喪失の歌劇場
「最悪。なんで私がおごらなきゃいけないの」
「決めたのはお前だろ。負けたんだから潔く払え」
エミリはまさか自分が負けるとは思っていなかったのだろう。随分銃の腕に自信があったようだし。もし使われたのがハンドガンではなく、ライフルや他の重い銃であれば多分怜が負けていた。エミリは悔しそうに怜を睨み、今度やったら絶対勝ってやると宣言する。はいはいと適当にあしらった。
「午後は任務をやるんだよね?」
「ああ。持ち帰るのは細胞片だ。羽の生えた蛙がいるらしい」
記憶世界は誰かの記憶をもとに構成された世界だ。当然そこには主観が混じる。場合によっては現実ではありえない生き物がいることもあり、研究対象になっているらしい。
怜の言葉を聞いて、エミリはがっくりと肩を落とす。
「またそういうの?ぜんっぜん興味ない。私はもっと……」
「もっと、銃撃ちまくってガンガン突っ込みたい?」
「そうは言ってない!意義のあることをやりたいの。そんなどっかの誰かのしょぼい依頼じゃなくて」
意義とか言われても。ギャルみたいな風貌のわりに彼女なりの信念があるのだろうか。怜は給料がいいからKRGに入っただけで、人類の遺産だの発展だのは全く興味がない。日々満足できる暮らしを続けられればそれでいいのだ。
「しょぼい方がいいだろ。死ぬリスクが低いんだから」
「それじゃいつまで経っても認められないじゃん。リスクなんてとっくに覚悟してるのに。もしかして、特殊収集部ってぬるい人たちの集まりなんじゃ……」
「こら。むしろその逆だからな。面倒なものは大体うちにまわって来る」
「面倒な雑用でしょ?」
違う。収集部が匙を投げるレベルの本当に危険な依頼のことだ。
「そんな風には見えないけど。あーあ、収集部に異動させてもらえないかな」
そうだな。エミリにはその方がいい。イルミナは何を思って彼女をうちに配属したのだろう。
食堂で親子丼と味噌汁、デザートにカットフルーツも付ける。それらを載せたトレイを持って席を探していると、樹とばったり会った。彼女、いや彼は手を振ってここの席どうぞとにこにこしている。
「なんでお前も一緒に座ってるんだよ。お前の性格なら好きな席に行きそうなのに」
「はあ?それじゃ私だけぼっちみたいになるじゃん」
「お前ほんと面倒くさいな」
割り箸を割ったとき、弾むような木琴の音が鳴る。樹は慌てて自身のスマホを取り出し、耳にあてた。
「はい。……はい、分かりました。第五記憶世界ですね。他に任務に参加する人は……そうですね、5人くらい頂けると」
食べながら話を聞いていたエミリは、ぴくりと反応する。
「今、第五って言った?」
第五記憶世界、『喪失の歌劇場』は危険度7の異空間だ。エミリは目を輝かせて電話中の樹に話しかける。
「樹さん!私も同行したいです!」
「えっ!?でもまだ研修期間中なのに――は、はい。今エミリさんと一緒にいます」
電話の相手に指示されて、樹はビデオ通話に切り替える。イルミナはにっこり笑ってハアイと手を振った。
『任務に参加したいのね?』
「はい。私、絶対に役に立ちます。お願いしますイルミナさん」
うーんとイルミナは悩むそぶりをして、すっと視線を動かし魅惑的な笑みを浮かべた。
『怜君も同行するなら、許可してもいいわ』
ばっと振り向いたエミリは、絶対に頷けと目で訴えかける。怜はイルミナに目を向けて本気ですかと尋ねた。
「最悪死ぬ可能性もあるんですよ。だいたい、収集部でダメだったから樹さんに連絡したんじゃないですか?」
『ええ、その通りよ。先に任せた10人のうち4人が重傷を負って帰ってきたわ。任務は失敗』
「明らかに新人行かせたら駄目ですよね。俺お守りとか無理ですよ」
『そう……成長できるいい機会だと思ったんだけど。私だって有望な新人を失いたくはないわ。あなたが手助けしてくれないなら、また別のときにお願いするわね』
待ってとエミリが焦った声をあげる。がしっと怜の肩を掴んで必死な形相で頼み込む。
「お願い一緒に来て!どんなことになっても全部私の自己責任だから!」
『あらあら。可愛い後輩がここまで言ってるんだから、ここは先輩として助けてあげるべきじゃない?』
怜のスマホが震える。見るとイルミナからメッセージが送られてきていた。分かるわよね?と文字の下に画像が添付されている。それを確認した瞬間、ばっとスマホを伏せた。まずい。これを人に見られたら社会的に終わる。平静を装って怜は言う。
「そうですね……でも状況次第ですぐ撤退しますよ。最優先は人命なんですから」
『引き受けてくれるのね!良かった、優秀なあなたたちならきっと成功するわ』
それじゃ頼んだわよと通話は切れた。なんて人だ。部下を脅してまで新人を育てたいのか。憂鬱な気分になっている怜に、エミリは少し照れた様子で礼を言う。
「ふ、ふん。ありがとね。でも貸しだなんて思わないでよ。すぐにあんたなんて追い越して顎で使ってやるんだから」
「そうだな、頑張れよ」
「むかつくー!馬鹿にしてんの?」
別にそんなつもりはない。樹の方を見ると嬉しそうにはにかんで言う。
「一緒に頑張りましょうね。私もエミリさんが無事に帰れるようサポートします」
「何かあったときはよろしくお願いします」
****
今回の目標は世界に一つしかないという幻の楽器の回収だ。依頼人は世界的なフルート奏者の女性。現存する同時期の作品と似たデザインになっており、2つ揃うことで完璧な音色を奏でられるとされている。しかしその片方はあるとき紛失してしまった。歴史の海に沈み、今に至るまで見つかっていない。幻の楽器と呼ばれるのはそういうわけだ。
今から向かうのは、ある歌劇場を元にした記憶世界だ。ここで起きた事件のどさくさで、目的の楽器は行方不明になってしまった。つまりことが起こる前に楽器を見つけて保護しようというわけだ。もちろん楽器を持ち帰ったところで過去が変わるわけではない。となると世界のどこかに同じものが2つ存在することになるわけだが、それはいいのか?
などとしょうもないことを考えていると、エミリの言葉で意識が引き戻される。
「それってどういう楽器なの?」
「ピッコロだってさ。フルートを短くしたみたいなやつ」
音楽には詳しくないから、昔どこかで聞きかじった知識しかない。樹が珍しく興奮した調子で補足する。
「本物の宝石が使われていて、凄く綺麗なデザインなんですよ。現存している方はフルートで、それはアメジストが使われているんですが、今日探すピッコロは黒色でダイヤモンドが使われているそうです」
「詳しいじゃん。音楽好きなの?」
樹ははっとして顔を赤らめ、声を小さくした。
「好きというか、たまに聴いていて……」
怜はエミリに注意する。
「敬語忘れてるぞ」
「いちいち言わないでよ。見た目が同い年だからつい忘れちゃうんだって」
「だ、大丈夫ですよ。気にしないでください」
ほら樹さんもこう言ってるし、とエミリは悪びれた様子がない。彼女は同格と見るとこういう態度をとるのだ。特殊収集部の職員たちは多分気にしないだろうが、いつかどこかでトラブルを起こす気がしてならない。