伯爵家の夜会2
霧が晴れると、ドームの中にいたはずがどことも知れない外に立っていた。時間も夜になっており、月明かりが二人を照らしている。目の前には立派な金属の門があり、奥には大きな西洋の屋敷がある。
「い、行くよ。レベル2ごときに時間かけてられない」
若干震えた声は聞かなかったことにして、エミリの隣を歩く。木製の立派なドアをノックすると、中から執事らしき人が出て来た。彼はどちら様ですかと尋ねる。
「伯爵様とお約束している楽師です。本日の夜会でぜひ演奏してほしいとのことで」
「おお、そうでしたか。どうぞ中へ」
執事に案内されて廊下を歩きながら、エミリは小声で尋ねた。
「ねえ、どういうつもり?奴らと演劇でもしに来たの?」
使用人とすれ違うたびに彼女は背中のケースに手をかける。撃つなよと目で制しながら怜は答えた。
「こうするのが一番効率が良いんだよ。無駄なことはしたくないんだろ」
「……ヤバくなったら問答無用でやるからね」
エミリは緊張を抑えるように息を吐きつつ、周囲を警戒した。ダンスホールに到着する前に、怜は執事に申し訳なさそうに話しかけた。
「すみません、トイレに行きたいのですが」
案内すると言う執事に首を振る。
「大丈夫です。場所だけ教えてください。お忙しいでしょうから、お仕事に戻ってくださってかまいませんよ」
普通に考えればエミリも付いて来るのはおかしいのだが、執事はさようですかと納得して去っていく。彼らは生身の人間ではないから、場に合わせた言動をしてやれば楽に動かせるのだ。さて、これで屋敷内を自由に動けるようになった。2階に上がり、書斎へ向かう。今回の収集物は酒と花だ。人目を気にしながら書斎に体を滑り込ませる。部屋の主は今頃下で夜会を楽しんでいることだろう。邪魔が入る心配はない。エミリは不満げに言う。
「なんか泥棒にでもなったみたいな気分なんだけど」
「事実そうだろ。まあ、本来の持ち主はもう死んでるんだ。気にすることじゃない」
大切にしまわれていたワインを取って、回収用の箱を組み立てる。収納してカチッと蓋を閉じ、ワインを抱える。
「さあ、次は花だ。庭に行こう」
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月光に照らされて美しい花々が咲き誇っている。ポーチから出した鋏で一本切り取る。
「こんなの何に使うの?」
「一部をコスメ会社に、残りは結婚式で使うんだと。個人からの依頼だ」
曰く、この花は今はもう絶滅しており手に入らないのだとか。特別な日を特別な花で祝いたいという気持ちは分かる。とんでもない金額になるだろうから、多分どこかのお金持ちだ。コスメ会社の方は、遺伝子情報を解析して現代に再現することをめざしているとか。
「くだらな」
「俺はこういう依頼好きだけどな。楽だし」
パチン、パチンと鋏を鳴らしながら、お前も手伝えよと言う。ナイフくらい持ってきているはずだ。
「いくつ回収するわけ」
「100本」
「ひゃっ!?」
「しっ!大きい声出すなよ」
ばっと確認すると明かりの漏れるダンスホールの様子に変わりはない。安堵して視線を戻したその時だ。驚くほど近くに小さな女の子がいた。高価そうな服を身にまとっており、透き通るような青い目がこちらをじっと見ている。小さな口が開いた。
「あなたたち、誰?」
あどけない声で問われて、動揺しつつも笑顔を作って返答する。
「あー、俺たちは伯爵様の友達だよ。今日の夜会に招待されたんだ」
「どうしてお花を切ってるの」
「……伯爵様がいいよって言ったから」
苦しい言い訳だ。女の子は真偽を見極めるようにじっと怜を見た。ここで騒がれでもしたらたまらない。努めてフレンドリーに、堂々と尋ねた。
「俺の名前は怜。こっちはエミリって言うんだ。君の名前は?」
後ろでエミリが息をつめているのを感じた。女の子の行動次第では、強引な手段に出ることは想像できた。
「セレスティア」
「いい名前だね。君はお父さんたちの所に戻らないの?」
「つまらないんだもの。皆難しいお話ばっかり。ねえ、私もお花を切るの手伝いたい」
えっ、とエミリの驚いた声が聞こえた。怜は少し考えて、自分が使っていた鋏を渡す。そして自分はナイフを取り出した。
「ちょっと」
「大丈夫。刃は小さいから」
女の子が豹変して怜たちを襲ってきても、鋏じゃ大した攻撃はできない。エミリはちらちらと女の子の様子を確認しながら、急いで作業を進めた。
大量だ。時計を確認すると、予定よりずっと早い。花をボックスに入れ、抱えて立つ。
「それじゃ、そろそろ俺たちはお暇するよ」
「帰っちゃうの」
ぽつんと立つ彼女は寂しそうに見えた。怜はまた来るよと心にもないことを言う。
「本当?絶対だよ」
手を振って彼女と別れる。屋敷から離れていくと霧が現れ、段々濃くなっていく。歩きながらエミリがぶつくさと文句を言う。
「もう最悪。気が気じゃなかったんだけど」
「怪我一つしなかっただろ?こういうやり方も経験しておいたほうがいい」
エミリはちらりと後ろを振り返った。もう女の子は見えず、うっすらと屋敷の輪郭が見えるだけだ。
「……あんな約束して良かったわけ?」
「なんだ、思うところでもあるのか?」
からかうように言うとそんなんじゃないとそっぽを向く。まあ分からなくはない。この世界の住人は幻のようなものだ。だがあの女の子の言動は、かなり人間に近かった。きっとこの世界の核に近い人物なのだろう。
回収任務の経験は多いけれども、今日のように住人に仕事を手伝ってもらうことは初めてのケースだ。報告書に記載しておこう。怜はそんなことを考えながら、エミリに言う。
「いいんだよ、その場限りの嘘で」
ちょうど霧が晴れて、二人は最初と同じドームの中に居た。外に出るとまだ日が高く、頭が若干混乱する。
「さーて、仕事したし今日は早退するかな」
「ちゃんと働け」
エミリにつっこまれてタクシーを呼び出す。明るい日差しを浴びながら、あの霧の向こうにいる少女の顔が頭をちらついた。『伯爵家の夜会』は永遠に終わらない。夜は明けず、全てはリセットされて人々は同じ行動を繰り返す。だから少女と交わした約束はあれで終わりなのだ。誰もいない美しい庭園に、彼女は何度でもやってきて退屈を紛らわすのだろう。