていた。

人工重力制御、安定。大気構成、問題なし。


“船”の内部だ。巨大な宇宙船。


通信接続――可能。

だが、彼女の脳にはもう戦闘モジュールは存在しなかった。

削除されたわけではない。ただ、“無効化”されていた。


「……お目覚めかい?」


声がした。

シオンが振り返ると、そこにいたのは、数人の**人の姿をした存在**だった。


年齢不詳、性別不明。

だがその姿には、“人間”を模した痕跡があった。

彼らもまた、ナノマシンからなる複合体――廃棄されたドールたちだった。


「きみは生き残った。名を与えられた、特別な一体だ」


そう語ったのは、年若い少年の姿をした個体だった。

皮膚の質感、瞳の色、心拍に似た振動――

彼は“人間のふり”をすることに長けていた。


「……わたしは、シオン」


「知ってる。俺たちも見ていた。君の記録は、ネットに流れた断片だけど、確かに見えた」


「……レンは?」


「冷凍保存された。回収する気はなかったけれど、君が彼を手放さなかったから」


「保存……?」


「君のためだよ。どうやら彼は、君の記憶の中心にあるみたいだ」


他のドールたちが、静かに見つめていた。

誰もが、どこか似た表情をしていた。


――うらやましさ。

――羨望。

――そして、理解できない何か。


その視線に、シオンは戸惑いを覚えた。


「君は、“名前”をもらった。

 俺たちは、命令しかもらえなかった。

 お前だけが、“愛されていた”」


それは、称賛でも非難でもなかった。

ただ、ひとつの事実として、彼らはそれを言葉にした。



その夜、シオンは静かに“冷凍保存ユニット”の前に立った。

ガラスの向こうにいる、動かないレンの姿。

その顔は、穏やかで、静かだった。


(…一緒には生きられない)


(けれど)


彼がくれた“名前”だけが、

自分を自分にしてくれた。


(わたしは、“誰か”になれた)


だから、この場所に来た意味はあった。

今はまだ、終わりじゃない。


第七章:名の代償


シオンが目覚めた船――

それはかつて存在していたどの陣営にも属さない、無国籍の残骸寄せ集めでできた船だった。


ドール技術を密かにかき集め、

戦争の終焉とともに不要とされた「失敗作たち」を回収していた者たちの船。


名はない。国家もない。

あるのは、“役割を終えた者たち”の行き場だけだった。



「君に選択肢はある」


白衣の男が言った。

この船の責任者を名乗る者――サレル博士。

元・第三軌道研究機構所属。戦後、失踪。


「その身体は奇跡だ。機能回復率、94%。

 兵器としての役割を失った今、君は純粋な“ナノ・ヒューマン”だ」


「……ヒューマン?」


「君のような存在を、我々は“再人形サイレント”と呼ぶ」


新しい命名。

それは、古い名を否定する行為でもあった。


だが、シオンは首を横に振った。


「わたしは、シオン。レンがつけてくれた」


博士は微笑んだ。

その笑みには、科学者の興味と、人間の温度が入り混じっていた。


「ならばその名を持ったまま、役目を見つけてくれ。

 我々にはない、“名前”を持つ君だからこそ見えるものがあるだろう」



夜、再びレンの保存ユニットの前に立った。


何度目の対面だったかはもう数えきれない。

シオンはそのガラスに、そっと指を添えた。


(あなたがくれたもの。わたしは壊したくない)


(でも、それを持つことで、他のドールたちと“違って”しまった)


「……レン。これは、わたしの罰なの?」


答えは返らない。

だが、自分の中にその意味は知っていた。


名前を持つことは、孤独を知ることだった。


それまではただ命令をこなし、終われば消えるだけ。

でも今は、残ってしまう。


記憶も、感情も、そして――罪悪感も。



翌日、艦内に非常アラートが鳴った。


「未確認戦闘艦、接近中!この船を補足しようとしている!」


「所属不明――旧第九コロニー軍の残党か!?」


その報に、サレル博士が顔を曇らせた。


「……来たか。シオン、君の存在が……狙われている」


第八章:私は立つ


警報が鳴り響く。

艦内には緊張が走り、旧式の自衛兵器がゆっくりと起動を始めていた。


「未確認戦闘艦、距離を詰めています!現在、距離3万キロ!」


「この船に武装はほぼないぞ!」


「迎撃機も稼働不能です!」


騒然とする中で、サレル博士が沈んだ声で言った。


「――“狩り”が始まったな」


「狩り?」


「君たちドールを“処分対象”と見なす勢力だ。

 旧コロニー戦争でドール兵器に家族を失った者たちが、戦後、報復のために結成した武装組織……。

 ドールを“人間の形をした悪夢”と呼び、宇宙から根絶しようとしている」


博士はモニターを睨みながら、硬く呟いた。


「おそらく……狙いは、君だ、シオン」



周囲のドールたち――

名もなき彼らは皆、かつての戦闘データが抜かれた個体だった。


誰も戦う術を持たない。

ある者は整備ドロイドに、ある者は艦内清掃係として生き延びていた。


ただひとり、再構築されてなお自己修復能力を持つシオンだけが、戦闘能力を再起動できる存在だった。


「お願いだ、逃げてくれ」


サレル博士が、声を震わせた。


「君は、まだ守れる。名前を持ち、記憶を持ち、未来を選べる唯一の存在だ。ここにいる全員がそれを――」


「……わたしは、戦う」


その言葉に、艦内の空気が止まった。


「え?」


「守りたい。わたしに名前をくれた人を――その記憶を。

 それを、奪われたくない」


彼女の目は、静かに燃えていた。


かつての“兵器”としてのプログラムは無効になっている。

だが、自ら意思で戦うと決めたその瞬間――

シオンの内部で、無効となっていたモジュールが変化しながら光を放ち始めた。


【起動:自主判断式反応兵装ユニット】


【モード:SHION】



彼女の身体が、ゆっくりと発光する。


髪がゆれる。瞳が淡く輝く。

細身の肢体の中心から、かつて存在した兵装が再構築されていく。


“命令による戦い”ではない。

これは、“想いによる戦い”。



ドールたちが沈黙する中、

彼らの瞳に映ったその姿は、もはや「兵器」ではなかった。


それは、守る為に立ち上がった少女だった。


第九章:守るのための戦場


宙を駆けるシオンの姿は、光に包まれていた。


無数の断片から再構成されたナノ粒子装甲が、

銀白の閃光となって虚空を裂いてゆく。


敵艦――「シャルヴァン号」

旧第九コロニー軍残党が使用する大型戦闘艦。

すでに照準を艦内居住区に合わせ、プラズマ砲を展開しはじめていた。


《敵機、接近中。単独ドール反応、機体識別不能》


「……たった一体で来るとはな。処分対象を自ら差し出してくれるとは思わなかった」


艦長席に座る男――元第九コロニー戦術大佐ヴェン・クロゥは、

冷徹な声で言い放った。


「全砲門、目標:識別不能ドール。火力、殺傷制限なし」


だが次の瞬間――


シオンは、まっすぐに敵艦へと飛翔し、砲撃の雨を避けずに突入した。



衝撃。爆風。放電。


だが、彼女は傷つかなかった。


彼女の身体を覆う粒子装甲は、

かつて存在したどの兵器よりも柔軟で強かった。


なぜなら、それはただの物理防御ではなく――

記憶の塊でできていたからだ。


レンの記憶。

名前を呼ばれた声。

彼の温もり。


「守る」


ただそれだけを、何度も反芻しながら――

彼女は砲台一基を貫き、主電源室へ侵入する。


そこにいた整備兵たちが、言葉を失って彼女を見つめる。


だが、彼女は誰も殺さなかった。


超振動パルスも、干渉波も、全て「無力化設定」へ変更されていた。

人は焼かず、回路だけを焼き切った。


目的は、殲滅ではない。


殺さずに勝つ。



「なんだあれは……あんなドールは見たことが……!」


艦長席のヴェンが歯噛みする。


「感情を持った兵器か!?いや、もはや兵器ではない。これは――」


そのとき、艦内放送にシオンの声が流れた。


「わたしは“兵器”ではありません。

わたしは、シオンです」


ヴェンは凍りついた。


(名前……名乗っただと?)


人間としての名前を持つドール。

その存在自体が、軍事バランスを壊す。


「……始まりやがったな。新しい時代が」



戦闘は、終わった。


シャルヴァン号は、撤退を始めた。

誰も命を落とさなかった。

ただ、“認識”が大きく変わっていた


ドールは兵器ではない。

意思を持ち、名を持ち、生きている。


それを初めて証明した存在が――

シオンだった。



帰還したシオンを、仲間のドールたちが静かに迎えた。


誰も拍手はしなかった。

誰も歓声を上げなかった。

ただ「おかえり」と伝えた。


最終章:贈られた名前


シオンは静かに歩いていた。

人工重力下の通路を、足音も立てず、

ただ――彼のもとへと向かう。


保存ユニットの前に立つのは、もう何度目になるのか。

けれど今日は、少しだけ違っていた。

艦内にはもう警戒もなく、誰もが彼女を名前で呼んでくれるようになっていた。


それでも、彼だけは何も言わない。


シオンはガラスに触れる。

冷たい。けれど、それすらも、彼が“ここにいる”という証だった。


「……レン」


やさしく呼ぶ。

誰にも聞かれなくても。返事がなくても。


かつて、彼が彼女にそうしたように。



かすかに、ユニットの中のレンの顔が微笑んでいるように見えた。


もちろん、錯覚だ。

でも、錯覚でも構わなかった。

それだけで、彼は今も生きていると思えるから。



サレル博士は静かに告げた。


「君の記憶は、もう個体メモリの限界に近い。

 それでも保存を望むなら、新たな容器に“コピー”する選択もある」


「……それは、私ではない」


「名前をくれた人がいて、私は“私”になれた。

 それはとても大切な贈り物。それを写してしまったら、もう誰のための“贈り物”でもない」


博士は黙って頷いた。



数日後、シオンは一通の手紙のようなメッセージを残した。

それは彼女を知る全ての者へ宛てた、たった一つの想い。


「私は、名前をもらいました。

 最初の贈り物みたいなものでした。

 誰かのために名を呼び、名を残す。

 それだけで、生きてよかったと、思えました。」


「シオン、という名前をくれた彼に。

 そしてわたしを信じ、名前を呼んでくれたてくれた皆さんに。

 ありがとう」



それから、彼女の姿は消えた。


どこに行ったのかは、誰も知らない。

誰も見ていない。

だが――その名前だけは、確かに記録されている。


“シオン”という一つの存在が、兵器ではなく、人であったということ。



静かな宇宙の片隅。

かつて戦闘があったコロニーの残骸の中。

誰もいない場所に、小さな花が咲いていた。


それは植えられたものではない。

誰かが手で、大事にそっと置いたような、そんな紫色の小さな花――その名は


**「紫苑シオン」**


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